顕正会の誤りについて:戒壇の事と義 12(日顕上人お言葉に関して)

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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戒壇の事と義 12(日顕上人お言葉に関して)

ブリトー君が山門さんに反論しているようですが、使い古したネタをよくもまぁ得意げに振り回しているものですね。

こんな反論は既に過去に出尽くした内容ですから、こんな私でも反論文は過去にネット上に出しております。

参考までに載せておきます。

顕正会員諸氏は、このようなブリトー君のような邪義に振り回されず、自身の頭でよく考えてみてくださいね。

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⑪日顕上人のお言葉

ここで日顕上人(当時教学部長)の上記お言葉についてすこし触れてみたいと思います。顕正会では「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」において以下のように日顕上人の言葉を取り上げ、誹謗しております。しかしながら、これは木を見て森を見ずであり、お言葉の真意を理解してはいないことは明白であります。そして、顕正会員はその資料の乏しさが故に実際の日顕上人のお言葉の本当の言わんとしていることを理解できておりません。その点について論じていきたいと思います。

まずは顕正会の書籍から当該部分を引用致します。


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しかしなお阿部教学部長は“猛々し”く云う。
 「(日寛上人の著述中に)本門戒壇本尊との名称を挙げて、そのおわしますところを義の戒壇と説かせられる文は一か処も存しない。いな、むしろ本門戒壇の本尊の処、義理の戒壇でないことを決し給うている」(悪書Ⅰ)
 さらに云く
 「本門戒壇の本尊所住の処が、理の戒壇とか義の戒壇とおっしゃってる所は一ヶ所もないと思うんです。寛師のあの尨大(ぼうだい)の著書の中で、おそらく一ヶ所でもあったら教えていただきたい。まず絶対ないと私は思うんです」(大日蓮49年8月号)と。(正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む187~188ページ)

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このお言葉を持って浅井会長始め顕正会員は、日顕上人が日寛上人の御著述の中で戒壇の大御本尊様の御在所を「義の戒壇」とは一切言っていないと受け取って誹謗しております。そして、どうだ!見てみろ!とばかりに日寛上人のお言葉を列記し、「義の戒壇」の文証としておりますが…。

全く持ってお話しにならない…。


日顕上人のお言葉は文章の表面上において「義」と言っていることはお認めになられた上で、その意とするところは大御本尊様の戒壇の有無に関してのものであり、嫡々書写の御本尊様と同列に論ずる…、すなわち法体に約しての捌きにおいて、戒壇の大御本尊様の所住のところを「義の戒壇」に分類せよとの意で日寛上人は仰せになっていないということなのであります。浅井会長の引用した文の前後を含めて紹介すると以下のようになります。

『ここに至って日寛上人の戒壇論を学んだ人は、例えば文底秘沈抄の
「夫れ本門の戒壇に事有り義有り。所謂義の戒壇とは即ち是れ本門本尊所住の処、義の戒壇に当る故なり、乃至正しく事の戒壇とは、一閻浮提の人懺悔滅罪の処なり。但然るのみにあらず梵天帝釈も来下して踏み給うべき戒壇なり。秘法抄に云く云々」等の文を拝して、本尊所住の処は事の戒壇でなく、義の戒壇にあらざるやとの疑いを持つかも知れない。日寛上人は一般論的な説明の上から、一大秘法、三大秘法、六大秘法の開合において、戒壇の義と事を述べ給うたのである。ゆえにその広汎の著述中戒壇の法門として義と事に触れるところは多い。然るに「本門戒壇本尊」との名称を挙げて、そのおわしますところ(所住の処)を義の戒壇と説かせられる文は一か処も有しない。いな、むしろ本門戒壇の本尊の処義理の戒壇でないことを決し給うている。ここに深意のある所以を拝さなくてはならない。』(国立戒壇論の誤りについて〔戒壇論177ページ〕)


