顕正会の誤りについて:戒壇の事と義 4(二つの物差し)

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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戒壇の事と義 4(二つの物差し)

それでは前回の質問の解答です。


一つ目の戒壇の大御本尊様の「事」と「義」の物差しは“戒壇という建物が有るか無いか”なのです。

戒壇の大御本尊様というのは、言うまでもなく広宣流布の暁に御遺命の戒壇を建立して、そこに御安置されるべき御本尊様です。ですから、広宣流布までは、正式な大御本尊様の為の戒壇堂では無く、蔵に御護りされている形なのです。

一方で、大聖人様の仏法に於いては戒壇堂という建物は無くても、御本尊様のいらっしゃる場所は即戒壇と捉えるのです。これは神力品に説かれています。

以上を通して考えていきますと、実際に広宣流布して建立された戒壇堂は、正真正銘の「事の戒壇」と言えます。

そして、広宣流布以前は戒壇堂は無いけれども、神力品の上からは御本尊様のいらっしゃるところは即戒壇と捉えるべきなので、そこは“義理(意味合い)の上からは戒壇といえる。”ということで、「義の戒壇」と呼ぶのです。

これは戒壇の大御本尊様のみにスポットをあてた捌き方であり、その立て分けの物差しは“事相に約して(時の流れを物差しにして)”ということなのです。





それでは問題の在々所々の御本尊様ですが、在々所々の御本尊様の御在所を「義の戒壇」とした場合、その「義」はどこから流れてきたのかと言えば、日寛上人は法華取要抄文段に「広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。然りと雖も仍是れ枝流にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり。」と申され、その根源は戒壇の大御本尊様だとハッキリと仰せなのです。

つまり、戒壇の大御本尊様を「事」とし、その書写された御本尊様は「義」だということなんです。

ここに大きなポイントがあるのです。

ここでの物差しは“法体に約して(御本尊様の意義の違い。)”の立て分けがなされているのです。


要は、二つの物差しがあるのですね。


この二つの物差しの違いをしっかりと区別して論じていかなくてはいけないのです。
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顕正会版日寛上人御本尊と、本物の日寛上人御形木御本尊には決定的な相違点が存在するのです。


そのような本物とは違う本尊に手を合わせてはいけません!




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