顕正会の誤りについて:御本尊様について 1

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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御本尊様について 1

山門入口さんのブログを読ませて頂きましたら、宇都宮の御入仏式において浅井会長はまた顕正会員をだましているようですね。


顕正会の本尊にお題目を唱えても何の功徳もありません!

広宣流布の話の最中ではありますが、ちょっと寄り道して、顕正会の本尊について述べてみましょう。


****************************


私たちの胸中には地獄界から仏界までの十界が具わっているのは、顕正会の皆さんも御存じのことと思います。


十界のうち、地獄から菩薩までの境涯は何かしらの縁によって、私たちは顕す事が出来るのです。


しかしながら、最高の境涯たる仏界だけは自力で顕すことは出来ません。


この仏界を顕す為には、最善の縁である御本尊様に相対し、信を持ってお題目を唱えることによってのみ、自身の身に顕すことが出来るのです。


この道理から考えるならば、私達が拝する御本尊様は、正真正銘の仏様でなければなりません。


いくら本物そっくりに作られていたとしても、そこに仏様の魂魄が宿ってなければ、何の意味もなさないのです。


ここに御本尊の大事の由縁があるのです。


それでは何故、物理的には紙と木で成り立っている御本尊様が仏様になるのでしょうか。


この世の中の物質は大きく二つに分類されます。


人間や動物などの心(感情)を持つ“有情”と、草や木などの心を持たない“非情”です。


心を持つ有情が、その胸の内に十界を持っているのは理解出来ると思います。人間はもちろんのこと、犬や猫でさえ喜んだり、悲しんだりしますし、それぞれが感情の赴くところに行動して、その報いを受けているのを、我々は体験を通して既に知っております。


しかし、心を持たない非情に果たして十界が存在するのかと考えますと、今までそんなこと考えもしなかったがゆえに、今ひとつピンとこないかと思います。


そこで一つたとえ話を致しましょう。


ここに一枚の紙と絵の具があります。


この紙も絵の具も、そのままでは人に害を与えることもなければ、利益を与えることもありません。


しかしながら、非常に腕の良い画家がその絵の具を手に取り、その紙に鍾馗(しょうき)さん(五月人形に飾られる髭もじゃの恐い顔をした人形がそれです。)の絵を書いたとしたらどうでしょうか。


それはあくまでも絵ではありますが、見る人々の心に畏怖の感情を起こさしめます。


つまり、心を持たない非情ではあっても、ひとたびそれに手を加える人の境涯によっては、その非情の中に冥伏する十界を引っ張り出してしまうのです。



この道理の上から考えるならば、仏様の御境涯を所持される大聖人様が、その御境涯の上から紙や木にその御境涯を顕したならば、それは単なる紙や木では無く、仏様の境涯を顕した御本尊様となるのです。


そして、大聖人様はその御境涯を日興上人にお譲りになり、日興上人は日目上人へと、代々の御法主上人へ受け継がれているのです。


これを血脈と言います。


ゆえに代々の御法主上人が顕された御本尊様もまた仏様となるのです。


この御本尊様に相向かいお題目を唱えることにより、私達の胸中に仏界が湧現する様子を、日寛上人は文段の中で、池に映る月に例えておられます。


御本尊様に向かい、信を持ってお題目を唱える私達の胸中の池には、御本尊様という月が映るのだそうです。


私達の胸中に映った月は、月そのものではないにせよ、月の美しい姿はそのまま映し出される訳です。


ただし、誰の胸中にも月は映し出されるのかと言えば、そうではありません。


水が干からびてしまった池には月は映らないのです。


当たり前のことではありますが、ここが重要なのです。


たとえお月様は本物であっても、水がなければ映らないのです。



それでは、その水の有る無しの物差しとは何なのでしょうか。


それは“信”だと日寛上人は仰せです。


仏宝(大聖人様)、法宝(戒壇の大御本尊様)、僧宝(日興上人をはじめ代々の御法主上人猊下)への“信”があってこそ、はじめて私達の胸中には水が満々とみたされ、そしてその水に御本尊様という月が映し出されるのです。



この三宝への信が無い者または三宝のうちの二つには信がとれても、残りの一つに信をとれないような者は、残念ながら月を映し出すことは出来ないのです。
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Comment

 

なるほど!!凄く良くわかりました!

