顕正会の誤りについて:やはり本尊問題か…

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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やはり本尊問題か…

顕正会から法華講に最近入られた方々のブログを拝見して回ったのですが、



やはり本尊問題が一番のクサビになるかもしれませんね…。



これを自然な形で問題提起していくにはどうするか…。



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Comment

 

トチロ~さん、こんにちは(^^)
お疲れさまです!

私も明日、現役顕正会の男子部二人とお会いする予定なんです。
同じ支部の方のお供をさせて貰えることになりました(^^)

二期の夏期講習会でも、「学会員に偽本尊を拝ませてはならない」というお言葉があったそうですが、やっぱり一番大事な事ですよね。

女子部の幹部の方に偽本尊の話をすると感情的になって、「地獄行き決定」と言われて、帰ってしまう人が多いですが(^^;)
  • posted by AKIRA 
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  • 2012.07/17 12:56分 
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トチロ~さん
こんにちわ
新潟の決起集会の時に元顕正会員の女性と話して来ました。その方の話では女性幹部の人は偽本尊だと知っていて平然と話しているそうです。
会われた方はそこに疑問が生じて顕正会を脱会し、法華講になられました。わかってから一年かかったそうです。自分も顕正会員に5.6人に囲まれて話した時も、偽本尊と言い続けましたが、それを否定して来ませんでした。
会員によって違いがありますね。自分の彼女は偽本尊を否定しています。
多数の顕正会員に話を聞きましたが皆さん、現証ばかり言ってきますね。まず自分の過去の功徳(魔の通力)1つ+人の功徳(魔の通力)
他には?と質問すると他人の話をしますね。
これは皆さん共通ですね。
自分はこの辺から攻められるのではないかと思っています。
  • posted by サノ 
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  • 2012.07/17 14:28分 
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異流儀の定義 

こんには。

僕は在家の身で一次資料を言い争うことは、なかなか難しいと思っています。例えば、邪宗日蓮宗からの誹謗は、必ず一次資料の否定になります。

僕たちがどんなに研鑽しても、到達しても二次資料が限界ですね。

一次資料というのは、猊座・原本・原典の真偽を争うようなもの。二次資料は御書等出版物・貎下様御住職様の御指南などです。

異流儀の人や、邪宗日蓮宗との俗同士の議論が、グルグル同じところを回ってしまうのは、結局、一次資料への論難が来てしまうと、正確にモノを言うことが出来なくなってしまいます。

要するに、結局は「信」ですから、信とは人の言葉を信ずること、つまり二次資料を信じることになります。そして、仏法の基本は「孝」です。孝は恩を知ること。恩とは原因の因に下に心を置くことです。親が嫌いでも、自分の原因は親ですから、親を全否定すれば自分も否定することになります。

在家の異流儀団体は法華経迹門でしかないのです。迹門は理屈があっても、本因妙・本果妙・本国土妙の三妙合論がない。

学会も顕正会も在家ですから、あなたの信心の出所はなんですか?と言い続けるしかありません。彼らはどんなにあがこうがその出自を問われれば、日蓮正宗を避けては通れませんから。

厄介なのは、興門流とか富士門流とかで、相承自体が他の御弟子にあるというようなところは、一次資料の争いになります。京都の要法寺のようなツンデレちゃんは別ですが、保田妙本寺のように日郷師を正嫡とし、万年救護本尊を御戒壇様といい募る連中は厄介です。また、日興上人様御造立の御影様があるとか、そういった対一次資料への論戦は、在家がうかうかと参戦するべきではないでしょう。

顕正会所持の御本尊についても、血脈が切れているとしか言いようがないですね。我々が詳細に日布上人様のことを知っているわけでもありませんから。


  • posted by ポリ銀 
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  • 2012.07/17 15:41分 
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言い忘れました 

連続投稿すみません。

では信心の血脈が凡夫の我々にはどうすれば、とどくのか。

もったいないことですが、戒壇の御本尊様の御開扉を受ければ分かります。御開扉では御授戒形式の勤行を貎下様御唱導で行います。御開扉を受けるたびに御授戒していただいているのですね。ですから、顕正会の人には納得しがたいかもしれませんが、あそこで御開扉を受けるたびに、ごっそりと過去の罪障を帳消しに棒引きしてもらっているということです。

