顕正会の誤りについて:戒壇の事と義 11(参考資料)

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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戒壇の事と義 11(参考資料)

日寛上人の法華取要抄文段に 、

「当に知るべし、本門の戒壇に事有り理有り、理は謂く義理なり、是れ則ち事中の事理にして迹門の理戒に同じからず、其の名に迷う勿れ、故に亦義の戒壇と名づけんのみ。」

とありますが、この戒壇の大御本尊様の“義”と、嫡々書写の御本尊様の“義”との関係もまた同じことがいえましょう。

あくまでも戒壇の大御本尊様と、嫡々書写の御本尊様との関係は、“事”と“義”であります。その“事”である戒壇の大御本尊様の中で、さらに“事”と“義”が開かれるわけです。つまり、戒壇の大御本尊様の御在所の“事”と“義”は、あくまでも「事中の“事”と“義”」であり、嫡々書写の御本尊様の“義”と同列に括ってはいけないのです。

これを同列に括っている浅井会長は、「其の名に迷う者」との批判を受けても仕方がないのです。


これが顕正会の誤りといわれるものの実態です。


非常に簡単なことなのですね。



それでは、最後に参考文献として御隠尊猊下のお言葉を紹介しておきたいと思います。





****************************

 『ここで少しく事理のたてわけについて一言しよう。

 仏教における事理の名目は多岐多端であるが、一般的には理論と実践、真理と事相、抽象と具体、心法と色法、教理と仏身その他を含む相対的法相・法義の意味を判じあらわすのである。とくにこれを仏法の根本的対判たる本迹の関係にあてはめた場合左のように示されている。すなわち天台にあっては、迹門の実相開顕を中心とする化導の立場より真如の理は本、森羅の事を迹と判じたのである。翻って釈尊はその究竟の説たる法華経方便品に最高の法理を説き、更に寿量品に永遠にわたる仏身の事を説かれ、この理を迹、事を本としておのずから本迹にたてわけられている。

 さて日蓮大聖人の仏法は久遠元初本因妙の本をあらおし給うお立場より、一往法華経迹門を理に、本門の一念三千を事に配され、再往は束ねて法華経本迹二門を理とし、久遠元初下種独一本門の戒定慧すなわち三大秘法を真の仏身、真の事の法体と判じたまうのである。右御義口伝の事の三大事とはまさにこれに当たるのである。

 更に進んで三大秘法抄では大聖人の御振る舞いの趣意が事の三大事であることを宣せられている。同抄に、

「此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮誼に教主大覚世尊よりロ決相承せしなり、今今日蓮所行は霊鷲山の稟承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」(全集一〇二三)

 と仰せられた。これを人法一箇の上の人即法に約せば「事の三大事」とは、事の一念三千の大曼荼羅本尊の当体に事行の題目が具わり、また事の戒壇が具わるの意と拝され、三大秘法惣在の本尊となる。そこで文中の「日蓮が所行は」の六文字を拝するとき、その意はまさしく一期の御化導の究極たる大御本尊を志向したまうものであり、則ち末法万年の民衆の中心帰依としての本門戒壇の大御本尊に帰趨することはいうまでもない。

 従って日寛上人は、

「三大秘法を合する則んば但一大秘法の本門の本尊と成るなり、故に本門戒壇の本尊を亦三大秘法惣在の本尊と名づくるなり」(依義判文抄・聖典八六三)

 と述べられている。そこに三大秘法の惣在する根元の本尊があり、その当体即ち事の戒壇である。とくに御当代日達上人は、本門戒壇の本尊の当体はそのまま本門事の戒壇であるむねを、処々に御指南なされるところである。

 第二十六世日寛上人は、理論的体系を示す上から、大聖人の一大秘法と三大秘法の開合を示されると共に、三大秘法がまた六大秘法に開かれる意義を説かれ、本尊に人法、題目に信行、戒壇に義事を分ち、なかんずく本門の本尊所住の義理が事の戒壇にあたる意味において義の戒壇とし、これにたいし三大秘法抄のいわゆる、

「三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪―乃至―大梵天王・帝釈等も来下して踏給うべき戒壇なり」

