顕正会の誤りについて:戒壇の事と義 13(浅井会長の的外れな誹謗)

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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戒壇の事と義 13(浅井会長の的外れな誹謗)

ついでにもう一つ。

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⑫浅井会長の的外れな誹謗


それでは浅井会長が上記日顕上人のお言葉に対して述べた異議に対して検証してみましょう。

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では、御要望にしたがって明文を挙げよう。願くば守文の闇者たらずして理を貴ぶ明者たらんことを――。
 まず法華取要抄文段に云く
 「義理の戒壇とは、本門の本尊所住の処は即ち是れ義理・事の戒壇に当るなり。経に云く『当に知るべし、是の処は即ち是れ道場』とは是れなり。天台云く『仏其の中に住す、即ち是れ塔の義』等云々。故に当山は本門戒壇の霊地なり」と。
 「当山」とは、本門戒壇の大御本尊まします大石寺のことである。この大石寺を指して「義理の戒壇」と明らかに仰せられているではないか。(正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む188ページ)


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ここで浅井会長は得意げに法華取要抄文段を持ち出してきます。しかしながら、ここにおいての「義理」とは、戒壇という建物自体は未だ存在しないが、御本尊様の御在所は戒壇と捉えるべきである旨の、本宗における戒壇の意義について説かれているのであって、浅井会長の主張するところの、嫡々書写の御本尊様と同列に論じて「義の戒壇」に分類せよとの意ではございません。したがいまして、この御文を日顕上人への対抗手段として使用することは全く的外れでございます。


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 また寿量品談義に云く
 「未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと雖も、すでに本門戒壇の御本尊在す上は、其の住処は即ち戒壇なり」と。
 「事の戒壇は未だ無し」とした上で「其の住処は即ち戒壇」と仰せられるのは“義理 (道理)において事の戒壇”という意である。なにゆえ義理・事の戒壇に当るのかといえば「本門戒壇の御本尊在す上は」とある。文意全く取要抄文段と同じである。(正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む188ページ)

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これも上記法華取要抄文段と同じであります。この後文には「本尊に打ち向かひ、戒壇の地に住して、南無妙法蓮華経と唱る則は本門の題目也。志有ん人は登山して拝し給え」とあります。これも上記と同じ内容であり、“嫡々書写の御本尊様と同列に括り、大御本尊様の御在所を「義の戒壇」に分類せよ”との意ではありません。「事」の戒壇建立は未来のことではあるが、戒壇の大御本尊様おわしますがゆえにこの地は本門の戒壇であり、この本門戒壇の地において戒壇の大御本尊様に唱える題目が本門の題目ということであります。ここに三大秘法を説明あそばされているのです。また、何故“登山して拝し給え”と申されているかと言えば、三秘総在の戒壇の大御本尊様がおわしますゆえでありましょう。


すなわち、「むしろ本門戒壇の本尊の処義理の戒壇でないことを決し給うている。」という日顕上人のお言葉を裏付けるものとなっているのです。したがいまして、引証としてはずれているわけですね。



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 また依義判文抄に云く
 「南条抄に云く『教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘し隠し持てり、……斯かる不思議なる法華経の行者の住処なれば、争か霊山浄土に劣るべき……』云々。応に知るべし、『教主釈尊の一大事の秘法』とは、即ち是れ本門の本尊なり。『日蓮が肉団の胸中』とは、即ち本尊所住の処これ義の戒壇なり。……『斯かる不思議なる法華経の行者の住処』等とは、所修は即ち本門の題目なり、住処と云うとは題目修行の処、即ち義の戒壇なり」と。
 「教主釈尊の一大事の秘法」とは、本門戒壇の大御本尊の御事である。ゆえに文底秘沈抄には
 「『教主釈尊の一大事の秘法』とは、結要付嘱の正体・蓮祖出世の本懐・三大秘法の随一・本門の本尊の御事なり。是れ則ち釈尊塵点劫来心中深秘の大法の故に『一大事』と云うなり。然るに三大秘法随一の本門戒壇の本尊は今富士山の下に在り」と。されば「日蓮が肉団の胸中」とは本門戒壇の大御本尊所住の処である。日寛上人はこの処を「これ義の戒壇なり」と明確に仰せられているではないか。
 また「斯かる不思議なる法華経の行者の住処」をまた「義の戒壇」とされている。「法華経の行者」とは即日蓮大聖人、そして日蓮大聖人の御当体は即本門戒壇の大御本尊、その「住処」をまた「義の戒壇」と仰せられているではないか。
 以上、明文・白義あたかも天日のごとし。阿部教学部長、もっていかんとなす。(正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む189ページ)