それともうひとつ。御開扉と同じく功徳があり、罪障消滅になるのが丑寅勤行です。丑寅勤行は開眼の儀式でもあります。そして真の遥拝勤行でもあります。この時にまた無始以来の罪障を消滅させていただくのです。

そして最後が末寺の小師を拝しての勤行。一体三宝・三宝別体・住持三宝と末寺によって、御寶前の形式は違うかもしれませんが、御僧侶の衣の裾にすがって拝むということが大事になってきます。

例え法華講員でも、登山・寺院参詣せずに、家で頭から煙を出して拝むだけでは、血脈はなかなか通ってこないのかもしれません。ですから、病人や長期出張者には特別にお守り御本尊様が授与されたりもするのですが。
  • posted by ポリ銀 
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  • 2012.07/17 16:00分 
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トチローさん、こんばんは^^

偽本尊について突き詰めても、現役顕正は逃げてしまうんじゃないかなぁと思います。
あるいは開き直るかですね。
H支隊長(§ASAGI§さんとの電話法論)とW支隊長(先日私とH君で折伏)、二人とも言葉は違えど「偽物でもいいからセンセーについていく」的な発言をしてます。
そういえばうちの妻もそうでした。
二言目には「センセーがこう言っている」「センセーにはお考えがある」でいたもんね^^;
議論にならないんですよ^^;;
で、H支隊長はどうか知りませんが、うちの妻とW支隊長は私からの同じ質問で同じ反応したんですよね。
それが、「大聖人様の御遺命って何だっけ?」です。
くしくも二人とも「こいつ今さら何言ってんだ?」みたいな顔をして、「国立戒壇でしょ」とドヤ顔で答えたので、私が「え?そうだったっけ?広宣流布じゃないの?」と言うと、これまた二人とも同じ反応で「あ・・・」って、意表を突かれたような表情で何も返してこなかったですよ^^
W支隊長はこのあと逃げちゃいましたが^^;
うちの妻はこのことがずっと引っかかっていたそうです^^
あとで聞いたのですが、妻は私がいくら文証を示しても「怨嫉して言っている」としか受け取らなかったけど、あの質問にはハッとしたとのことです^^;

先日、新潟の聞正寺さんにご招待いただいて座談会に参加させていただいた時も、「議論が噛み合わない」って仰っていました。

いくらこちらが正論を示しても、水掛け論あるいはいたちごっこになって物別れになるのであれば、どうでしょう?相手の心に少しの引っ掛かりを与えてくるっていうのは?
  • posted by あんぐらぁ 
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  • 2012.07/18 00:33分 
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AKIRAさんへ 

素晴らしいですね、本日折伏ですか。

是非とも本日の状況をまた教えてください。

>女子部の幹部の方に偽本尊の話をすると感情的になって、「地獄行き決定」と言われて、帰ってしまう人が多いですが


うちのお寺のお姉さま方は、相手からこのような言葉を言われたら、

「そのまま貴女にお返ししますわ。」

と、すかさず言い返しておられます。女性同士の折伏の場はすげえな…。なんていつも感心させられます。

今回の対象者も女性なんです。逆切れされないように頑張ります。

  • posted by トチロ〜 
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  • 2012.07/18 07:15分 
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サノさんへ 

アドバイス有り難うございます。

確かに以前私が折伏した顕正会員も、

「御本尊を作成して何が悪いんですか!」

と平然と言い放ちました。その横で聞いていた上長があわてて止めていましたが…。

決定的な証拠を目の前に突き付けないと、本尊問題はかなり難しいとは思います。

ただ、一番心にダメージを与えるのもまたニセ本尊では?という疑問なんだと思います。


ここのあたりが難しいですよね。

功徳の話をさせて、一つずつ切り崩していくというのは面白いですね。私も少し考えてみたいと思います。

  • posted by トチロ〜 
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  • 2012.07/18 07:21分 
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ポリ銀さんへ 

ポリ銀さんの一次資料、二次資料の立てわけで言うならば、

本尊問題を、血脈の切れた御本尊様に唱題しても功徳は無いとの斬り方は一次的であり、

明らかに本尊作成をしたが故に偽本尊であり、そんなものを拝んでも功徳は無いとの斬り方が二次的なものといえるかもしれませんね。

確かに総じていえば一次的な観点で顕正会の本尊に対する現況を全て切り捨てることは出来ますが、その物差しは「信」でしょうから、その「信」の正しい捉え方から説明していかなくてはいけませんし、そこにおいて彼らは御遺命守護を持ち出して正当化しようと試みるでしょうから、なかなか話は前に進まないかもしれませんね。