の文を事の戒壇とされたのである。

 けだし日寛上人の時代はいまだ時至らず本門戒壇の大御本尊への参詣の信徒も数少なく、広布の時を待って宝蔵の奥深く格護されていた。従って「三大秘法惣在の本尊とは本門戒壇の本尊である」との表現において、本尊の体が事の戒壇であることを密示するに停められたのである。すなわち本門戒壇の本尊を表に顕わさず、一秘三秘六秘の開会における一大秘法とは、たんに「本門の本尊」と抽象的に表現されたのである。これはもちろん、本門戒壇の本尊が大聖人の仏法、すなわち三大秘法の実体実義であることを裏面にふまえた上で、教学的理論的説明の上に、大聖人の御書における三大秘法にかんする御指南や表現を一括し、理論的体系に組み立てられたためといえよう。

 故に本門の本尊所住の処、義の戒壇といわれるのは、戒壇の大御本尊の「事の戒壇」そのものと、その他の山寺の本尊の「義理事に当る」関係及びその意味を露わにせず、一般論的な所住に約して、義理、事の戒壇にあたる意を表とされたのである。

 そこで戒壇の大御本尊については、根源といわれて重大な意義を秘められている。

 けだし、六巻抄等で三秘六秘の体系を立てる関係上、三大秘法抄の戒壇の文をもって広布時の事の戒壇に約される故に、そのもとである戒壇本尊の当体所住を直ちに事の戒壇と表現されることはなかったのである。

 かかる三秘六秘、なかんずく戒壇の事義を立て分けられた理由の一つとして、他の誤れる戒壇論の存在が考えられる。古来興門以外の他門系にはあまり顕著な戒壇論及びその主張は見当たらないが、かの要法寺の広蔵日辰が広布事壇説を唱えている。日辰は法華行者逢難事の文を僻取誤読して、

 「本門の本尊と四菩薩の戒壇と南無妙法蓮華経の五字…」

 と読み四菩薩造像の戒壇論を説くのである。更にこの外に広宣流布の時の事の戒壇ありとし、蓮祖再生して日本第一の勝地に建立すと云って、暗に富士山の戒壇を目標としている。またその門葉に癡山日饒が出て富士戒壇建立を所表に約する一往の義とし、再往所縁に約せば本門流布の地皆本門寺なりと即是道場の理壇説を主張した。目寛上人はかかる要山系の諸師の誤りを矯正し、三大秘法抄の広布にかんする正しい目標を顕わす必要から、広布時の富士事壇説を説示されたのである。故にその三秘六秘の体系中、事の戒壇にはきまって三大秘法抄の戒壇の文を挙げられるのみで、一切の説明を付加せられていないところに、深い御意が拝される。また文底秘沈抄の戒壇論ではその事の戒壇の元意において、本門戒壇の本尊が根源の法体であることを示されている。

 この密意は別に本門戒壇の本尊所住が事の戒壇であるとして、日相上人の聞書、大弐阿聞梨(目寛上人大学頭時代の呼び名)講の三秘六秘中の戒壇の文にも書かれている。

 御当代日達上人は、日寛上人の一般論的な本尊所住の処義の戒壇論と、三大秘法抄の広布の事相に約する文からの事の戒壇論の二面にたいする根源の法体として、真の事の戒壇は本門戒壇本尊の当体にあると説示せられたのである。すなわち曽谷殿御返事に、

 「『故に知んぬ法華は為れ醍醐の正主』等云云、此の釈は正く法華経は五味の中にはあらず此の釈の心は五味は寿命をやしなふ寿命は五味の主なり―乃至―諸経は五味・法華経は五味の主と申す法門は本門の法門なり」(全集一〇六〇)

 とお説きのように一往天台の判釈による法華経は五味の中の醍醐味であるが、再往大聖人の仏法の本門に約せば五味の総体、五味の主であるとのお示しである。なお百六箇抄にも、

「五味主の中の主の本迹 日蓮が五味は横竪共に五味の修行なり」(全集八六六)

 ともあって五味の主について説かれている。このように妙法蓮華経が五味の主であるのと同様に本門戒壇の本尊は、あらゆる大聖入御一代の御本尊以下、嫡々歴代の本尊ないし日寛上人の三秘六秘の法門体系等の主であり、総体であることは常に日達上人のお説きになるところである。この根本より事理を立て分ければ戒壇の本尊の当体及び住所は事の戒壇であり、各山各寺所在の大聖人以下嫡々書写の本尊の所住は義理の戒壇となる。これは根源の法体に約して事の戒壇を論ぜられた立場である。

