顕正会の誤りについて:御開扉を給わるに当って

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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御開扉を給わるに当って

先の日記の文中に出ていた「車中では今回ことに「御開扉を給わるに当って」と題する指導書が配られ、全員繰り返し熟読した。これは着山後指導のあいまもなく直ちに御開扉に臨む為、大事の御内拝に少しでもゆるがせや、うかつな思いがあってはとの本部の配慮によるものであった。」との“指導書”をここに掲載する。


仮にこれが現代の法華講支部内の資料だとしても十分に通用する立派なものである。


これだけ立派な事を述べることの出来る口から、なにゆえ「不敬の御開扉」などという戯れ言が出てくるのか不思議である。


顕正会員は心して読んで頂きたい。


これは過去の顕正会の御開扉に対する認識そのものなのである。


その上で現在の「不敬の御開扉はやめろ!」と叫んでいる幹部連中の頭の中はどうなっているのかをよくよく考えて頂きたい。



************************

此の一文は今回の御登山に当って、初登山者が多き上、時問の都合上着山後指導のいとまもなく御開扉に臨むため、大事の御内拝にゆるがせの無きよう前以て本部より配布されたものであります。御登山を遂げた今さらに熟読し信心を深めるべきと思い掲載するものであります。

-編集部-



御開扉を給わるに当って


                         日蓮正宗・妙信講


 今回の御登山は御本山の予定に依り、着山後直ちに奉安殿に詣で御開扉を給わる事になっておりますので、殊に初登山の方々に前以ってその心得を申し述べるべく先師の御指南に従って此処に一文を草するものであります。

 申すまでもなく、御登山の目的は総本山大石寺に参詣して、七百年来歴代上人によって厳護されて来た「本門戒壇の大御本尊」に御内拝をさせて頂く事にあります。

 この「本門戒壇の大御本尊」こそ実に仏法の根源・御本仏日蓮大聖人出世の御本懐・一期の御大事にして、末法の一切衆生即身成仏の大導師にて渡らせられる尊極無上の大御本尊であります。

 日蓮大聖人は立宗宣言以来、その大慈悲の故に堪え難き大難を忍び給い、龍の口に於ては刀杖も犯す能わず遂に久遠元初の自受用身と顕われ給い、而して後弘安二年御年五十八歳の砌、富士熱原地方の法華講衆の身命を惜まぬ信行に深く御感あらせられ、此の大法難を契機に一期の最大事たる此の大御本尊を末法一切衆生の為に御建立遊ばされたのであります。この間立宗以来実に二十七年の長きに亘る大難を忍び給うたのであります。故に聖人御難事には

 「此の法門申しはじめて今に二十七年弘安二年なり、仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其の中の大難申す計りなし、先先に申すがごとし、余は二十七年なり、其の間の大難は各各かつしろしめせり」と仰せ遊ばすのであります。

 これぞ久遠元初以来御胸に秘し懐き給いし所証得の全体・事の一念三午・人法一箇の御境界を大慈悲を起こして一幅に顕わし末代幼稚の頸に懸けしめ給うものにして、実に此の大御本尊こそ末法下種の正体、御本仏・日蓮大聖人の御法魂にてましますのであります。故に御書に「日蓮が魂を墨に染め流し書きて候ぞ信ぜしめ給へ、仏の御意は法華経なり、日蓮が魂は南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」と仰せられるのであります。然ればいま御内拝を遂げまいらす事は、正しく霊山に詣で生身の日蓮大聖人に値い奉る事であります。

 大聖人佐渡御配流の時、此の御本尊建立を兼ねて観心本尊抄に宣言し給いて云く

 「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つべし」と。

 いま此の御本尊について廿六世日寛上人はその功徳を讃嘆せられて

 「是れ則ち諸仏・諸経の能生の根源にして、諸仏・諸経の帰趣する処なり。故に十方三世の恒沙の諸仏の功偉・十方三世の微塵の経々の功徳・皆咸く此の文底下種の本尊に帰せざるはなし。たとえば百千技葉同じく一根に趣くが如し。故に此の本尊の功徳無量無辺にして広大深遠の妙用あり・故に暫くも此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱れば、祈りとして叶わざるはなく、罪として滅せざるはなく、福として来らざるはなく理として顕われざるはなきなり」と。更に又云く