とにかく二次的な観点での破折の材料をひたすら集めてみます。


  • posted by トチロ〜 
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  • 2012.07/18 07:30分 
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あんぐらぁさんへ 

アドバイス有り難うございます。

視野の狭くなっている顕正会員に視野を大きく持たせる投げかけをするというのは非常に良いポイントなんでしょうね。

この部分、私なりに少し考えてみたいと思います。

また「相手の心に少しの引っ掛かりを与えてくるっていうのは?」というのは、実は私も現在徹底的に考えているテーマなんです。

たとえその日は席を立って帰ってしまっても、日に日に疑問は増幅して、近い将来自ら本山に足を向けるような、そんな必ず後からジワジワと不安が増長するような話は出来ないものかと…。

そのような強烈な下種が出来れば、その日は進展がなく分かれてしまっても、その種は必ず時間を経て芽を出すと思うのです。

そこまでの話をできるか、または時間的にその余裕が無いのなら、いかに一言でそのインパクトを与えるか…。

それを現在色々と思索中です。

あんぐらぁさんのブログにもまた勉強しに寄らせていただきます。

とにかく数多くの新鮮な意見に触れ無くてはいけないと思いますもので…。

今後ともよろしくお願いいたします。

  • posted by トチロ〜 
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  • 2012.07/18 07:51分 
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資料について 

 ポリ銀氏のお話についてですが、対他に合わせて使用資料を使い分ける必要があります。仏教他宗相手では経文を、日蓮系統では真跡御書を、石山異流儀には御書及び歴代上人御遺文を・・・このようにです。

 乱暴に言えば、日蓮宗に御歴代の御遺文を示しても意味をもちません。御書も緑外までも使用できるのかなどを最初に確認する必要があります。

 顕正会の偽本尊問題についてですが、最初に「偽本尊」の定義論争が必要だと思います。また過去の浅井氏の言葉の矛盾をついても意味がありません。顕正会では「先生の時に従った発表」という用語を使います。

 そもそも妙信講が宗内にいたときの「御遺命守護の戦い」についてすら、講員は徐々に知らされております。妙信講の後継である顕正会も、この伝統を踏襲しており、日布上人本尊問題ですら、同様に解釈してしまいます。

 小生が妙縁寺総代から聞いた内容から言わせれば、寛尊本尊すら妙縁寺には無かったのですから、浅井氏の本尊作成は昭和末期には既に始まったと考えるしか無いでしょう。いや浅井氏が「常住本尊7幅と寛尊本尊数百幅」と発表した時期に既に本尊作成が始まっていたと考えるべきでありましょう。

 しかし、顕正会の教義ではこれらは「偽本尊」ではありません。小生がまずはっきりとさせるのは「顕正会は何宗ですか?」というところです。宗教法人顕正会は日蓮正宗とは別個の一宗一派なのですから、
「貴会の本尊は、顕正会数十年の教義では偽本尊ではありませんが、日蓮正宗700年の教義では偽本尊になります。君はどちらの信仰を選びますか?」と問います。
  • posted by 富士川一郎 
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  • 2012.07/18 12:05分 
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富士川一郎さんへ 

ご無沙汰致しております。

“イチローを探せ”は一生懸命探しているのですが、最近老眼が入ってきたのか、今一つ見つかりません。(笑)

ところで、

>「顕正会は何宗ですか?」というところです。宗教法人顕正会は日蓮正宗とは別個の一宗一派なのですから、
「貴会の本尊は、顕正会数十年の教義では偽本尊ではありませんが、日蓮正宗700年の教義では偽本尊になります。君はどちらの信仰を選びますか?」と問います


これ良いですね。

私なりの言葉づかいでアレンジしてみます。

ありがとうございます。
  • posted by トチロ~ 
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  • 2012.07/18 12:44分 
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今日の報告(^^ゞ 

トチロ~さん、こんばんは!

