顕正会の誤りについて:戒壇の事と義  8(根源と枝流)

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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戒壇の事と義  8(根源と枝流)

前回は戒壇の大御本尊様のみを対象として、広宣流布の前は戒壇という建物は存在しなくても、その意味合いは戒壇と同じであるがゆえ、“義理において戒壇と言える”ということを説明致しました。


今回はもう一方の“義理”について説明します。


今回の対象は戒壇の大御本尊様と嫡々書写の御本尊様(在々所々の御本尊様)です。


そして一番大事なことは、今回の比較対象には広宣流布の前後という時の経過は一切考慮に入っていないということです。

それでは本題に入ります。


言うまでもなく戒壇の大御本尊様は「日蓮が魂を墨にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給え」と仰せのごとく、大聖人様の仏様の御境涯を顕された、一切衆生を救う根本の御本尊様です。


一方、嫡々書写の御本尊様は、各地域の広宣流布の拠点として、地域地域の有縁の人々を成仏へと導く各末寺の御本尊様や、信徒さんが日々御給仕をしながら功徳を積み成仏へと導かれる、個人がお貸し下げ頂く御本尊様などです。


もちろん寺院の御本尊様や家庭の御本尊様も、御歴代の御法主上人猊下が、大聖人様から日興上人が譲り受けられた仏様の御境涯を顕されたものですから、等しく仏様として拝していくべきなんです。


また、我々は寺院や家庭の御本尊様を通して戒壇の大御本尊様を拝していくことが大切です。


そのように、仏様としての義理(意味合い)は、根源たる戒壇の大御本尊様に通じるものなのです。



しかしながら、嫡々書写の御本尊様はあくまでも枝流であり、その根源は戒壇の大御本尊様なのです。


ですから、日蓮正宗においては、大聖人様の時代から、登山して根本の仏様を拝していくことを勧められているのです。


かくいう日寛上人も「志有らん人は登山して拝し給へ」と申されているのです。


このように戒壇の大御本尊様と嫡々書写の御本尊様には明らかな違いがあり、それゆえに“嫡々書写の御本尊様御安置の場所は、戒壇の大御本尊様の御在所に、義理において(意味合いにおいて)通じる。”ということから、“義理の戒壇”と呼ばれているのです。


どうでしょうか?

同じ“義理の”と言っても、その義理は全くの別物であることがご理解頂けたでしょうか。そういった観点で、再度顕正会の書籍を読んでみて下さい。この“義理”を同列にして論じ、会員を煙に巻いているのが判るはずです。
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顕正会版日寛上人御本尊と、本物の日寛上人御形木御本尊には決定的な相違点が存在するのです。


そのような本物とは違う本尊に手を合わせてはいけません!




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