 しからば三大秘法抄の「三国並に…踏給うべき戒壇」と大聖人が仰せられたのはなぜであろうか。それは後に述べるが根元の事の戒壇があって始めて広布の事相、平和社会が現出するのである。

 したがって「事の三大事」則ち本門戒壇の本尊の当体が事の戒壇、事行の題目であるところが一切の根元であり、日寛上人の三秘六秘の体系はその敷衍説明であるから、法体根源の戒壇が広布の前後を問わず事の戒壇であることは誤りないところである。』(本門事の戒壇の本義)


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『最後の「事の戒法」という事でございますが、これは常に、猊下の御指南に、本門戒壇の御本尊様のおわします所、事の戒壇。本門戒壇の御本尊様が事であり、法体が事である故にその御本尊様の御当体において、そのまま題目が備わり、戒壇が備わっておるのであるから、そのまま事の戒壇であるというように、拝しております。またこれはその通りであります。この点にですね、日寛上人が三大秘法を、六大秘法としてされまして、本尊に人法あり、題目に信行あり、戒壇に理事ありというふうに示されておる。その所の立て方でもって、事の戒壇とは、つまり三大秘法抄の戒壇である、という事は、広宣流布の時にならなければ、事の戒壇は出てこないんだと考へ、その前は理の戒壇なんだというような事が、皆んな頭にあって、猊下の御指南との間がピシャッといかない、両方信じたいんだけど、どうもピシャッとこないという感じがあるんですね。

 要するに、猊下の御指南と日寛上人の教学が、些かも違っていないと、私は確信しておるのでございます。と申しますのは、戒壇に事理を分けられておるところの中で、理の戒壇乃至義の戒壇という所は、本尊所住の所即義理の戒壇といわれておるけれども、本門戒壇の本尊と上げてですね、本門戒壇の本尊所住の所が、理の戒壇とか義の戒壇とおっしゃってる所は一ヶ所もないと思うんです。寛師のあの尨大な著書の中で、おそらく一ヶ所でもあったら教えていただきたい。まず絶対ないと私は思うんです。

 これはいわゆる猊下も、おっしゃる通り一般論としての事と理の立て分けをおっしゃったのである。三大秘法の戒壇の相貌が、事の戒壇ということは、ああいう事の戒壇が現れる為には、根本の本門戒壇の御本尊様がおはしまするが故に、結局それが未来に現れるわけですね。ですから、その根本は日寛上人は根源とおっしゃっておられますけれども、その根源を時によって、今御法主上人猊下は事の戒壇とはっきり仰せになっておるものである。

 むしろ日寛上人がやはり「広宣流布の時に至れば、各山寺等それぞれの嫡々の歴代書写の本尊を安置する処、これ即ち義理の戒壇なり」とおっしゃっておるところと、ちょうど対等するわけですね。ですからこれはむしろ、戒壇の本尊の分身散影である、他の御本尊のおわします所は、その所に題目を唱えて、即身成仏の功徳は当然ありますが、それが根本の本門戒壇の御本尊の功徳を引くわけでありますから、義において事の戒壇にあたる、故にこれ義の戒壇であるという事を拝するわけでございます。』(大日蓮昭和49年8月号34~35ページ)


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 『第二の事の戒法(戒壇)とは、大聖人の一期弘通の本懐たる三秘惣在の本門戒壇の大御本尊であり、またその所住の処である。釈尊の法華経本迹二門が通じて迹門の理の一念三千であるに対し、大聖人の仏法は寿量品文底の本門事の一念三千の法体である。故に大聖人の本懐の戒壇の大御本尊は三秘惣在の事の法体であるからその当体直ちに事の戒法であり、事の戒壇である。これに対し、僧俗信心の徒が、夫々の住所において書写の御本尊を受持する処、その義が事の戒壇に当るのである。

 第三には正しく三秘抄の文のごとく、広宣流布して仏国土が顕現される処を事の戒法というのであり、先師は事相の戒壇ともいわれている。これは、要するに妙法受持の功徳が社会層の内面に広く深く浸透し、仏法の正義があらわれ、平和福祉社会に正法が顕現する、いわゆる王仏冥合の理念が現実に現われること、それが根本的な本門の金剛宝器戒の捨悪持善の相である。