今日の折伏ですが、あっという間に終わってしまいました(^^ゞ

元顕正会で現法華講員には、話をさせないみたいですね。。。


今日は、同じ支部の元学会のMさんと、婦人部の方、相手はMさんの派遣先で知り合った方とその上長(多分副長さんかな?)の5人で会いました。

自分が初めに、あんぐらぁさんが書き込みされていたように、「御遺命ってなんですか?」って副長さんに聞いてみたのです。

そうしたら、「そんなのわかりきったことでしょう。」と言って答えてくれませんでした。

そして、「今日はMさんと話をしにきたのです。元顕正会のあなたは喋らないでください。」
と言われてしまいました。

それで副長さんがMさんと話し始めたのですが、私の質問には答えてくれなかったのに、Mさんには私と同じ質問をしていました。
「御遺命って何ですか?」って。

Mさんが何て言ったらいいか少し考えてたら、
「御遺命とは広宣流布、国立戒壇でしょう!そんなこともわからないんですか!法華講員は信心がないんだ。」
と勝ち誇ったように言ってきました。

きっと、浅井会長をはじめ、顕正会員の心は、「自分たちだけが信心があるのだ」という慢心で一杯なんだと思いました。
「広宣流布」とか「本門の戒壇」とか名詞が出てこなくても、御法主上人様、お寺の御住職様の御指導を素直に正直に拝していくならば、それは素晴らしい信心だと思います。

私が話そうとすると、「あなたは話さないで下さい。あなたが話すなら帰ります。」
と言うのでしばらくは我慢してたのですが、続けて血脈相承の否定や、宗門は御遺命を曲げた、などの言葉が出てきたので、我慢できなくなって、
「宗門は御遺命を曲げてませんよ!」と言ったら帰ってしまいました。。。

早かった。。。

こちらに2時間かけて来てくれたのに、10分くらいで帰ってしまった。。




  • posted by AKIRA 
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  • 2012.07/19 00:02分 
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AKIRAさんへ 

お疲れさまでした。

同じような経験は私にもあります。

相手はこちらと話すと負けることが分かっているがゆえに、「あなたとは話さない。」と伏せんを張っているのでしょう。

今回の折伏の場合、相手が“広宣流布と国立戒壇”と言った瞬間に「広宣流布とは日本の広宣流布ですか!?」と聞いて、“そうだ。”と返答した瞬間に次は「それは少しズレてますね。」と言い放ち、日本の広宣流布と世界の広宣流布は同時進行で進められること、その日本および世界の正法による仏国土の様相をご覧になって時の御法主上人猊下が決定遊ばされることをバンバンと文証を突き付けるべきだったかなと感じます。

ただこれは前もって準備が必要ですし、その文証を集めるのも大変な作業です。

そのためにも私の方で少しブログで書いていきますので、また寄ってみて下さい。

最後になりましたが、この質問は顕正会員の視野の狭さを指摘するという点で効果はあると思います。

しかし、更に突き詰めて検証していくならば、顕正会の主張していることも真理の一部分に相当するかと私は思います。

したがって、最終的にこちらがしどろもどろにならないように、シュミレーションだけは予めキッチリと頭に叩き込んでおかなくてはならないと思います。

とにもかくにも、本日は遅くまで本当にお疲れさまでした。
  • posted by トチロ~ 
  • URL 
  • 2012.07/19 03:43分 
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顕正会は、完全な詐欺宗教ですよね(T_T) 浅井さんの頭の中には、「金になれば、何でもいいんじゃ!騙される方が、ばかなんじゃ!ばか共には、偽物でも拝ませておけ!」てな、もんですよ(ToT)
  • posted by ドンチャン 
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  • 2012.07/20 10:08分 
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ドンチャンさんへ 

本尊問題もそうかもしれませんが、浅井さんの会員を下に見る根本的な性格というものは私も色々な方から聞いております。

そのような心根が、自語相違やその他私どもに突っ込まれる隙を作ってしまったのだと思います。

  • posted by トチロ〜 
  • URL 
  • 2012.07/21 06:44分 
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戒壇問題 

現宗門は国立戒壇をいわなくなった。
理由は
現代憲法によると嘯くが、
仮にそうだとしても、そこには国に対する諂いがある。
国立戒壇は本門寺戒壇、事の戒壇である事は周知の事実。
国民は国主ではないし
統治する権力もない。

「国を失い家を滅せば、いずれの所にか世をのがれん」(立正安国論)
国家の興亡盛衰が、国民生活に直結してます。
戒壇建立の手続きは
「勅宣と御教書」が必要手続きです。
大聖人様が、お決めになられた手続きです。