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ここの部分においては、浅井会長は本当に依儀判文抄を理解しているんだろうか??????と疑問を持たざるを得ません。(笑)

すなわち、依儀判文抄の当該部分は前段における神力品の「所以は何。当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於て法輪を転じ、諸仏此に於て般涅槃したもう」已上。」(六巻抄101ページ)の説明として日寛上人が挙げられた部分であり、すなわち何故ここに塔を建てるのかと言えば、

「仏には八相作仏と言って、下天・託胎・出胎・出家・降魔・成道・転法輪・入涅槃という八種の相を示されますが、とりわけ生処(生まれた処)・得道(成道の場所)・転法輪(説法の場所)・入涅槃(入滅の処)を四処として重んじ、塔が起てられたのです。」(日寛上人と興学203ページ)

「同じく文句に、「法華経の在す処もまた生処・得道の場、法論の正体、大涅槃の窟である」とあります。
 あるいは文句記に、『化身(インド応誕の釈尊の身を指す)の八相にすら、四処に塔を起てるのである。まして(法華経に説かれる)五種法師の振る舞う処、及び法華経の在所は法身の四処であり、何れも応に塔を起てるべきである」と説いています。」(日寛上人と興学203~204ページ)

といった塔をたてるべき理由を挙げられた後、戒壇の大御本尊様の御在所に戒壇を建てるべき理由を「南条殿御返事」を引かれて

「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし。かかる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是れなり」(新1569ページ)

この部分にまさしく法身の四処が説かれていることを証明した後、この御文の中に三大秘法が説かれていることを説明したのが、浅井会長の引用部分なのです。

要は、戒壇の大御本尊様は人法一箇の当体であられるがゆえ、その御在所にはまさに戒壇を建立すべきであるとするのがここでの意でありましょう。このことを日寛上人は文底秘沈抄において既に述べられております。顕正会員はよくよくかみしめて拝すべきでありましょう。

「問う、有るが謂わく、宗祖の云わく「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。去れば日蓮が胸の問は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の処、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なり、斯かる不思議なる法華経の行者の住処なれば、争でか霊山浄土に劣るべき」云云。今此の文に准ずるに延山は正しく是れ法身の四処なり、豈最勝の地に非ずや。
 答う、教主釈尊の一大事の秘法とは結要付嘱の正体、蓮祖出世の本懐、三大秘法の随一、本門の本尊の御事なり。是れ則ち釈尊塵点劫より来心中深秘の大法なり、故に一大事の秘法と云うなり。然るに三大秘法随一の本門の戒壇の本尊は今富士の山下に在り、故に富士山は即ち法身の四処なり、是れ則ち法妙なるが故に人尊く、人尊きが故に処貴しとは是れなり。」(六巻抄64ページ)

そして、浅井会長が引用した「是れ義の戒壇なり。」「即ち義の戒壇なり。」は未だ戒壇の建立はなくとも、「本尊所住の処」および「題目修行の処」は戒壇と見るべきであるということであり、これもまた上記に引用した法華取要抄文段、寿量演説抄と意味は全く同じであります。

結論として、くどいようですが、これらの引用文においての「義理」とは、戒壇という建物自体は未だ存在しないが、御本尊様の御在所は戒壇と捉えるべきである旨の、本宗における戒壇の意義について説かれているのであって、浅井会長の主張するところの、“嫡々書写の御本尊との同じくくりで義の戒壇に分類すべきである。”との証明にはならないのです。したがいまして、この御文を日顕上人への対抗手段として使用することは全く的外れなのです。むしろ日顕上人も仰せになっておりますが、“むしろ本門戒壇の本尊の処義理の戒壇でないことを決し給うている。”というのが正しい解釈の仕方でありましょう。







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Comment

勉強になります 

僕も教学の研鑽頑張らなきゃ(笑)。

拙ブログにも書いたとは思うのですが、戒壇の義と事の教学もなんらかの大人の事情があったようです。酒で呆けた頭で、記憶をたよりに書きますので御容赦ください。

僕が創価学会の教学試験を受けたのが、高校生の頃で平成元年か昭和63年か…巨人が駒田や岡崎の活躍で優勝した頃です。

たしか、その頃の創価学会のテキストでも、浅井さん流の戒壇義が教えられていたように思います。そして御丁寧に( )書きで、正本堂建立により現在は事の戒壇が完成とありました。

