顕正会の誤りについて:世界宗教だから国立戒壇はない 3

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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世界宗教だから国立戒壇はない 3






前回は、守護付嘱を引っ張り出してきたとこまでは天晴れじゃ!というところで終わってたのかな?


それじゃあ、次いきます!



「では、なぜ守護を国家がするのかといえば、立正安国論に守護付嘱のいわれを説いて云く
 「是(こ)の故に諸(もろもろ)の国王に付嘱して、比丘(びく)・比丘尼(びくに)に付嘱せず。何を以ての故に、王の威力無ければなり」と。
 人類にとってかけがえのない御大法(ごだいほう)を守護するにおいて、比丘(僧侶)・比丘尼ではその実力に欠ける。ゆえに国家がその責務を全(まっと)うし奉るのである。」(正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む197ページ)



浅井会長が言いたいのはこの文を根拠に、

「僧侶には法を守護する資格は与えられていない!ゆえに国主が国家権力をもって法を守護せねばならんのじゃ!」

ってことでしょうか?



残念ながら間違いです!



こんな簡単なことをうのみにする顕正会員ってUMASIKAでしょうか?


少しは御書を自分で拝読したほうが良いですよ。


この引用部分の次にはなんと書いてありますか?


「涅槃経に云はく『今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相及び四部の衆に付嘱す。正法を毀る者をば大臣四部の衆、当に苦治すべし』と」(平成新編御書 245ページ)

と書いてあります。


これは国王にも付嘱するが、国王のみならず、さらに大臣や宰相、四部の衆にも付嘱をするということです。「四部」というのは、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷です。この「比丘・比丘尼」とはまさに僧侶ではありませんか。

すなわち、国王とさらに多くの方々に付嘱をし、その国民的意義において、もし正法を毀り、背く者があったならば、これをまさに「苦治すべし」、つまり懇ろにその悪心を治むべきであると示されるのです。




つまり、守護付嘱は国主のみに与えられたものでは無いということです。この時点で浅井会長の論は間違いであると証明されました。


それでは何故国主を別して取り上げられたのかというならば、


「結局この国王への付嘱という趣意は、正法を護り弘めるための、王様に対する特別な意味を述べておるのです。」(立正安国論212ページ)


の猊下のお言葉に明らかなように、国主のみが持つ権力が正法護持のために活用されることを念頭に置いたうえでの別しての守護付嘱なのでありましょう。




しかしながら、浅井会長はなんとしてでも国家を強調したいがゆえに、僧侶には守護する力が無いから国主のみに守護付嘱をしたのだとの、とんでも発言をしただけにとどまらず、美術品を例に挙げて大いに笑かしてくださるのでありまする。



まぁ、美術品云々に関しては次回に書きましょう。


とりあえずここで顕正会員の皆さんに考えてもらいたいのは、浅井会長は御書でさえも自身に都合の良いように切り刻んでいるということです。


自分に都合の良いように解釈をし、都合の良いように会員に教え込んでいるということなんです。




顕正会員の皆さん、ぜひとも自分の目で御書を精査してください。



すぐに浅井会長のボロが発見できるはずですよ。



そして、浅井会長に騙されていた自分自身が情けなくなると同時に、何としてでも大聖人様の御心に叶う信心をしたい!と切に感じるはずです。



一人でも多くの方が正義に目覚めることを願います。












































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Comment

NoTitle 

ご指摘の通りUMASHIKAです…(^^;)

御書を知らない=浅井センセーの教えが切り文とは気付かない
これほど怖いことはないですね

ありとあらゆる教えがデタラメだと解った時は本当に衝撃でした
  • posted by 絆∽kizuna 
  • URL 
  • 2012.06/21 04:49分 
  • [Edit]
  • [Res]

絆∽kizuna さんへ 

コメントありがとうございます。

実はここの部分は結構繊細でして、日記上にはさらっとしかまだ取り上げてはいないですが、浅井会長の論がまったくのダメダメというわけでは無いんですよ。

つまり、妙信講が破門になっってから十数余年が経った時点で書かれたのが「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」ですが、その間御宗門や法華講員、また学会員(当時はまだ学会の破門以前でしたから、当然のごとく学会員もまた御宗門と同じ立ち位置から妙信講への破折をなしていたと思います。)から「大聖人様の仏法は全世界を視野に入れるものであるがゆえ、国教や国立での戒壇建立はなじまないのである。したがって国立戒壇論は誤りである。」との破折に対する反論として、実践に基づく経験をもとに構築されたものであろうかと思うわけです。

上記の反妙信講側の論は日達上人の御指南や、日顕上人の御登座前の書籍等を基にしたものであるわけですが、両上人の真意を正確に把握して対論に臨んだ人はまれであろうかとも私は思います。

ゆえに、ただ単に両上人のお言葉の上っ面だけを掲げて挑んでくるものには、この守護付嘱という問題でやっつけられるわけです。

これはこれで間違いでは無いと思うのです。

実際に「日本国民の一人一人が国主であるとするならば、この立正安国論に述べられた“別しての守護付嘱”をどう解釈するのだ?」と突きつけられた時、果たして破折しきれるでしょうか。

おそらくは破折できる人はいないと思います。

ですから、ここまでは顕正会の理論にもいちおうは理があると思うのです。

しかし、浅井会長は調子に乗って、顕正会員は御書を知らないからといって、御僧侶を必要以上に陥れた勝手な理屈を述べ、さらには間接的に御法主上人猊下の存在というものに目を向けさせない…、猊下の存在を地の底に落とすような洗脳を会員に対して行っていると強く感じるのです。

そこまで行ってしまえば、やはりこれは叩き潰さねばならぬ邪義だと思うわけです。

長くなりますが、少しずつ書いていきますのでまた寄ってみてください。


  • posted by トチロ〜 
  • URL 
  • 2012.06/21 10:49分 
  • [Edit]
  • [Res]

 

前にガストでいとまんさんと一緒に顕正会員と話したのですが、支隊長は御書根本で信心しなきゃいけないと言ったので、貴殿方は御書を持ってないですよねと言ったところ、ピタッと黙ってしまいました(T_T) 御書を持ってない輩に御書根本なんて言う資格ないですよ(T_T) 盲信するのも、いい加減にしなさいと言いたいです(ToT)
  • posted by ドンチャン 
  • URL 
  • 2012.06/22 12:31分 
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  • [Res]

ドンチャンさんへ 

がストでのやりとり笑いました。

折伏の時は相手の矛盾点を突いていくのが王道ですが、御書を持ったこともない、御書を自ら学んだこともない人に、「御書の通りに信心しなくてはいけませんよ。」とは説教されたくないですよね。

ドンチャンさんの切り返し、私も今後使わせていただきたく思います。

  • posted by トチロ〜 
  • URL 
  • 2012.06/23 07:42分 
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