『最後の「事の戒法」という事でございますが、これは常に、猊下の御指南に、本門戒壇の御本尊様のおわします所、事の戒壇。本門戒壇の御本尊様が事であり、法体が事である故にその御本尊様の御当体において、そのまま題目が備わり、戒壇が備わっておるのであるから、そのまま事の戒壇であるというように、拝しております。またこれはその通りであります。この点にですね、日寛上人が三大秘法を、六大秘法としてされまして、本尊に人法あり、題目に信行あり、戒壇に理事ありというふうに示されておる。その所の立て方でもって、事の戒壇とは、つまり三大秘法抄の戒壇である、という事は、広宣流布の時にならなければ、事の戒壇は出てこないんだと考へ、その前は理の戒壇なんだというような事が、皆んな頭にあって、猊下の御指南との間がピシャッといかない、両方信じたいんだけど、どうもピシャッとこないという感じがあるんですね。
 要するに、猊下の御指南と日寛上人の教学が、些かも違っていないと、私は確信しておるのでございます。
と申しますのは、戒壇に事理を分けられておるところの中で、理の戒壇乃至義の戒壇という所は、本尊所住の所即義理の戒壇といわれておるけれども、本門戒壇の本尊と上げてですね、本門戒壇の本尊所住の所が、理の戒壇とか義の戒壇とおっしゃってる所は一ヶ所もないと思うんです。寛師のあの尨大な著書の中で、おそらく一ヶ所でもあったら教えていただきたい。まず絶対ないと私は思うんです。
 これはいわゆる猊下も、おっしゃる通り一般論としての事と理の立て分けをおっしゃったのである。三大秘法の戒壇の相貌が、事の戒壇ということは、ああいう事の戒壇が現れる為には、根本の本門戒壇の御本尊様がおはしまするが故に、結局それが未来に現れるわけですね。ですから、その根本は日寛上人は根源とおっしゃっておられますけれども、その根源を時によって、今御法主上人猊下は事の戒壇とはっきり仰せになっておるものである。
 むしろ日寛上人がやはり「広宣流布の時に至れば、各山寺等それぞれの嫡々の歴代書写の本尊を安置する処、これ即ち義理の戒壇なり」とおっしゃっておるところと、ちょうど対等するわけですね。ですからこれはむしろ、戒壇の本尊の分身散影である、他の御本尊のおわします所は、その所に題目を唱えて、即身成仏の功徳は当然ありますが、それが根本の本門戒壇の御本尊の功徳を引くわけでありますから、義において事の戒壇にあたる、故にこれ義の戒壇であるという事を拝するわけでございます。
 大体そういうふうな事から考えてまいりますると、そこに現在はやはり、事の戒壇である、現時における事の戒壇であるという訓諭を、その通り正しく拝して、そして確信を持って、我々は決して論争を的とはせずに、色々な国立戒壇の言葉にとらわれずに、確信を持って、お互いの立場をはっきりして、人々に接していく必要がある、戒壇の事も、合わして説いていく必要があるという事を申し上げた次第でございました。  以上』(大日蓮昭和49年8月号34~35ページ)


これらの原文を読めばハッキリと認識出来るとは思いますが、浅井会長の引用した部分はごくごく一部分なのです。そして、その前後の文を読むと、日顕上人は明らかに、「日寛上人のご教示は一旦は戒壇の大御本尊様の御在所は「義」とされてはいる。」…と、文上は「義」と仰せになっていることを認められた上で、しかしながらこれは一大秘法、三大秘法、六大秘法の開合をご説明遊ばされる上で述べられたことであって、この意は「戒壇は未だ無くとも、御本尊所住の所は即義理の上においては(意味合いの上においては)戒壇である」ということであって、戒壇の大御本尊様の御在所そのものを道理の上の戒壇だとか、義理の(意味合いにおいて、より優れたものに通じる)、戒壇であるという、他により優れた戒壇が存在するという意味で仰せになったのでは無い、そのような意味合いの仰せは日寛上人の御著述中には一カ所も無い。ということを仰せになっているのです。