 ただし、一切の民衆に妙法の功徳が授与されるのは、本仏大聖人の仏法の根本法体たる、本門戒壇の大御本尊がまします故である。ややもすれば三大秘法抄の広大雄壮な御文に、眼を奪われ勝ちであるが、その文の裏底には戒壇の大御本尊が厳としておわしますことに注意すべきである。この大御本尊は三大秘法惣在の御本尊であり、三大秘法抄(全一〇二三)の

「今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に、芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」の文の「事の三大事」に深く心を致すべきである。

 故に日達上人の

「本門戒壇の大御本尊のおわします処、何処何方においても事の戒壇である<」という御指南が示される所以である。従って現在の奉安殿も事の戒壇であり、正本堂に戒壇の大御本尊がお出ましになれば、その処直ちに事の戒壇である。

 これが訓諭の「現時における事の戒壇」の意味である。故に三大秘法抄の「戒壇 … 事の戒法」の文は、事相の事の戒壇を示されるものであり、「現時における事の戒壇」とは根源の戒壇を指すのである。

 ここに至って日寛上人の戒壇論を学んだ人は、例えば文底秘沈抄の

「夫れ本門の戒壇に事有り義有り。所謂義の戒壇とは即ち是れ本門本尊所住の処、義の戒壇に当る故なり、乃至正しく事の戒壇とは、一閻浮提の人懺悔滅罪の処なり。但然るのみにあらず梵天帝釈も来下して踏み給うべき戒壇なり。秘法抄に云く云々」

等の文を拝して、本尊所住の処は事の戒壇でなく、義の戒壇にあらざるやとの疑いを持つかも知れない。日寛上人は一般論的な説明の上から、一大秘法、三大秘法、六大秘法の開合において、戒壇の義と事を述べ給うたのである。ゆえにその広汎の著述中戒壇の法門として義と事に触れるところは多い。然るに「本門戒壇本尊」との名称を挙げて、そのおわしますところ(所住の処)を義の戒壇と説かせられる文は一か処も有しない。いな、むしろ本門戒壇の本尊の処義理の戒壇でないことを決し給うている。ここに深意のある所以を拝さなくてはならない。

 以上の理由として更に一文を引こう。日寛上人の法華取要抄文段に

「当に知るべし、本門の戒壇に事有り理有り、理は謂く義理なり、是れ則ち事中の事理にして迹門の理戒に同じからず、共の名に迷う勿れ、故に亦義の戒壇と名づけんのみ。
 初に義理の戒壇とは本門本尊所住の処は即ち是れ義理事の戒壇に当るなり、経に云く当に知るべし是の処即ち是れ道場とは是なり、天台云く仏其の中に住す即ち是れ塔の義等云々、故に当山は本門戒壇の霊地なり、亦複当に知るべし広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等皆嫡々書写の本尊を安置す、其の処皆是れ義理の戒壇なり、然りと雖も仍是れ枝流にして是れ根源に非ず、正に本門戒壇の本尊所住の処即ち是れ根源なり。妙楽云く像末の四依仏法を弘宣す、化を受け教を稟く須く根源を尋ぬべし、若し根源に迷うときは増上して真証に濫る等云々、今日本国中の諸宗諸門徒何ぞ根源を討ねざる耶浅間し々々々云々、宗祖云く根深けれは枝繁く源遠ければ流れ長し等云々、凡そ此の本尊は久遠元初の自受用の当体なり、豈根深く源遠きに非ずや、故に天台云く本極法身微妙深遠等云々。
 次に正しく事の戒壇とは秘法抄十五(三十一)云く 王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に三の秘法を持ちて、有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁世の未来に移さん時、勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か、時を待つ可きのみ、事の戒法と申すは是なり等云々、問う最勝の地とは何処を指すべきや、答う応に是れ富士山なるべし、故に富士山に於て之を建立すべきなり」(以下略)

と示されている。右文を大別すると 「当に知るべし」より 「義の戒壇と名けんのみ」までは 戒壇に事と理とあるを示す文である。次に 「初に義理の戒壇とは」より 「微妙深遠等云々」までは義理の戒壇を明し、次に 「正しく事の戒壇とは」より以降は事の戒壇を明されている。

