顕正会の誤りについて:世界宗教だから国立戒壇はない 5

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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世界宗教だから国立戒壇はない 5

そもそも「世界宗教だから国立戒壇はない」との根拠は、昭和45年4月22日の日達上人の御説法にあります。


『又、国立戒壇ということについては、大聖人様は国教ということを言っておりません。日本国に広宣流布するということは言っている。日本を土台として、「日蓮は此の国に生を受けたり、あに我が国を思わざらんや。」大聖人様が、この国を以って土台として縁あるが故に、ここに戒壇の御本尊を建立遊ばされた。そして、その御本尊は一閻浮提の第一の本尊である。世界の人がここに集まって信心をするところである。その戒壇である。決して国教ではない。日本の国教だけならば、世界の人が信心するわけはないはずであります。だから、国教でないものが、国立がありえないのである。国教であれば、国立ということがあり得るかもしれないが、それがなければ我々の大民衆が集って、この正本堂を建立して事の戒壇として、今日において少しも恥ずることはないと私は信ずるものでございます。』


と、このように御指南くださいました。

これを素直に拝聴すれば、“日本国を中心とする広宣流布、戒壇建立の御遺命ではあるが、一閻浮提の一切衆生を救う大法であるがゆえ、国教化をして一国の殻に閉じこもるのでは布教の妨げになる。大聖人様が「国教化」を命じているなら話は別だが、そうでない以上、国家が大聖人様の仏法を公式に国教として定めるのは、一切衆生を救おうという御仏意に反する行為であり、その国教化が無いのであれば、また国立戒壇という考え方も否定されるのである。”ということが理解できます。

この考え方が根本にあって、御隠尊猊下の「国立戒壇論の誤りについて」と「本問事の戒壇の本義」は執筆されたのであります。



そのうえで浅井会長の反論を見ていきましょう。


まず彼は守護付嘱を持ち出してきました。確かに日本国の国主には守護付嘱がなされています。その意味するところは、“国主独自が持ちうる権力を行使してでも仏法を守護する。」という考え方が含まれているのは前回説明した通りです。


ここにおいて四部の衆が守護付嘱の範囲外であるとする彼の珍説に関しては、まったくの誤りだと言っておきます。



話を戻しまして、国主独自の権力が念頭にあるならば、彼の論もまた正しいと思うかもしれませんが、そこにおいては公式にそれを宣明するのか、もしくは国主たりといえども一信徒として大聖人様の御意を拝して私的に信仰を深めていくところに、所作振る舞いが仏法の理にかなうところへと変化し、国主という立場上、それが国家の行く末に善き結果として反映されるのか、というところに存在するのであります。



すなわち、後者の考え方は立正安国論をはじめ様々な御書にその根拠を見ることが出来ますが、前者においてはそこまではっきりとした根拠を見つけ出すことはできないということでもあります。



そして、この守護付嘱に関する一番の彼の誤りは、


守護付嘱をされたのは“国主”であり、“国家”では無い!

ということであります。



彼は自説を押し付けるために、国主を国家に勝手にすり替えているのです。




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