顕正会の誤りについて:顕正会疑惑本尊について 1

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

顕正会疑惑本尊について 1

樋田さんの対決申し入れ?の期限を明日に控え、何やら世間は本尊問題についてにぎやかになってきたような気がします。


まことに喜ばしいことです。



セロリさんが、顕正会において日布上人の御本尊様をコピーし始めたのは平成4年からであるとの説を熱心に推し進めていらっしゃるもので、私も過去の記事を読み返して自分なりの考察を今一度確認した次第です。  



結論としては、




「私は凡夫であるから分からん…。」




というのが、現時点での最終結果ですが、まぁ当時は面白い珍説を唱えていたものよ…。と我ながらニヤニヤしながら読みふけってしまいました。



私の妄想は置いといて、何だかんだと資料としての価値もある記事ですから、ここに転載してみようかと思います。



皆様の破折に何か役立てていただければ幸いです。



****************************

日布上人の御形木御本尊についてですが、まずは下記の一覧を見て下さい。

これは楽天でブログを書かれている“サンビャクマンさん”のまとめられたものです。

※参考 日布上人書写のご本尊の安置が顕正新聞で確認できた地方拠点(特記なしは大幅か普通形木か記述なし・赤字は既閉鎖)

上尾事務所礼拝室(平成4年4月12日) 
新横浜事務所(平成4年5月3日)
水戸事務所(平成4年5月10日)
笹口事務所(平成4年11月29日)
尾道事務所(平成5年11月3日)
横浜会館(平成6年11月23日)=大幅(常住ご本尊のことか?)
京都事務所(平成7年1月29日)
高崎事務所(平成7年6月12日)
仙台会館(平成9年9月15日)=大幅
名古屋事務所(平成9年9月25日)
小田原会館(平成10年2月8日)=大幅
秋田会館(平成10年4月25日)=大幅
宇都宮会館(平成10年6月7日)=大幅
旭会館(平成10年10月18日)=大幅
八戸会館(平成10年11月8日)=大幅
渋川事務所(平成10年11月15日)
沖縄会館(平成10年12月13日=大幅
三条会館(平成10年12月27日)=大幅
水戸会館改修遷座(平成11年1月24日)=大幅
千葉会館(平成11年12月5日)=大幅
旧青年会館(平成11年12月26日)=大幅
このあと、新本部会館・札幌事務所・新富士事務所以外は日布大幅
(但し高崎会館・松山会館・高知会館は大幅か普通か記述なし。高知会館はかつて常住ご本尊を安置)


http://plaza.rakuten.co.jp/pumiexiejiao/diary/200912010000/




これを見て私は目から鱗が落ちる思いでありました。

つまり元々顕正会員であった私には知らず知らずのうちに“平成10年の正本堂解体に伴い、顕正会は宗門に帰ることを永久に断念し、開き直って御本尊作成に手を染め、日寛上人の御形木御本尊の大量印刷、および会館への出所不明の大幅御形木御本尊なるオンリーワン本尊の創作をしてしまった。”のだと思いこんでいたのです。

おそらく多くの元顕の法華講員さんも同じ思考回路だったと思います。しかしながら、この表を見てみると、本尊作成の疑惑は平成4年にまで遡ってしまうのです。はたして平成4年当時にわざわざ本尊を作成する必要性はあったのか…?
これが私の中に湧いてきた疑問でした。

けれども冷静に客観的に、当時の顕正会の置かれた立場、浅井会長の言動、そして実際に顕正会の手元にあったであろう御本尊の内容を考えれば、これは必然であり、全てが一本の線で繋がってしまうのです。

(つづく)





スポンサーサイト

Comment

本尊論は難しいですね 

いつもお世話になっています。

僕は同級生だったN井元男子部2部長の発言が、一つの証拠だとは思っています。彼が鬱状態になり姿を消す直前に「顕正会は勝手に御本尊様を作っている」との言葉を残しています。

彼の人柄は純朴の一言で表現できます。素直で優しい好青年でした。惜しいことです。

さて、それはともかく…僕は昨今の御宗門のニセ本尊追及姿勢も、異流儀の跋扈が一因だと思っています。化儀抄にも末寺で、しかも末寺の住職が、在御判抜きの御本尊を、書写して授与することを許可している文章を見た事があります。

これが時代相による化儀の変遷なのでしょう。

日蓮正宗では功徳聚は根源様のみという考えで、分身を通して根源様を拝するという本尊観があったのでしょう。戦国期等の凶乱の事相ではそうせざるを得なかったのかもしれません。

ですから、いたずらに謹製・私製御本尊様をニセ本尊と呼んでしまうのもどうかなあと思っています。邪宗の貫主が作ったものは論外ですが、正宗の貎下様が書写したものは、根源の戒壇様を拝している以上、強ちに否定するも怖いです。

ただ、修正・拡大が許されるのか?とか、内得信仰者が壁に向かって祈念する時には思い描けなくても良いか?など、本当に難しいですね。
  • posted by ポリ銀 
  • URL 
  • 2012.07/14 15:32分 
  • [Edit]
  • [Res]

ポリ銀さんへ 

御本尊様に関する一切の権能は猊下様にのみ存するのですから、猊下様がお認めになられた方法であれば、それは謗法とは言えないと思います。


しかし、顕正会が勝手に作成することは猊下様は認めてらっしゃいませんから、仮にこれを行ったとするならば、それは偽本尊だと言ってよいと思います。


なお、顕正会が所持する本物の御本尊様は、“血脈の切れた御本尊”と称すれば問題は無いと思いますよ。

  • posted by トチロ~ 
  • URL 
  • 2012.07/14 17:40分 
  • [Edit]
  • [Res]

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント:投稿可能です。

ご案内

メールフォーム

名前:
メールアドレス:
本文:

プロフィール

トチロ~

Author:トチロ~
顕正会版日寛上人御本尊と、本物の日寛上人御形木御本尊には決定的な相違点が存在するのです。


そのような本物とは違う本尊に手を合わせてはいけません!




顕正会版日寛上人御本尊をお持ちの方はこちらを見てください。

右サイドメニュー

検索フォーム

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。