勉強になりましたm(__)m

この後も勉強させて頂きます!宜しくお願い致します。
  • posted by サノ 
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  • 2012.07/12 03:10分 
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NoTitle 

とても分かりやすい説明を有難うございます。
分っているようで分っていなかったりするものですから
何度も聞き入れないといけないと思いました♪
またきます(^^)/

サノさんへ 

はじめまして。

そしてコメント有り難うございます。

サノさんは本名でしょうか。総本山の大石寺周辺は佐野姓の方が多くいらっしゃいます。

サノさんも御先祖様をさかのぼると、この信心に御縁されていた方にぶつかるのかもしれませんね。

今後ともよろしくお願いいたします。

  • posted by トチロ〜 
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  • 2012.07/12 07:01分 
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さくらさんへ 

コメントありがとうございます。

顕正会員は純粋なだけに、一生懸命にあげているお題目が、実は御本尊様には届いていないのだと知っている私どもには、顕正会員のあの健気な姿は何とも不憫に映るのです…。

これらの道理は知っているはずなのに、多くの顕正会員を道連れにしようとしている浅井会長のことは許しがたいですよね…。

ただ、真っ向から批判しても瞋恚の炎を盛んにするだけの顕正会員ですから、道理をもって話して気づいてくれるのを待ってみたいと思います。

一人でも多くの顕正会員の方が一日も早く気づいてくれるのを祈るばかりです。

  • posted by トチロ〜 
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  • 2012.07/12 07:08分 
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トチロ~初めまして、宜しくお願い致しますm(__)m
サノは本名です(^-^)
うちの御住職様も大石寺周辺の出身の方で代々、御僧侶だそうです。同じこと言われましたよ(^-^)
また、この信心を始める前に身延にも行ったら佐野が多くいました。
何か繋がりがあるのでしょうかねー
自分の出身は新潟です。
新潟人は罪業が深いそうです(^-^;
佐渡流罪のおり、大聖人様を罪人扱いし石を投げたりした輩が多かったかもしれません(-_-;)
鎌倉の人より佐渡人は酷いと大聖人様に言われたらしいです…
  • posted by サノ 
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  • 2012.07/12 14:30分 
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開眼というと 

最近、私製御本尊が登場したことから、よく開眼について論議されるようになりましたが、40年信心してきてあまり御本尊の開眼というのは聞いたことがありませんでして、今一よくわかりません。

邪宗日蓮宗に保存されている、大聖人様や御歴代様の御本尊様も魔の棲みかといわれますが…どういったことなのでしょうか?大聖人様御在世にはその手の問題はなかったので、御書等にも御本尊様に魔が入るという記述は見られないような気がしますが…。

くわしく教えていただけませんか?

サノさんへ 

やはり御住職様からも聞かれておりましたか…。

身延にも多いようでしたら、やはり何かしらこの信仰とは関係があるのかもしれませんね。

>鎌倉の人より佐渡人は酷いと大聖人様に言われたらしいです…


これは初めて耳にしました。心にとどめておきます。どこかでこの出典が見つかったら、たぶんこのサノさんのコメントを思い出すと思います。

  • posted by トチロ〜 
  • URL 
  • 2012.07/12 22:03分 
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ポリ銀さんへ 

御本尊様のことに関しては御法主上人猊下の専権事項ですから、在家の私どもがあぁでもないこうでもないとは言えません。

参考までに御隠尊猊下の「創価学会の偽造本尊義を破す」の一説を日記上にアップします。

開眼についてはこれを参考にしてください。

また、文段の

「二に木画二像の草木成仏とは、謂わく、木画の二像に一念三千の仏種の魂魄を入るるが故に、木画の全体生身の仏なり。」(文段214ページ)

の文証をもって開眼というものが存在することは証となるかと思います。

そのうえで、他宗の直筆御本尊からは魂魄が抜け出しているという根拠は、日興上人の「美作房御返事」の

「地頭の不法ならん時は我も住むまじき由」(聖典555ページ)

との御遺言をそのまま応用して考えていけばつじつまが合うはずです。


  • posted by トチロ〜 
  • URL 
  • 2012.07/12 22:40分 
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ポリ銀さんへ(補足です。) 

ポリ銀さんが御指摘された発言の根拠は以下の御金言からだと思われます。


「法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。今真言を以て日本の仏を供養すれば、鬼入りて人の命をうばふ。鬼をば奪命者といふ。魔入りて功徳をうばふ。魔をば奪功徳者といふ。鬼をあがむるゆへに、今生には国をほろぼす。魔をたとむゆへに、後生には無間の獄に堕す。」

(御書638ページ)



  • posted by トチロ〜 
  • URL 
  • 2012.07/12 23:38分 
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大変すいませんでしたm(__)m
トチロ~さん
呼び捨てになってました…大変失礼いたしました
m(__)m
  • posted by サノ 
  • URL 
  • 2012.07/13 12:11分 
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サノさんへ 

私もよくやらかします。

まったく気にしておりませんので、お気になさらないでください。

またコメントいただけると嬉しいです。


  • posted by トチロ〜 
  • URL 
  • 2012.07/13 22:19分 
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