顕正会の誤りについて:広宣流布について 1

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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広宣流布について 1

さて“正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む”に書かれている「世界宗教だから国立戒壇はない」について書いている途中ですが、広宣流布の定義についてかなりの温度差があるようなので、少し寄り道をしてそれに関して書いていきたいと思います。


このことは上述の「世界宗教だから国立戒壇はない」との根拠にもなるものですから、正確に把握していくことが何よりも肝心だと私は思うのです。


それでは本題に入りたいと思います。


最近巷で幅を利かしている論法として、「大聖人様の御遺命は“一閻浮提の広宣流布であり、その後の本門戒壇建立である。したがって日本一国の広宣流布ではない。ゆえに日本国にしか着目しないのはそもそも間違いであり、日本の国主や国家云々の法論自体が意味をなさないのである。”」といったところでありましょうか。


しかし、これに関して違和感を持つ法華講員は大勢存在いたします。私もその一人ですが、ポリ銀さんが非常にわかりやすくまとめていらっしゃったので、彼の文章を紹介いたします。


広宣流布と戒壇建立は別義であるということです。つまり、今現在貎下様が祈念せられている一天四海本因妙広宣流布は、最後究極の姿であって前段階の戒壇建立への言及を避けられているという、苦肉の姿だということです。」(厳虎独白より転載。)


非常に感心しながら読ませていただきました。


私も彼と同意見であります。特に赤字で抜いた箇所は大事なところであると思うのです。


それを一つ一つ説明していきたいと思います、




が!




その前に一つだけ皆さんにお詫びをしておかなくてはなりません。



以前に私は上記「世界広布後の戒壇建立論者」の方々に対して、「御遺命の戒壇建立の条件としての広宣流布は日本国の広宣流布を言っているのである。」と主張いたしました。しかしながら、御歴代御法主上人猊下の御指南を数多く拝読するうちに、日本一国のみに視野を狭くするのは間違いであるということに気づかせていただきました。したがいまして、その点に関しては訂正をするとともに、お詫び申し上げたいと思います。


ただし、日本以外への広布進展の相は付随的なものであると私は思います。地球上の全国家をもれなく攻め落とした後に戒壇建立ができるというのはまた間違いであると思うわけです。


そのような条件は大聖人様は提示されていないと思いますし、またそれに固執し、断言してしまうとなると、それは己義になってしまうと思うのです。


それでは、次回から順次述べてまいりたいと思います。



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Comment

 

皆さんの教学の深さにいつも感動しながら見させてもらってます。

正直私は(教学が)無いので、何とも解りません。

ただ、ケンショーを辞めてあと数ヵ月で一年になろうとしている今、漸くケンショーの呪縛から一つ一つ解放されてきた感はあります。

この戒壇建立の件もそうですね。

国立でなければならないとか、いつ立てる、立てないとか、最初は異常にとらわれましたが、今は縛られなくなりました。

ケンショーの感覚だと、常時後10年くらいで広宣流布という空気があり、世相も多分それほど変わらないイメージがありました。

しかし、法華講員となり、一天四海広宣流布という事を認識した時、広宣流布は一朝一夕では出来ないのだと解りました。

時代も大きく変わるでしょうし、どの様な世界情勢、国家体制になるか想像も出来ません。

だから私としては未来の解らない事をいくら考えても、結論は「解らない」ですね(笑)

そのうち、もしかすれば猊下からお説法もあるやもしれません。
  • posted by §ASAGI§ 
  • URL 
  • 2012.07/05 11:15分 
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  • [Res]

§ASAGI§さんへ 

コメントありがとうございます。

結論から言えば、§ASAGI§さんのおっしゃる通りだと思います。

戒壇の大御本尊様を大聖人様が顕されたのは、身軽法重、不自惜身命の姿が熱原の法華講衆の身を持って実際の相として現出したからだと思います。

御遺命の戒壇についても同様のことが言えるのではないかと思うのです。

仏法を根本とした麗しき僧俗一致、異体同心の姿が顕れ、それを因とした仏国土の様相が実際のものとなった時、時の御法主上人猊下が広宣流布の宣言を遊ばされ、戒壇建立の大事業に着手されるのだと思います。

しかるに、どの時点を持って広宣流布かということは、時が来てみないと分からないというのが一番正しい見解だと思います。

ゆえに歴代の御法主上人猊下のお言葉を当たって行っても、ハッキリと明言されたものは無いようです。

しかしながら、これを顕正会員に説明しても納得するものは殆どいないと思います。

ですから、出来る限り細かく紐解き、どこからどこまでは正しく、どこから先に行ってしまうと、はみ出しや言い過ぎになってしまうのかを検証していきたいと思うのです。

またコメント頂けると嬉しく思います。

今後ともよろしくお願い致します。
  • posted by トチロ~ 
  • URL 
  • 2012.07/05 12:48分 
  • [Edit]
  • [Res]