歴代先師が本門寺の戒壇を国立戒壇と呼称された理由はそこにある。
国立戒壇と本門寺の戒壇は同一。

という事は国立戒壇は三大秘法抄、一期弘法附属書に示された戒壇であります。でないと
歴代先師は仰せになられませんよね。

今の憲法がどうであれ
御本仏様が、大聖人様がお決めになられた手続きは
守らなければいけません。

国家レベルでの受持がなくては仏国は実現しない。国家の働きそのものを仏界化することで、その国に住む国民は「身はこれ安全にして、心は禅定ならん」(立正安国論)となるのです。

日本国が一時に信ずるとき、自ずと国の法律も三大秘法中心になります。
だってみんな帰依するんですから。
法華講員は
正しい国家観を持たないといけませんね。

国を統治する国家の働きが、どう国民生活に関わっているか。解らない人はいないと思います。そこに「勅宣、御教書」の必要性があるんですよ。国家意志を表明する事、大聖人様が定められた御意、御書をほしいままに拝せるなら、大聖人様がなぜ幕府や天皇に、三大秘法をお勧めになられたか、立正安国論ひとつ見てもその御意を拝せるじゃないですか。国も個人も、大聖人様を柱としなければいけません。「国に柱無ければたもたず…」ですからね。




  • posted by あ 
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  • 2012.08/29 23:49分 
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不敬の御開扉 すいごんにーふーけん 

御開扉が御受戒でごっそり罪障消滅するなら、日興上人の上代から御開扉は今みたく、大っぴらに行われていたでしょう。
それは間違いです。

秘蔵厳護すべきなんですよ。
今の宗門がやってる御開扉は
秘蔵厳護されてるとは到底見えないし、思えない。

信心って、心こそ大切なのでは?本門戒壇の大御本尊様は
全人類総与ですよね?

大事なのは御本尊様絶対の信心であって、「御開扉」ではないと存じます。

形に捕らわれた信心や礼拝では
大聖人様には通じませんよ。
奉安堂ではなく、本門寺の戒壇に
掛け奉るべき戒壇の大御本尊様。
今は秘蔵厳護すべき時なんです。
  • posted by あ 
  • URL 
  • 2012.08/30 00:18分 
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“あ”さんへ 

“あ”さん、はじめまして。

文面を拝するに顕正会の方とお見受けいたしました。

私のブログに書き込んでくださる顕正会の方は久しくいらっしゃらなかったもので、大変ありがたく思っております。

真摯に対応させていただきますので、“あ”さんも最後まで是非とも御付き合いいただけると有り難く思います。


さて、質問の内容が多岐にわたりますので、一つずつお答えしていこうかと思います。

順序は逆になりますが、御開扉についてからいきたいと思います。

“あ”さんの発言は現在の顕正会で教えられていることを踏まえてのものだと思いますが、顕正会が破門される以前(当時は妙信講)においては、まったく逆のことを顕正会員(当時は妙信講員)は教えられていました。

以下は以前に私がアップした破門以前の「富士」(妙信講の機関紙)の記事です。

http://houonbou.blog.fc2.com/blog-entry-93.html


http://houonbou.blog.fc2.com/blog-entry-94.html


これを見ると、現在の主張とは全く正反対のことを述べられていますが、“あ”さんをはじめとする現役顕正会員さんはどのように整合性をたもって会通しているのでしょうか。

また、日寛上人の時代にも御開扉は行われておりました。これは日寛上人に関する様々な説話の中にも出てくるので確認できます。

顕正会は日寛上人を崇め奉りますが、それでは日寛上人は不敬の人なのでしょうか?

違いますよね。

おそらく顕正会の皆さんは「強信の信徒さんだけに内々に御開扉を許されたのである。」と返答することでしょう。

しかしちがうのですよ。上記説話の中には、物見遊山で御開扉を賜わろうとしたと思われる信徒を受け付けの御僧侶が追い返した。それを知った日寛上人が慌ててその信徒さんを呼び戻して御開扉を許されたという話が出てきます。

確かに信仰の姿勢が疑われるものには御開扉を許されないのが大原則です。しかし、そのような者にも救いの手を差し伸べるのが一切衆生を救う側の大慈悲ではないでしょうか。

日寛上人の御振る舞いは、そのような考えが根底に在られたような気がいたします。

そのような考えのもとに現在に至るわけですから、信徒のみに許され、部外者には一切内拝を許さず、また世間一般に御開扉を宣伝しているわけでもない現在の御宗門が不敬をしているとは言えないと思いますよ。

そして上記日寛上人も「志有ん人は登山して拝し給へ」と御指南されているのですから、不敬の御開扉だと主張する顕正会員さんは、まずこの日寛上人の御指南から真っ先に論破しなくてはならないはずです。

それは出来ますか?

