顕正会の誤りについて:顕正会疑惑本尊について 2

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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顕正会疑惑本尊について 2

前もってお断りしておきますが、私は顕正会の本尊をニセだとは断定致しません。限りなく黒に近いグレーだとは思いますが、断定するだけの物証を私は持っておりません。よって、あくまでも“偽作の疑いが濃厚である。”という線でお話しを進めてまいります。



さて、前回は平成4年から日布上人の普通サイズの御形木御本尊が出現してきた事を提起いたしました。


それ以前の顕正新聞を見ると、たとえ事務所や会館が出来ても日布上人の御本尊様だとは一言も出てきません。大体がそれ以前は今ほど事務所や会館が乱立はしておらず、ビデオ放映の会場一覧をみても数える程度しかその名前は挙がっておりません。また自宅拠点といえども学会から入ってきた方の自宅の御本尊様はそのまま御安置しており、その御本尊様の前でも入信勤行が行われておりましたので、御本尊様に不自由はしていなかったと見るのが正しいかと思います。

すなわち、妙縁寺に現存していた数百幅の日寛上人の御形木御本尊様だけであっても、十分にことは足りたとみるべきかと思います。



しかしながら、平成4年頃からはそうはいかなくなったのでしょう。

つまり、学会が日蓮正宗から破門され、大量の学会員を顕正会に引き込むためには、どうしても日寛上人の御形木御本尊様では都合が悪くなったのだと思います。

これは本物の日寛上人の御形木御本尊様を拝見したことがある方なら納得されるかと思いますが、どこからどう見ても、数十畳の部屋に御安置して何十人もの人間が参詣するための御本尊様では無いからです。日寛上人の御形木御本尊はあくまでも個人の自宅で信行に励むためのものであり、それに見合った大きさでしかないのです。これはもちろん日達上人や日顕上人の御形木御本尊様もしかりであり、また日布上人の御形木御本尊様も同様です。

ただ、日寛上人の御形木御本尊様はそれよりも一回りも二回りも小さいのですから、せいぜい8畳間が限度でございましょう。それ以上の20畳近い部屋ではお姿自体をしっかりと拝することなど出来なくなってしまいます。そこに大きな大きな問題が潜んでいたのだと思われます。


私は学会の経験がございませんので、学会の会館等ではどのような御本尊様が御安置されているかは分かりません。ただ、破門されるまでは正しく日蓮正宗信徒であったのでしょうから、会館を新設される際などは正式にそれに見合った常住御本尊様を御下附されていたと思われます。


さればそのような会館に参詣し、それが通常だと認識している学会員が仮に顕正会に入ってきた場合、たとえ事情は理解しようとも、あまりにもプアーな環境しか提供出来ない顕正会に対して疑問を抱くことも想像出来ます。


学会員の大量確保…。


この目的達成の為にはどうしてもクリアーしなければいけなかった問題…。


それが会館の御本尊問題の本質だと私は思います。


世間においても犯罪に手を染める輩はいきなり大きな犯行に及ぶことはありません。

最初は子供だましのような可愛い犯罪で様子を見、それによって味をしめて徐々に大きく大胆な犯罪に手を染めるようになっていくものです。

顕正会の本尊問題もこれと同様に思えます。


理由は前回のようなものでございましょう。しかしながら、当時においては正信会はもちろんのこと学会においてさえ御本尊を自作はしておりませんでした。学会が現在の御本尊を作成し配布を始めたのは平成5年になってからです。顕正会の本尊疑惑が黒ならば、学会が始めるその1年以上も前に顕正会ではそれをやっていたことになります。

平成4年4月の上尾事務所から始まり、平成5年11月の尾道事務所にいたる5カ所の事務所に置いて会員の反応を見ると共に世間からの反応も見ていたのでしょう。そのためには万が一批判が外部から発生したとしても言い逃れが出来るように、過去に置いて御下附されていた実績のある日布上人の御形木御本尊を使用したものと見受けられます。

しかしながら、これ自体が実は非常に不自然なことでもあるのです。

現在の法華講員においては日達上人、日顕上人の御本尊様をご自宅に御安置されている方が大多数でございます。御下附されなくなって半世紀近く経つ日寛上人の御本尊様を御安置されている方に出会うことは非常に珍しくなってきております。

私自身この6年間で日寛上人の御本尊様を御安置されている講員さんに出会ったのは僅かに2人だけです。分母は3ケタであるにもかかわらずです…。それだけ珍しい時代になっているのです。ましてや日布上人の御形木御本尊様を御安置されている方においては、たまたま偶然に講中とは関係ない法華講員さんのご自宅で拝見させて頂いた1件だけにしかすぎません。

私の身の回りにおける日寛上人の御本尊様の存在は1%、日布上人の御本尊様についてはコンマ数%といったのが実態なのです。これは全国を見渡しても大同小異だと思われます。もちろんのこと、平成4年といえば既に20年弱の月日が経ちますので、もう少し残っている御本尊様の数は多かったかもしれませんが、それでも御下附されなくなってから40年弱経っているのですから、これだけ頻繁に目にすること自体が不自然です。

それと一番大事なことは、日寛上人の御本尊様に関しては一時期大々的に御下附された御本尊様ですから多少現在でも目にすることは理解出来ても、日布上人の御本尊様に関しては妙光寺にて御下附されていたにすぎないのですから、ここまで多くを目にすること自体が不自然なのです。

このような批判が平成4年当時に巻き起こっていたのなら、顕正会も警戒して、それ以上の行動には出なかったことでございましょう。しかしながら、幸か不幸かそのような批判は無かったが故にドンドンとエスカレートしていったのでしょう。




それは平成6年11月の横浜会館が追い打ちをかけ、いよいよ本格的に大胆な犯罪に踏み出していくこととなるわけです。


平成6年11月の横浜会館においては日布上人の常住御本尊様が御安置されました。横浜会館の参詣室が何畳だったかは私も数えていなかったのですが、そこそこ広かった部屋にはこの常住御本尊様の大きさは非常にマッチしていたと思います。

やがて何の説明もないまま、この御本尊様は現在の疑惑大幅御形木御本尊へと差し替えられてしまうのですが、当初は純粋な気持ちで大きな会館には大きな御本尊様をと御安置されたのでしょう。

ただ、今考えればこの横浜会館での経験が、無理をしてでも部屋にマッチする大きな本尊を全国にばらまいていく切っ掛けになったような気が致します。

その後は平成7年に京都、高崎と、日布上人の通常の大きさの御形木御本尊が安置されていく訳ですが、その後に一旦小休止がございます。





しかしながら、水面下ではこの2年の間に大きな動きをしていたと思われるのです。そして平成9年になってから、その謗法は一気に表に吹き出していくのでございます。









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そのような本物とは違う本尊に手を合わせてはいけません!




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