顕正会の誤りについて:広宣流布について 5

顕正会の誤りについて

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広宣流布について 5

前回は法華経薬王菩薩本事品の有名な一説を引いて全世界への広宣流布の根拠を示したわけですが、ここで一度引いて広宣流布に関する基本的な考え方の全体観を見ていきたいと思います。


以下は私たち信徒の教科書的存在の日蓮正宗要義からの引用です。少し長いですが、大事なことをまとめて書かれてありますので、じっくり読んでみてください。


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    十九 広布への願業


 広宣流布は本仏日蓮大聖人の遺命であり、宗門七百五十年の悲願として、日蓮正宗僧俗の夢寐にも忘れてはならない大目標である。

 宗祖大聖人はあらゆる御書に枚挙のいとまなく広宣流布を教示されているが、その一・二の例を挙げれば

「法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の、一閻浮提の内に八万の国あり、其の国々に八万の王あり、王々ごとに臣下並びに万民までも、今日本国に弥陀称名を四衆の口々に唱ふるがごとく、広宣流布せさせ給ふべきなり」(撰時抄・新編八三七)

「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義に非ずや。剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」(諸法実相抄・新編六六六)

 等の文のごとく、本仏の大慈大悲による大確信を拝するのである。また二祖日興上人は

「未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事」(新編一八八四)

 と烈々たる広布への信念をもって門下を策励なされている。

 広宣流布とは王法たる世間法と仏法たる出世間法の冥合であり、これは仏法による国土人心の大霊化・妙法化にほかならない。故にこの大事業は、法華経宝塔品の六難九易の難事に示されるように、容易に成就しがたいのである。第三祖日目上人をはじめ歴代各上人は、身命を抛って国主諫暁や寺門の維持経営、興学・布教に挺身せられたが、回天の時至らず、唯授一人付嘱の正義は富士の麓に七百有余年の間、脈々として絶ゆることなく伝えられたのである。

 しかし、長年にわたって国家民衆を誑惑した邪宗の害毒はいまだ一掃されず、巷には様々の偏った思想と誤った信仰が渦を巻いている。このような見惑充満の社会においては、価値観の多様化が指摘されるとともに、善悪の基準が、一層、不明瞭・不統一となり、個人主義的・唯我独尊的な独断が助長される半面、生命の軽視・蔑視の風潮はいよいよ強まりつつある。もちろん、このような社会相も、本来、仏陀の予言された末法五濁の現実相なのである。

 たとえいまだ謗法の宗教・思想等が重畳しつつあるとはいえ、仏語虚しからずという金言を思えば、必ずや真の僧俗和合の下に一段の進展があって、広布達成の機運が巡り来ることを信ずるものである。

 いわゆる衆生は無辺であるといっても、その無辺の衆生を導こうとの誓願の実践こそが、正宗僧俗の信念である。仏道は無上で究めがたいといっても、その仏道を究めようとの道念こそが大切である。まして従来の各項に述べてきたように、本仏日蓮大聖人の仏法は貴賎・賢愚を論ぜず、純一無二の信心によって直ちに即身成仏の大益を約束される直達正観の大法である。この大仏法を除いては、一切民衆の生死の苦悩を救済する道はありえない。

 故に本仏の金言としての広宣流布の成就を確信し僧俗は一致和合して異体同心に広布の大業に邁進すべきである。


(日蓮正宗要義370~371ページ)


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この赤字で抜いた部分が、広宣流布ということを正確に認識していくうえでのポイントとなる部分であろうと思います。


まず冒頭で「広宣流布は本仏日蓮大聖人の遺命であり、宗門七百五十年の悲願として、日蓮正宗僧俗の夢寐にも忘れてはならない大目標である。」として、広宣流布が御遺命であることを示し、大聖人様の仏法で成仏を願う我々信徒が決して忘れてはならぬ大事であることを教示されてます。


そして、次が最大のポイントかとも思うのですが、まずは撰時抄を引かれ、一閻浮提の広宣流布を根拠として挙げられます。


そのうえで並行して、今度は諸法実相抄を引かれて、日本国における広宣流布をまた示されるわけでございます。


つまり、どちらが上でどちらが下である。もしくは、どちらが優先でどちらが付随するものであるということではなく、あくまでも同時並行で広宣流布の様相を顕していかなくてはいけないものであるということが、この段階でも推察できます。


そして、広宣流布の意味合いとして、「広宣流布とは王法たる世間法と仏法たる出世間法の冥合であり、これは仏法による国土人心の大霊化・妙法化にほかならない。」として、この原理は国土の違いや人種の違いなどを超越する、人びとが幸せになる根本的な原理原則であり、この原則は日本一国のみにとどまるものでは無いということが認識できるわけであります。


この段階でおおよその広宣流布の意義、そしてその理想については理解できた状態ではありますが、ただし現実的には大聖人様の仏法との因縁の浅深というものもまた存在することを、「故にこの大事業は、法華経宝塔品の六難九易の難事に示されるように、容易に成就しがたいのである。」として断りを入れ、一歩踏み込んだ理解もまた必要になることを匂わしいているのだと思います。要はここからがまた一つのステップなのでしょう。


そして、更にそこからまた一つステップがありまして、“そのように難しい事業ではあっても、私たちはどのような姿勢でこれに臨んでいくべきなのか、どのようにこれを理解して受け止めていくべきなのか。”ということが「 たとえいまだ謗法の宗教・思想等が重畳しつつあるとはいえ、仏語虚しからずという金言を思えば、必ずや真の僧俗和合の下に一段の進展があって、広布達成の機運が巡り来ることを信ずるものである。」として示されるのでありましょう。


最後に、前々回の日記でも示したような、“東弗婆提、西瞿耶尼、北鬱単越には広まり難いのに、なにゆえ一天四海広宣流布を願うのか。”(これはさらにスケールを小さくした一閻浮提広宣流布にも当てはまる理屈につながっていくかと思います。)の理由を述べておられます。


このようにたった2ページ強の短い文章ではありますが、この中に広宣流布の意義や考え方がぎっしり凝縮されているものであります。


是非皆様方においては、原本を何度も読んでいただき、思考を繰り返していただければと思います。


おのずと見えてくるものがあると思います。



蛇足ですが、最後の青字で抜いたところは、仏国土の様相を事実上に顕すための最大のポイント、かなめだと感じましたもので、あえて青字で示してみました。



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Comment

NoTitle 

日蓮正宗要義には広宣流布の定義がちゃんと書いてあったのですね!

勉強になりました(^0^)/

セロリさんへ 

日蓮正宗要義は本当にありがたい存在です。

何か一つのことを調べていって、散々調べた挙句に日蓮正宗要義を見ると、全て載っていたりするんです…。

それもあらゆる角度から…。

セロリさんもぜひ活用されると良いですよ。


  • posted by トチロ〜 
  • URL 
  • 2012.07/12 01:57分 
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