 

ご無沙汰致しております。

>大聖人様の御遺命は"一閻浮提の広宣流布であり、その後の本門戒壇建立である。


私見でありますが、広宣流布と戒壇建立は、別けて考えるべきと思います。

そもそも、本門戒壇を建物だと固執するのが間違いだと思うのです。
本門戒壇の大御本尊は三大秘法惣在の一大秘法であります。
三秘の実体は本門の本尊であり、本門の戒壇も本門の題目も本門の本尊あってこそであり、一大秘法たる本門の本尊に三秘が備わっております。
従って、弘安二年十月十二日の本門戒壇大御本尊建立は即ち本門の戒壇も含めた三秘が建立されたと理解するのべきです。
故に、日達上人も本門戒壇大御本尊がおわします所は本門事戒壇(趣意)と仰せであり、日寛上人も「一大秘法とは即ち本門の本尊なり。此の本尊所住の処を名づけて本門の戒壇と為し、此の本尊を信じて妙法を唱うるを名づけて本門の題目と為すなり。故に分かちて三大秘法と為すなり(中略)三大秘法を合すれば則ち但一大秘法の本門の本尊と成るなり。故に本門戒壇の本尊を亦は三大秘法総在の本尊と名づくるなり」と仰せであります。


>日本の国主や国家云々の法論自体が意味をなさないのである。”

大聖人様は、「国主此の法を立てられば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と謂ふは是なり」とは仰せられておりますが、これは国主である天子様が御信心をなされた時のことを仰せと理解するべきです。

その時は、現在の奉安堂をそのまま戒壇堂と改称するのか、それとも新たに建立するのかは、時の御法主上人がお決めになることであり、在家がどうこうと言うべきことではございません。
建物に固執してしまうと、改築時や工事期間中は三秘が円満具足せず、本門戒壇大御本尊は本門戒壇大御本尊ではなくなってしまいます。建物に固執することが本門戒壇大御本尊を否定することになってしまいます。

伝教大師は延暦寺に迹門戒壇を建立しましたが、像法時の広宣流布が達成されたでしょうか?
現実は延暦寺に御勅宣の発したのは伝教大師入寂して七日後であり、広宣流布どころか真言宗の盛んな時代でした。
広宣流布の達成と戒壇建立はしばしばイコールと思われがちですが、広宣流布の途上であっても戒壇建立は有り得るという証明ではないでしょうか?

大切なことは、私達日蓮正宗僧俗が一丸となって広宣流布を推進することが肝要であり、天子様が御信心しやすい環境を作ることになるのであり、民衆立や国立などの言葉に拘り固執し、憲法改正で建立などと話すこと自体が意味の無いことなのだと考えます。

また、神国王御書には「天を地とをもい、民を王とあやまち、石を珠とあやまつのみならず、珠を石という人なり」(新編1304)と仰せのように、いくら民主主義でも「民を王とあやまち」するのは無理があると思うのです。
主権在民だから民が王様だと云う意見も見られますが、大聖人様の時代は武家主権であったのですから、戦後と同じく天皇主権ではありません。そう云ったことも背景も踏まえるべきと思います。
  • posted by たくチャンのパパ 
  • URL 
  • 2012.07/06 20:19分 
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  • [Res]

たくチャンのパパさんへ 

おはようございます。

立正安国とは、正法を立て国を安んずるということだと私も思います。

本門の本尊に向かい、本門の題目を唱える、その場が本門の戒壇であるという、日蓮正宗の基本中の基本が存在するわけであり、それとはまた別の観点からの戒壇建立の意義というものがあるような気がいたします。

本尊の流布が豆腐であり、戒壇建立はオカラであるという考え方を御隠尊猊下は厳しく批判されましたが、そこに大きな意味が隠されているような気がいたします。

いまだ、その意義についてのハッキリとした御指南はありませんが、いずれ事相が追いついてきたときには御指南があるのでしょうね。

今私どもが為すべきことは、御法主上人猊下の御指南のまま信行にまい進し、その過程においてそれぞれが体験を通してその意義について気づいていくことが大事なのではないかと思います。

広宣流布、戒壇建立はスケールの大きなことではありますが、それをもっと小さな単位で現実の世界で実証することは出来るのではないかと私は思います。

つまり、お寺という単位で、大聖人様の理想の姿を具現化出来たとき、そこに起きる現象はそのまま国という単位で、また世界という単位でも起きうることなのだよ。と猊下様は行間に込められて御指南くださっているような気がいたします。

それを各人が実践を通して掴んでいくというのが大事なことなのではないかと私は最近つくづく感じるものでございます。


  • posted by トチロ〜 
  • URL 
  • 2012.07/07 04:43分 
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