顕正会の誤りについて:正しかった頃の顕正会の御開扉観

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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正しかった頃の顕正会の御開扉観

これは昭和45年当時に顕正会の機関誌「富士」に掲載されたものである。
御開扉に対する姿勢は真っ当であった。

現在の「不敬の御開扉」と誹謗中傷する輩も、以前は正論を吐いていたのである。


現役顕正会員には是非とも読んで頂きたい資料である。


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晴れて総登山・参詣二千有余名

六年ぶりの御内拝に只々熱涙

十万世帯へ死身弘法の誓い



試練と忍従を乗りこえて

 十月二十五日、この日秋日和の中に妙信溝の総登山は挙行された。参詣の講員二千有余名、無量の感激につつまれ而も厳粛・整然たる参詣。実に妙信講にとってこの総登山は六年ぶりの晴れての参詣であった。

 まさに「参詣遙かに中絶せり、急急に来臨を企つべし、是にて待ち入って候べし……」この大聖人の御金言を不肖の身にもひしと感じさせて頂くような御登山であった。

 思えば再建以来十三年、幾多の試練に打ち勝って来た妙信講であるが、とりわけ昭和三十九年よりの六年は実に耐えに耐え、忍びに忍んだ試練と忍従の時期であった。法を借しむ真の道念なくして誰がこれに耐えられようか。それほど苛酷の試練であった。だがひるがえって思えばこれ等障凝も使命あるが故に受けたのであったに違いない。昨年七千世帯を達成してより千侭仞の谷底よりはい上った師子の子の如く、身震いして妙信講は立ち上ったのである。そして更に本年三月より先生によって為された連々の御奉公、まさにこの御奉公こそ妙信講八千世帯のすべてを賭した壮絶なる護法の斗いであった。

 而してその正義が貫かれ決着のついた時、有り難くも御法主上人猊下より慈悲の御配慮を給わったのであった。只々不思議とも有り難しとも、その感激は到底筆紙には尽せぬものである。


バスと列車で


当日の参詣は二組に分れて行われた。東京より直通バスで一干名、貸切り列車で一千名、都合二干余名が勇躍して御登山の途についた。バス組は早朝六時池袋駅前に集合、男子部整理班のキビキビした誘導で所定のバスに乗り込み一路本山へ。また列車組は品川駅より団体列車に乗車した。この団体列車の確保も絶望視されていたのが直前に可能となり、折からの行楽シーズンでバス輸送の不足を補った事は諸天の守護と感ぜざるを得ない。

 途中、横浜近くより一時烈しい雨が降り、前途を憂慮させたが、富士駅に近づくにつれて雨足も止まり、総本山着山した時にはすっかり晴れあがり、青空に陽光がふりそそぐ絶好の登山日和となった。

 車中では今回ことに「御開扉を給わるに当って」と題する指導書が配られ、全員繰り返し熟読した。これは着山後指導のあいまもなく直ちに御開扉に臨む為、大事の御内拝に少しでもゆるがせや、うかつな思いがあってはとの本部の配慮によるものであった。


只感涙の一瞬


 御開扉は午前十一時と十一時四十五分の、二度にわたって給わった。すでに車中より心を調えた一同は緊張しきった面持で奉安殿の前に整列、やがてしずしずと奉安殿に入った。

 実に六年ぶりのお目通り、更に今回参詣者の三分の一は初めての御登山である。日頃の指導の中に耳にはするも、未だお目にかかれなかった本門戒壇の大御本尊、まさしく御本仏大聖人の御法魂・出世の御本懐・一期の御大事、まさに生身の大聖人様にお目通りが叶うのである。御開扉の瞬聞、妙信講の誰もが泣いた、只ぼうだと流れる涙に眼前もかすみ、声もつまった。やがて御扉もしまり一切が了わる。だが大聖人様は一切を御照覧であられると思えばまた胸にこみ上げるものを感ずる。


大講堂で指導会


 午后一時三十分よリは大講堂に於て指導会が開かれた。さしも広い大講堂が妙信講員だけで埋った。まず中央の大御本尊に向い講頭先生の唱導でお題目を三唱、直ちに木内支部長の司会により会は進められた。

 始めに指導教師・松本日仁尊能師よりの祝電が被露された。尊能師には今回の御登山に当って陰に陽にどれほど気を使って下さった事か、思いもかけぬ尊能師のこの暖い御激励に一同感激大拍手を以てこれに応えた。

 ついで浅井(信衛)企画部長より「御内拝を遂げ奉ったいま、更にその意義をかみしめ信心を深める為に」と前置きして「御開扉を給わるに当って」の一文が朗々と読み上げられた。

 ついで、小園江新宿支部長、星板橋支部長が講員を代表して御登山の感激と今後の決意を力強く述べた。


十万世帯は断じて為す


 ここで浅井先生が登壇指導、まず「今回の御登山の有り難さと意義の深さはとうてい言葉には尽くし難い。全妙信講員はみな一生の大事として思いつめて只今御内拝を遂げ奉った。すでに何も思い残すことはない。」と前置きしたあと、

「本日お目通りの大御本尊は時来るならば天皇陛下も頭をかたぶけ拝み奉るべき大御本尊である。未だ時至らざるうちに拝めるのはまことに宿縁深厚のほかはない」と述べ、更に戒壇の大御本尊の大功徳を讃嘆したあと

「この御本尊も信心の二字におさまるのである。信心が弱ければ弓は強くとも弦の弱いように功徳を頂く事はできない」と信心を強調、さらにこの大御本尊を七百年御守護申し上げてきた大石寺の伝統より説きおこし、広宣流布のこと・本門戒壇建立の大事に言及、さらに語をついで

「昭和三十二年の妙信講再建の時、日淳上人は法華講は墓檀ではいけない、妙信講は熱原の如き斗う法華講になれ、と仰せられたが、いまや妙信講にとって試練と忍従の十三年は終った。すでに大聖人の御馬前に於ての斗いである。いつ倒れようと悔いはない。本年出陣と銘打って、一身はもとより講中の命運を賭して御奉公を続けて来たが、五月の第十四回総会に於いて宣言したことも大聖人の御守護を蒙リ遂に九月十一日を以て決着がついた、正義は遂に貫き通された」と述べれば、全講貝万感胸にせまり期せずして大拍手がまきおこった。そして最後に

「広宣流布は末法濁悪その極に達した時に来ると大聖人様は仰せである。その時宗門は御法主上人のもと御在世の熱原の如き捨身の信心に全信徒が立たねばならない。法の為に身を惜んで大御本尊の御守護が蒙れようか、組織の為に法があるのではない。法の為に身を捨てるのだ。いよいよ正法治国・邪法乱国の大旗を立て、一国の謗法を身命を捨てて責めなければならない。妙信講はその先陣をうけたまわる。今日よりは十万世帯達成に向って前進を開始する。捨身の信心の集団十万があれば一国は必ずゆさぶれる。一人々々本日のお目通りを契機に死身弘法の大決意に立って下山しようではないか」

 と烈々と指導、聞き入る全講員一人々々の胸に十万世帯達成への火は烈しく燃えた。

 次いで講頭先生が登壇、戒壇の大御本尊のいわれと信心の在り方について御書を引き淳々として指導、更に一同の強き信心を促がされた。かくて二時半感激の指導会はおわった。

 それより列車組は直ちに下山、バス組は六時に下山、帰途の車中はどの顔も一様に歓喜と確信に輝いていた。大事の御登山を了え、いよいよ妙信講の新しい斗いは始まったのである。

(富士 第87号 【昭和45年11月号】3~5ページ)




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