  • posted by トチロ~ 
  • URL 
  • 2012.08/30 06:48分 
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「志有ん人は」ですよね?

付け願いは志でしょうか?
日寛上人は志有るものに、拝したまへと、仰せですよね。
末寺にもよるんでしょうけど、
お金さえ振り込めば、参詣したことになる。という誘いを行っていること事態が、不敬にあたりますよね。
今の御開扉は
秘蔵厳護に値するんでしょうか?
自分はそうは思えません。
「強信のもののみやむなく内拝」
と聞いています。
日寛上人の時代は、戒壇の大御本尊様をどこに、秘蔵されていたのか示して下さい。
奉安堂ですか?
戒壇の大御本尊様は
「本門寺の戒壇」に掛け奉るべき大御本尊様です。
その時が来るまでは、「守護すべし」なんです。
今の御開扉は守護に値しない。
大事な宝ならば、堅固な金庫に入れておきますよね?
宗門に入信すれば、誰でも易々と
参拝可能ですよね。そういう面からも
秘蔵厳護すべきなんです。
年間に何回ぐらい御開扉ありますか?
恐らく、一年と空く事は無いでしょう。
営利の具としている事は、いうまでもないです。これは宗門側の問題。
登山する人の中には、純粋に感激をいだいて参詣される方もいると思いますが、「いつでも参加できる」ような頻繁な回数で御開扉は行われているのでは?
「強信の者のみやむなく内拝」の域を越えているのでは?
それを信徒さんは見つめ直す頃合いではないでしょうか。
秘蔵厳護に相対し、今の宗門が行っている御開扉を今一度見つめ直して下さい。

  • posted by あ 
  • URL 
  • 2012.08/31 13:55分 
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“あ”さんへ 

付け願いに関しては本日の日記に書いてあります。

よく読んでから批判されて下さいね。

なお、“あ”さんの批判は何ら文証を示しておりませんよね。

私は妙信講の文章、日寛上人の文証を示したのですから、“あ”さんもご自身の主張の裏付けを提示しなければなりませんよ。

まずは妙信講の御開扉賛嘆の富士の記事と、現在の顕正会の御開扉不敬の整合性を、文証をあげて説明して下さい。
  • posted by トチロ~ 
  • URL 
  • 2012.08/31 14:33分 
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今の御開扉に関して、

文証を示してその正当性を証明できますか?
日昇上人は昭和30年奉安殿落慶に臨み
「必ず来るべき国立戒壇建立の暁まで守護すべし。後々の法主も一心同体たるべきと確信す。願くば宗祖大聖尊の法魂、安穏に常住したまわんことを」顕正新聞8月25日号より抜擢

国立戒壇名称放棄、正本堂建立にあたり
先生と会えば正論を述べ、学会と会えばそちらに靡くという事を繰り返しておられましたよね。
もちろん正論を述べて正本堂は御遺命における戒壇ではないと、認めれば御登山を願い出る事もありえる話です。

お互いに、日昇上人の時代の御開扉も
どのように行われていたか、見たわけではないので知りませんよね。

ただ言えるのは今の宗門がやってる御開扉が
不敬にあたるか否かという事です。

上記に示した
日昇上人の仰せを正直によんで、
今の御開扉が秘蔵厳護に値するのかどうか
自身で判断するしかないでしょう。
私は値しないと自分自身思ったから
不敬だと言います。
どういうところが不敬なんだというのは
先程示した通りです。
「強信の者のみやむなく内拝」
がどのように、行われていたのか知りません。
しかし
戒壇の大御本尊様が、どれほど重大な大御本尊様か、考慮した上で、今の御開扉は、秘蔵し厳護してるとは到底思えない。

あなたは秘蔵厳護してると思えますか?
  • posted by あ 
  • URL 
  • 2012.08/31 16:05分 
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  • [Res]