このように浅井会長の引用部分だけでは誤解を与えかねない内容になっております。案の定、顕正会員の殆どはその思惑に引っかかっているとも思えます。

私の上記の証拠はその後の日顕上人の著述にも存在致します。長い文章ですが、よく読んでいただけたらと思います。




「本門事の戒壇の本義」

 『ここで少しく事理のたてわけについて一言しよう。
 仏教における事理の名目は多岐多端であるが、一般的には理論と実践、真理と事相、抽象と具体、心法と色法、教理と仏身その他を含む相対的法相・法義の意味を判じあらわすのである。とくにこれを仏法の根本的対判たる本迹の関係にあてはめた場合左のように示されている。すなわち天台にあっては、迹門の実相開顕を中心とする化導の立場より真如の理は本、森羅の事を迹と判じたのである。翻って釈尊はその究竟の説たる法華経方便品に最高の法理を説き、更に寿量品に永遠にわたる仏身の事を説かれ、この理を迹、事を本としておのずから本迹にたてわけられている。
 さて日蓮大聖人の仏法は久遠元初本因妙の本をあらおし給うお立場より、一往法華経迹門を理に、本門の一念三千を事に配され、再往は束ねて法華経本迹二門を理とし、久遠元初下種独一本門の戒定慧すなわち三大秘法を真の仏身、真の事の法体と判じたまうのである。右御義口伝の事の三大事とはまさにこれに当たるのである。
 更に進んで三大秘法抄では大聖人の御振る舞いの趣意が事の三大事であることを宣せられている。同抄に、
「此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮誼に教主大覚世尊よりロ決相承せしなり、今今日蓮所行は霊鷲山の稟承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」(全集一〇二三)
 と仰せられた。これを人法一箇の上の人即法に約せば「事の三大事」とは、事の一念三千の大曼荼羅本尊の当体に事行の題目が具わり、また事の戒壇が具わるの意と拝され、三大秘法惣在の本尊となる。そこで文中の「日蓮が所行は」の六文字を拝するとき、その意はまさしく一期の御化導の究極たる大御本尊を志向したまうものであり、則ち末法万年の民衆の中心帰依としての本門戒壇の大御本尊に帰趨することはいうまでもない。
 従って日寛上人は、
「三大秘法を合する則んば但一大秘法の本門の本尊と成るなり、故に本門戒壇の本尊を亦三大秘法惣在の本尊と名づくるなり」(依義判文抄・聖典八六三)
 と述べられている。そこに三大秘法の惣在する根元の本尊があり、その当体即ち事の戒壇である。とくに御当代日達上人は、本門戒壇の本尊の当体はそのまま本門事の戒壇であるむねを、処々に御指南なされるところである。
 第二十六世日寛上人は、理論的体系を示す上から、大聖人の一大秘法と三大秘法の開合を示されると共に、三大秘法がまた六大秘法に開かれる意義を説かれ、本尊に人法、題目に信行、戒壇に義事を分ち、なかんずく本門の本尊所住の義理が事の戒壇にあたる意味において義の戒壇とし、これにたいし三大秘法抄のいわゆる、
「三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪―乃至―大梵天王・帝釈等も来下して踏給うべき戒壇なり」
の文を事の戒壇とされたのである。
 けだし日寛上人の時代はいまだ時至らず本門戒壇の大御本尊への参詣の信徒も数少なく、広布の時を待って宝蔵の奥深く格護されていた。従って「三大秘法惣在の本尊とは本門戒壇の本尊である」との表現において、本尊の体が事の戒壇であることを密示するに停められたのである。すなわち本門戒壇の本尊を表に顕わさず、一秘三秘六秘の開会における一大秘法とは、たんに「本門の本尊」と抽象的に表現されたのである。これはもちろん、本門戒壇の本尊が大聖人の仏法、すなわち三大秘法の実体実義であることを裏面にふまえた上で、教学的理論的説明の上に、大聖人の御書における三大秘法にかんする御指南や表現を一括し、理論的体系に組み立てられたためといえよう。
 故に本門の本尊所住の処、義の戒壇といわれるのは、戒壇の大御本尊の「事の戒壇」そのものと、その他の山寺の本尊の「義理事に当る」関係及びその意味を露わにせず、一般論的な所住に約して、義理、事の戒壇にあたる意を表とされたのである。
 そこで戒壇の大御本尊については、根源といわれて重大な意義を秘められている。
 けだし、六巻抄等で三秘六秘の体系を立てる関係上、三大秘法抄の戒壇の文をもって広布時の事の戒壇に約される故に、そのもとである戒壇本尊の当体所住を直ちに事の戒壇と表現されることはなかったのである。
 かかる三秘六秘、なかんずく戒壇の事義を立て分けられた理由の一つとして、他の誤れる戒壇論の存在が考えられる。古来興門以外の他門系にはあまり顕著な戒壇論及びその主張は見当たらないが、かの要法寺の広蔵日辰が広布事壇説を唱えている。日辰は法華行者逢難事の文を僻取誤読して、
 「本門の本尊と四菩薩の戒壇と南無妙法蓮華経の五字…」
 と読み四菩薩造像の戒壇論を説くのである。更にこの外に広宣流布の時の事の戒壇ありとし、蓮祖再生して日本第一の勝地に建立すと云って、暗に富士山の戒壇を目標としている。またその門葉に癡山日饒が出て富士戒壇建立を所表に約する一往の義とし、再往所縁に約せば本門流布の地皆本門寺なりと即是道場の理壇説を主張した。目寛上人はかかる要山系の諸師の誤りを矯正し、三大秘法抄の広布にかんする正しい目標を顕わす必要から、広布時の富士事壇説を説示されたのである。故にその三秘六秘の体系中、事の戒壇にはきまって三大秘法抄の戒壇の文を挙げられるのみで、一切の説明を付加せられていないところに、深い御意が拝される。また文底秘沈抄の戒壇論ではその事の戒壇の元意において、本門戒壇の本尊が根源の法体であることを示されている。
 この密意は別に本門戒壇の本尊所住が事の戒壇であるとして、日相上人の聞書、大弐阿聞梨(目寛上人大学頭時代の呼び名)講の三秘六秘中の戒壇の文にも書かれている。
 御当代日達上人は、日寛上人の一般論的な本尊所住の処義の戒壇論と、三大秘法抄の広布の事相に約する文からの事の戒壇論の二面にたいする根源の法体として、真の事の戒壇は本門戒壇本尊の当体にあると説示せられたのである。すなわち曽谷殿御返事に、
 「『故に知んぬ法華は為れ醍醐の正主』等云云、此の釈は正く法華経は五味の中にはあらず此の釈の心は五味は寿命をやしなふ寿命は五味の主なり―乃至―諸経は五味・法華経は五味の主と申す法門は本門の法門なり」(全集一〇六〇)
 とお説きのように一往天台の判釈による法華経は五味の中の醍醐味であるが、再往大聖人の仏法の本門に約せば五味の総体、五味の主であるとのお示しである。なお百六箇抄にも、
「五味主の中の主の本迹 日蓮が五味は横竪共に五味の修行なり」(全集八六六)
 ともあって五味の主について説かれている。このように妙法蓮華経が五味の主であるのと同様に本門戒壇の本尊は、あらゆる大聖入御一代の御本尊以下、嫡々歴代の本尊ないし日寛上人の三秘六秘の法門体系等の主であり、総体であることは常に日達上人のお説きになるところである。この根本より事理を立て分ければ戒壇の本尊の当体及び住所は事の戒壇であり、各山各寺所在の大聖人以下嫡々書写の本尊の所住は義理の戒壇となる。これは根源の法体に約して事の戒壇を論ぜられた立場である。
 しからば三大秘法抄の「三国並に…踏給うべき戒壇」と大聖人が仰せられたのはなぜであろうか。それは後に述べるが根元の事の戒壇があって始めて広布の事相、平和社会が現出するのである。
 したがって「事の三大事」則ち本門戒壇の本尊の当体が事の戒壇、事行の題目であるところが一切の根元であり、日寛上人の三秘六秘の体系はその敷衍説明であるから、法体根源の戒壇が広布の前後を問わず事の戒壇であることは誤りないところである。
 戒壇の本尊のおわします所、直ちに事の戒壇であるから、昭和四十七年に建立の正本堂が現実の事の戒壇である。この正本堂は、広宣流布達成への地歩が着実に展開されている現在の実相を鑑みるとき、一期弘法抄、三大秘法抄に仰せられる戒壇の意義を含むものといわねばならない。
 御当代日達上人が正本堂を明確に事の戒壇と定められたのは、正本堂に本門戒壇本尊を安置されることが建立七年前の第一回建設委員会における御説法で確定し、従ってその意義において事の戒壇であることを基本とされつつ、さらに百六箇抄の、
「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり」(全集八六七)
の御相伝に照らしその意義を含ませられたためであると拝する。すなわち、三大秘法抄、一期弘法抄の仏意冥鑑を現実の広布の段階の上に拝するにその時至り、事相次第に現われる故に更に進んで僧俗一致して正本堂を建立し、次に未来の広布完成ともいうべき本門寺戒壇の意義顕現を期することが、三大秘法抄、一期弘法抄の戒壇の文意に合し奉る所以である。この両義をふまえた上に正本堂をもって明らかに本門事の戒壇とお示しになったのである。』