 「就中、弘安二年の本門戒壇の御本尊は究寛中の究寛・本懐中の本懐なり、既に是れ三大秘法の随一なり、況や一閻浮提総体の本尊なる故なり」と仰せであります。

 世に大聖人を尊敬する者その数多しと雖もも、他門不相伝の輩は此の大事を知らず、故に悪しく敬いかえって謗法を犯し、悪道に堕するのであります。幸いに我等は富士の正系門流に浴し、ほしいままに此の大法を受持信行し奉る事まことに有難いことであります。又此の大御本尊は日本国を始めとし、全世界の人類に授与せられ給いしものなれば、広宣流布の時至れば本門寺の戒壇堂にお出まし遊ばすものと承る所であります。

 されば弘安五年九月大聖人より二祖日興上人への御付嘱状に云く

 「日蓮一期の弘法白蓮阿闍梨日興に之れを付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と云うは是なり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり。

弘安五年壬午九月  日   日蓮在御判

   血脈次第日蓮日興」

 この御文中「日蓮一期の弘法」とは即ち「本門戒壇の大御本尊」の御事なりと先師は御指南であります。広宣流布の砌、大戒壇堂に安置し奉る事明々白々であります。

 更に日興上人より三祖日目上人への御遺状に云く

 「一、日興が身に充て給わるところの弘安二年の大御本尊、並びに御下文、日目に之れを授与す」と。

 御文中の「弘安二年の大御本尊」とは即ち戒壇の大御本尊の御事たる事は申すまでもありません。かくの如く一器の水を一器に移すが如く、歴代御法主上人に血脈相承せられ、御当代六十六世日達上人に至っているのであります。

 而して広宣流布は仏の御金言なれば断じて疑いはありません。されば諸法実相抄には

 「剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱えん事は大地を的とするなるべし」と。

 更に三大秘法抄に広宣流布・本門戒壇建立の相貌を明示し給いて

 「戒壇とは王法仏法に冥じ、仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに護教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべきものか。時を待つべきのみ、事の戒法と申すは是れなり。三国並ぴに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して踏み給うべき戒壇なり」と仰せであります。

 かくの如く事の広宣流布の時至れば、此の三大秘法抄の仰せのままの戒壇は必ず富士山に建立せられ、その戒壇堂に安置し奉るべき大御本尊こそいま大石寺の奉安殿に在すのであります。されば未だ時来らざる故に事の戒壇の建立はなしといえども、此の大御本尊在す処は即ち本門戒壇の大霊場であります。故に歴代先師上人の御宝蔵の御説法に云く

 「爾るに未だ時至らざれば直にに事の戒壇はなけれども、此の戒壇の御本尊様在ます事なれば此の処即ち本門戒壇の霊場にして、真の霊山・事の寂光土と云うものなり」云々と。

 私共は宿縁深厚にして、未だ時至らざるうちに御法主上人の慈悲により此の砌に詣でほしいままに此の大御本尊を拝みまいらせること、誠に言葉もなく、只々感激の極みであります。されば更に御宝蔵の御説法に云く

 「若し然らば此の霊場を踏み奉らん輩は無始の罪障忽ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成じ、妙法当体の蓮華仏とならん事少しも疑いなきことなり。然るに未だ事の広宣流布の時節も至らずして天皇陛下に於せられても未だ拝し給わざる以前に各々旁々にはほしいままに此の大御本尊を受持信行し奉ること誠に以て宿縁深厚の幸い実に実に比類なき果報いみじき身の上なる程に必ず此の義を緩せに思うべからず。一向謗法の念慮を絶して臨終の夕べまで忘れ奉らざる様に信心に拝し奉るべき事肝要なり」云々と。

 よくよく七百年来の此の御説法を肝に銘じて、各々恋慕渇仰の信心に住して御内拝を遂げ奉る事こそ大切であります。

昭和四十五年十月廿五日


(富士 第87号 【昭和45年11月号】7~11ページ)





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