顕正会の誤りについて:戒壇の事と義  10(日達上人の御意)

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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戒壇の事と義  10(日達上人の御意)

前回までは、戒壇の事と義の正しい捉え方を書きました。


しかしながら皆さんの頭の中は未だに整理がつかないと思います。


現在の御宗門は、「戒壇の大御本尊様の御在所は、いつでもどこでも事の戒壇である。」と教えているからです。


前回までのお話では、広宣流布以前の戒壇の大御本尊様の御在所は、義の戒壇となります。


ここに矛盾が生じるように感じてしまうのですね。


しかしながら、これは一切矛盾していないのです。


戒壇の大御本尊様だけを比較相対すれば、確かに義の戒壇となりますが、戒壇の大御本尊様と嫡々書写の御本尊様を比較相対すれば、広宣流布以前であろうが、広宣流布以降であろうが、戒壇の大御本尊様の御在所は、いつでもどこでも事の戒壇となる訳です。


日達上人が常々仰せになられていたのは、このことであり、かつ御宗門の指導もそういうことなのです。


つまり、事相という観点から事と義を開いていくか、法体という観点から事と義を開いていくかの違いなのです。

顕正会では真っ先に事相から開いて、戒壇の大御本尊様の御在所を事と義にたてわけます。その上で嫡々書写の御本尊様に関しても触れますが、ここにおいては比較対象の戒壇の大御本尊様に関しては、物差しが違うゆえに、いつでもどこでも事の戒壇となることを説明せねばならないのです。


それをわざと省略している為に間違いをおこしているのですね。


本来日蓮正宗においては、まず先に法体から開いて戒壇の大御本尊様と嫡々書写の御本尊様を事と義に分け、その上で事相において戒壇の大御本尊様の御在所が事と義に分かれるという考え方をします。

こうすれば、変な誤解も招かないわけです。


仏教手ほどきという昭和初期の書籍や、その頃の論客の発言を見れば、その辺りのたてわけはピシッと腹に入れた上で論じております。


その辺りが呑み込めると、この事と義の捌きに関してはどんな輩が来ても畏怖することはないでしょう。

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