ですから、当時は学会では(言い訳するようで苦しいですが、学会=宗門と思っている人がほとんどで、僕自身学会2世で学会宗門一体と認識)、今現在の奉安堂での蔵の形式での御戒壇様のお姿は、義の戒壇の姿で広宣流布後の公開さた姿での御戒壇様が、事の戒壇のお姿だと思っていました。

ですから平成22年に法華講へ戻ってみると、御戒壇様が事の戒壇で、寺院や家庭の御本尊様が義の戒壇というお話は、40歳を前にして初めてお聞きしました。

あまりの教学の違いに驚愕したものです(笑)。

ポリ銀さんへ 

「今現在の奉安堂での蔵の形式での御戒壇様のお姿は、義の戒壇の姿で広宣流布後の公開さた姿での御戒壇様が、事の戒壇のお姿だと思っていました。」

「御戒壇様が事の戒壇で、寺院や家庭の御本尊様が義の戒壇」


これは両方とも正解なのですよ。

比較相対の物差しを「戒壇の大御本尊様のみを対象として、広宣流布の以前と以後による立てわけ。」とすれば前者になり、比較相対の物差しを「戒壇の大御本尊様と、それ以外の御本尊様の住所によるたてわけ。」となれば、後者になるわけです。

学会の( )書きの部分は前者の比較相対に作為を持って後者を紛れ込ませたものであり、顕正会の誤りは、後者の比較相対なのに、前者における日寛上人の「義理の戒壇」という表現を押し付けているにすぎません。

一見複雑そうに見えますが、理屈はいたって単純明快なんですよね。


ありがとうございました 

トチロ~さんに啓発されて、この三連休で六巻抄を読み直ししているところです。

義の戒壇には、両義のあるところ、腑に落ちました。

本門の本尊処住のところと、修行のところのニ意ですね。

ポリ銀さんへ 

ブログを拝見しました。

いつもながらポリ銀さんの速読の技術には感嘆させられます。

ところで、私も改めて六巻抄の該当部分を読み直しました。

「初めに義の戒壇を示すに亦二と為す。」

のところはさらっと読み流しておりました…。

既にこの「二つの義」の部分にて、法体に約しての義と事相に約しての義が区別して説かれているように私は感じました。

「つまり、「題目修行の場所としての義」は嫡々書写の御本尊の住処、「本門の本尊所住の処としての義」は、御遺命の戒壇建立以前の、戒壇の大御本尊の住所として既にこの部分で説いたのち、「三に「所以者何」の下は釈なり。」の部分で後者の義をより詳しく説いているように感じます。

で、これだけを見るならば、広宣流布以前の戒壇の大御本尊様所住の処は義の戒壇という考え方が中心になるように思えますが、そうではないと私は感じます。

実は先日法華講の先輩からお便りを頂き、「著作物登場の背景や、時代的な動きが分からないと、寛尊の深意は理解できないですね。」とのアドバイスを頂きました。

それを念頭に改めて考えるに、これはガツンと破すの著者の方々が示される、「本尊の人法と者、人即久遠元初の自受用身法即事の一念三千曼陀羅也。戒壇の事理と者、事即富山の戒壇、理即一閻浮堤の末寺・末山、及び諸檀の仏壇、惣じて書写の本尊安置の在処は皆是道理の戒壇也。(第二十六世日寛上人:抜書雑雑集下)の方が、実は考え方の中心なのではないかと感じるのです。(つづく)






ポリ銀さんへ(続きです) 

私は歴史に疎いので何とも説得力がありませんが、当時は金沢法難をはじめとする数々の法難があったわけで、もし仮に戒壇の大御本尊様を中心とする事と義の立てわけを表だって宣揚すれば、世間の怨嫉の的は信徒から戒壇の大御本尊様へと移行するのは想像に難くありません。

その国家権力を利用しての攻撃を、当時の御宗門が防ぎ切れるかといえば、はなはだ難しい問題と私は感じます。

されば、破折書等での外部に示す法義においては、戒壇の大御本尊様中心の考え方はその文の中に秘し、そのうえで弟子檀那等の御指南中には本来の意義を示し給われたのではないかと思うのです。

そう考えてみると、上記の日寛上人の御指南や、「在々処々本尊安置之処ハ理ノ戒壇也」「富士山戒壇ノ御本尊御在所ハ事ノ戒壇也」(日相上人聞書)との日相上人のお言葉の方が、実は本来の中心的考えであるのではないかとの結論に達するのです。