これは上記、浅井会長が引用した御講義の後年に著述された文章でありますが、ここにおいても日顕上人は
『なかんずく本門の本尊所住の義理が事の戒壇にあたる意味において義の戒壇とし、これにたいし三大秘法抄のいわゆる、「三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪―乃至―大梵天王・帝釈等も来下して踏給うべき戒壇なり」の文を事の戒壇とされたのである。
(中略)
故に本門の本尊所住の処、義の戒壇といわれるのは、戒壇の大御本尊の「事の戒壇」そのものと、その他の山寺の本尊の「義理事に当る」関係及びその意味を露わにせず、一般論的な所住に約して、義理、事の戒壇にあたる意を表とされたのである。』

として、文上は日寛上人が「義」の戒壇とされていることは認めていらっしゃるのです。

ですから、浅井会長の引用のみを見て日顕上人が日寛上人が一切「義」の戒壇とは言っていないと誹謗するのはおおいに間違っております。

また、浅井会長の上記引用部分の後段の文証を挙げての誹謗もまたピントがずれている…、つまり日顕上人は事相に約しての捌きにおいては「義」であることをいったんお認めになられたうえで、法体に約しての捌きにおいては日寛上人が「戒壇の大御本尊様の所住をあげて“義の戒壇”とは仰せになっている箇所はない。」と述べておられるのです。

ようは、ブリトー君が反論として持ち出してきた浅井会長の主張とは、ピントがずれている的外れな誹謗なのです。







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