顕正会の誤りについて:戒壇の事と義 5(固有名詞ではない)

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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戒壇の事と義 5(固有名詞ではない)

それでは今度は少し違った角度から見ていきましょう。


顕正会では以下のように指導しております。

「第二は、本宗の伝統法義の上からは、広布以前に戒壇の大御本尊まします所を「事の戒壇」とは絶対に云えないのである。
 まず本宗伝統の法義を示そう。本門戒壇における事(じ)と義(ぎ)とは、事とは事相(じそう)(事実の姿)の 意、義とは義理・道理の意である。すなわち、三大秘法抄に定められた条件が整った時に事実の姿として建立される戒壇を「事の戒壇」といい、それ以前に本門戒壇の大御本尊のまします所を「義の戒壇」と申し上げるのである。」(正本堂の誑惑を破し懺悔精算を求む 179ページ)


どうでしょうか、昨日までの私の話をもとに考えると、ここにおける比較相対の物差しは「戒壇の大御本尊様だけを範囲として、広宣流布の後と、前を比較している。」ということです。


これはこれで間違いではありません。


ただ、御宗門と争点になっているのは、比較相対の物差しが「戒壇の大御本尊様と、その他の御本尊様を範囲として、その御本尊様の意味合いの上からどちらが中心で、どちらがそれに準ずるものなのか。」ということを論じているのですね。
しかしながら、顕正会では前者の物差しだけをクローズアップして、後者の物差しはあえて触れないようにしているのです。

折伏理論書では多少触れてはおりますが、最後の二行にサラッと触れているに過ぎません。

これは何を意図しているのかとつらつら考えるに、おそらく「事の戒壇」「義の戒壇」という言葉を固有名詞として会員に認識させんがためではないかと感じます。



この「事」「義」とは形容詞なんです。「事実上の~」とか、「事実上の戒壇に意味合いは通じる~」というのが、この場合の「事」「義」の意味するところなんです。



顕正会では広宣流布後の御遺命の戒壇一点をさして、それだけが「事の戒壇と呼ばれる(固有名詞である)戒壇なんだ。」と主張し、それ以外は全て「義の戒壇と呼ぶ(固有名詞である)戒壇なのです。」と誘導しているに過ぎないのです。

比較する範囲と、その比較の物差しが違ったものであるならば、自ずから「何が中心」で、何が「枝葉」になってくるかということを考えさせないようにしているのです。



ここにトリックの根本があるのです。



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