 そして問題は義理の戒壇を明す部分の 「広宣流布の時至れば」以下○点を付した文にある。

 まず 「広宣流布の時」とは後に示される事の戒壇を相望して広布に約される言であるが、この場合は広布の条件を示す文ではない。(その理由は後述する) 従って以下の文意は、広宣流布の時至って始めて顕われる意味ではなく、それ以前の法相にも通ずるものである。さてそれはいかなる文意か。いわく、

 多くの山寺に嫡々血脈付法の書写の本尊を安置するが、その処は皆是れ義理の戒壇である。然りと雖もなお枝流であって根源ではない。本門戒壇の本尊所住の処すなわち根源である。

と拝するのてある。したがって各山各寺の本尊は義理の戒壇であり、技流であるが、本門戒壇本尊は根源であるから義理の戒壇ではないとして、戒壇本尊の所住と、義理の戒壇とをはっきり区別された文と思われる。日寛上人の著書の各処に「本門の本尊所住の処義の戒壇」と示されるのは三秘六義に立て分けての説明であって、本門戒壇の本尊はその総体であるからである。

 但し 右の拝し方については、左の二点の疑難が残ると思われる。

 その一は、先にものべたが「広宣流布の時至れば」とある以上、その時が来なければ決定しない筈である。いわゆるこの文意は未来広布時に約すべく、現在に約すべきではない、との難である。

 しかしこれは文になずんで義に達しない解釈である。広布の時、とは一国全体の範囲に約されたのであって、その時であっても、山寺の本尊は枝流であって根源でない。(況んや現在も亦同様である。)との意を含んでいる。その証拠に以下の法相は明らかに、広布の時を待たねば現われないというものではない。広布以前に於ても、正宗門家の山寺に安置する本尊は義理の戒壇であり、また本門戒壇の本尊を根源と称することは変りないからである。

文底秘沈抄に

「根源とは何ぞや、謂く本門戒壇の本尊是れなり、故に本門寺の根源というなり」

とあり、根源は全く広布の以前以後にかかわらないのである。従ってこの文は再往現在に約して解釈すべきである。

 その二は、この文を含めてその前後が義理の戒壇を明す部分に当るから、山寺等安置の嫡々書写の本尊が、義理の戒壇における枝流であるに対し、本門戒壇の本尊は義理の戒壇における根源であると解すべしという難である。それなら前文の「広宣流布の時」の文をどう拝するか。もしその考えによると、広宣流布の時本門戒壇本尊安置の処は義理の戒壇で、事の戒壇ではないという解釈になる。本門戒壇の大御本尊が広布の時も義理の戒壇だということは、次の事の戒壇の文と全く関係がないことになり、これは大変な誤りとなる。また事をあえて理というのであるから(事の戒法)の文に明らかに背反する。

 次に根源の文字そのものが義理の戒壇に当ることは絶対にありえない。従ってこの「根源」の二字は「枝流」の二字を簡ぶと共に、「義理、戒壇」の四字をも簡んでいる。

 すなわちこの文は、本門戒壇本尊の所住の処は根源であって、義理の戒壇でないことを明されたのであり、その区別を示されたのである。

 しからば 何故に義理の戒壇の一連の文相中に、義の戒壇でない「根源」について示されたかといえば、これは一閻浮提の山寺等の義理の戒壇と対当関連して表示する意味があるから、その便宜に随われたのである。文になずんで意義を見失ってはならない。

 以上述べたごとく、本門戒壇本尊所往し給う処は、日寛上人の通途の御説明による義ないし義理の戒壇には含まれないことが明らかとなった。この大御本尊の所住を日寛上人は根源と表現あそばされたが、今日達上人は現在の時に臨んで事の戒壇なりと御指南あそばしたのである。

 これに対し諸寺諸山並びに檀信徒各位の奉安し守護する御本尊は、義の戒壇に当るのである。

 かかる根本の事の戒壇ある故にこそ、その霊場を踏み奉るともがらは、無始の罪障忽ちに消滅し、妙法受持の功徳と確信を深めうるのである。かくて五十展転の随喜による折伏教化を盛んにして、遂に三大秘法抄の王仏冥合の事相を顕現するに至らんことは必然である。随って三大秘法抄の事相の事の戒壇は、根本の法体の事の戒壇まします放であることを見失ってはならない。これを忘れて事相の戒壇のみを論ずるものは、遠きを見て足元を忘れ、高きを見て先ず昇ることを忘れるに等しいのである。(国立戒壇論の誤りについて「戒壇論175~182ページ」)

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