そうすると、御歴代御法主上人の法体に約しての立てわけを中心とする考え方が素直に腹に落とし込めるのではないかと思うのです。


 

二階茶寮掲示板に寄場斬三君が久々に登場したようです。

相当に焦っているみたいですね。

出来ればnabeさんとのコラボが見てみたいものです。
  • posted by nabe斬三 
  • URL 
  • 2012.02/22 04:17分 
  • [Edit]
  • [Res]

NoTitle 

nabe斬三さんへ

コメントありがとうございます。

茶寮掲示板は久しく確認しておりませんでしたが、また活発に動いているのでしょうか。

ところで、あっつぁさんのブログでまた私のことを名指しで誹謗している人がいるようですね。こまったものです。

しかし、上条氏って誰なんでしょうか?

私と犬猿の仲にある上条氏なんてものは心当たりが無いのですがね…。

一方的にこちらを敵対視している方なら少なからず心当たりはありますが…。




  • posted by トチロ〜 
  • URL 
  • 2012.02/22 09:47分 
  • [Edit]
  • [Res]

いろんな方がいて楽しい 

おもしろい誹謗でしたね。

私がトチロ~さんに洗脳されていると書いていました(笑)。

ポリ銀さんへ 

昨日気づいたのですが、あのコメが投稿されたのが、5時42分、このサイトにnabe斬三さんが投稿されたのが4時17分…。

おそらく寄場斬三氏云々の投稿が彼を刺激したのでしょうね。

「情報通」とのHNのコメは今まで何度か拝見しておりますし、その後の「おゆみさん」への投稿は明らかに法華講員でしょう。

そして、何よりも面白いのは“上条氏(ようやく分かったのですが、上条氏とは元本部職員の有名なW氏のことだったのですね。)は私と犬猿の仲”だということ。

この情報って妙観講内部でしか流布されていない風説だって知ってました?

これをもって情報通氏は妙観講員だということが分かってしまうのですよ。寄場斬三氏も妙観講員さんだったですよね。さらに言えば、件のブログ管理人さん方も同じことを口にされていましたから、妙観講員さんかな?

けど、妙観講さんって、特定の講員以外にはネット禁止令をだしているはずなんだけど、最近解禁されたのでしょうかね。

まぁ、私のことは良いですが、山門入り口さんもれっきとした法華講員ですからね、彼のことを憶測で誹謗するのはマズイでしょ…。また、ポリ銀さんに関しては全くの憶測だけでものを言っているわけだし…。

しかし、今後が楽しみですね。


  • posted by トチロ〜 
  • URL 
  • 2012.02/24 10:18分 
  • [Edit]
  • [Res]

仏法をたもちながらも 

色んな人がいますねえ。まあ、それも修行過程のことゆえ大目に見てあげなければいけないんでしょうねえ。

おゆみちゃんについては、僕も気にはなっていますが、少し精神的なダメージを受けているのでは…とあえて触れていません。

僕のスタンスは、自分への誹謗も自分と意見の違う法華講員の発言にも、触れずに反論もしないということです。学会員や顕正会の方なら別ですが。

過去の自分の悩乱した発言を思い起こせば、他人の悩乱をあざ笑うことはできませんもの(苦笑)。

ただ、ここのブログも僕のブログも、あっつぁさんのブログを経由されて訪問される方も多いでしょうから、自分の信心体験を通じて悪ポリ銀から、変わってってるんだなあと実感してもらえれば幸いと思っています。

トチロ~さんには洗脳されていませんが(笑)、勉強はさせてもらってると思っていますのでこれからもよろしくお願いします。

ポリ銀さんへ 

はい、面白いものです。

正法であるがゆえに、その人が直さなくてはいけない部分が表に出てくるのだと思いますよ。それを真正面から受け止めて、自発的に直そうと努力する方は成仏できるのだと思います。反対にそれを真正面から受け止めずに、人のせいして攻撃をエスカレートさせる方は、残念ながら“後生に頑張れよ”、ということになってしまうのだと思います。

まぁ、それぞれが自覚を持って頑張るしかないのだと思いますよ。

以前に私が残した名言(迷言?)です。

「なんだなんだ、この集団は!正法だからといって来てみたら、これじゃあ顕正会以下じゃねぇか!!!!」

仏法の本質を理解していなかった時期の恥ずかしいセリフです。(苦笑)


  • posted by トチロ〜 
  • URL 
  • 2012.02/26 10:23分 
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