“あ”さんへ 

引用された日昇上人の御言葉ですが、その前には以下のように述べられています、

「之れは是れ宗祖の妙法蓮華経が一天四海に広宣流布のときこそ之の時なり。未だ時到らずと雖も、今次創価学会は折伏之れ命として只管広宣流布へと邁進して居るのである。その功ありて信徒の増加は未曽有の実を示し、例月の登山参拝者は一山に充ち宝蔵開扉の願主一堂に溢る。

茲に法華講大講頭たる、創価学会々長戸田城聖大発願を起し、近代的様式による耐震耐火の大宝蔵を建立して寄進せり。血脈付法の法主を継げる日昇之れを受納して、戒旦本尊奉安殿と名付け、今落慶の式を行う、此処に戒旦本尊を永久に安置し奉るなり。「時を待つべきのみ事の戒法とは之れなり」の金言を身に体し、必ず来るべき国立戒旦建立の暁まで守護すべし。後々の法主も一心同体たるべきと確信す。願くば宗祖大聖尊の法魂安穏に常住しましまさんことを。」(顕正会の文章は最後が間違っていますね…。蛇足ではありますが…。)

となっております。赤字で示した通り、奉安殿は信徒数の増加により、より多くの方々に内拝させなくてはならなくなったために建設されました。この当時のあり方がOKならば、現在の御開扉も何ら不敬呼ばわりされるものでは無いですよね。


更には同じく奉安殿落成式における日淳上人の御言葉です。

「従来本宗では戒旦本尊は深く秘蔵するといふ興師の方針に則って来ました。それが茲に公称された事は本宗の一転機を為すものであります。興師は石川、南条の名を列ねて戒旦堂を建立する時はこうあるかと云われてをります。六〇〇年の間僧俗は何んとかして戒旦本尊を公けにしなければならぬかと努力して来ました。それが今日一歩前進するものである。今日蔵から御出ましになると云ふことは誠に御同慶にたえず感謝する次第です。これは私ばかりでなく宗門挙げて感謝していることと思います。皆様に厚く御礼申上げます。」


と、こう述べられております。

この日昇上人、日淳上人時代と現在ではどこに相違があるのでしょうか?

“あ”さんは日昇上人の御言葉を引用して批判されましたが、それはそのまま日昇上人、日淳上人を批判する言葉になってしまっていますよ。


これが浅井教学の限界なんです。


切り文しか学ばず、全体観を掴んでいないからこのような単純ミスをやらかすのです。

最後になりましたが、“あ”さんは「自分自身思ったから
」「自身で判断するしかないでしょう。」「秘蔵し厳護してるとは到底思えない。 」と、御自身の感想だけで正邪を決めつけております。感情論だけで良いなら御書など必要無いでしょう。

あくまでも裏付けとなる文証を示してこそナンボなんですよ。

  • posted by トチロ~ 
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  • 2012.08/31 21:23分 
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横レス失礼 

はじめまして あ さん
一信士と申します
よろしくお願いいたします。

>ただ言えるのは今の宗門がやってる御開扉が
>不敬にあたるか否かという事です。

あなたが言われる不敬とは、一体いつの瞬間から不敬に当たるといわれるのでしょうか?具体的に教えていただけないでしょうか?

>「強信の者のみやむなく内拝」

開山上人は、これを弘安二年に密付せられて、正しき広布の時まで苦心して秘蔵せられたのであるが、上代にはこのことが自他に喧伝せられなかったが、いずれの時代からか、遠き広布を待ちかねて特縁により強信により
内拝のやむなきにいたり、ついには今日のごとき常例となったのは、もったいない事であるから、四十余年前には、有名な某居士が懇願して月一回という事にもなった事があったが、永続しなかった。(堀上人 日興上人詳伝)   
ここからの引用でしょうか?

重ねてよろしくお願いいたします。

更に“あ”さんへ 

次に

「もちろん正論を述べて正本堂は御遺命における戒壇ではないと、認めれば御登山を願い出る事もありえる話です。」

とのことですが、妙信講は 昭和48年5月15日、並びに昭和49年4月9日に御開扉を願い出ておりますよね。

されば、この時点で御宗門は正論を述べられており、正本堂は御遺命の戒壇では無いと認めている。と、浅井会長は判断したと言えるのではないですか?

だから御開扉を申請したのですよね?


違いますか?




明確にお答えくださいませ。


  • posted by トチロ~ 
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  • 2012.08/31 21:38分 
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