顕正会の誤りについて:戒壇の事と義 2(比較相対)

顕正会の誤りについて

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戒壇の事と義 2(比較相対)

まずは、「事」と「義」(または「事」と「理」)の意味から述べたいと思います。

御隠尊猊下は「本門事の戒壇の本義」において次のように述べられています。

「ここで少しく事理のたてわけについて一言しよう。
 仏教における事理の名目は多岐多端であるが、一般的には理論と実践、真理と事相、抽象と具体、心法と色法、教理と仏身その他を含む相対的法相・法義の意味を判じあらわすのである。」

難しい言葉で述べられていますが、思いっきり噛み砕けば、“何を基準にして、どちらがより真実、実態に近いことを言っているのか。”ということだと思います。

たとえば、ここに一個のミカンがあるとします。


「これは物体である。」  

「これは食べ物である。」

両方とも当たっています。しかし、ミカンの実態をより詳しく述べているのは後者ですね。


「これは食べ物である。」

「これは果物である。」

これもまた両方とも間違いではありません。しかし、より的確に述べているのは後者です。


「これは果物である。」

「これはミカンである。」

くどいようですが、これもまた両方とも正解ではありますが、ピンポイントでミカンの説明をしているのは後者なのです。


このように二つの物が並んだとき、どちらがより正確に表現しているかを見ていくのです。


この考え方は五重相対と同じですね。


キリスト教と仏教を比較した場合、正しいのは仏教です。


仏教の中でも、小乗教と大乗教を比較した場合、正しいのは大乗教です。


大乗教の中でも、権教(42年間に説かれた爾前教)と実教(法華経)を比較すれば、正しいのは実教(法華経)です。


実教(法華経)のなかで、迹門と本門を比較すれば、本門。


本門の中で種脱相対すれば、文底下種仏法が正しい。


と、こうなるわけです。



つまり、何を物差しとして比較しているのか?

その上で、どちらがより真実を捉えており、どちらが意味合いはそこに通じているにすぎないものなのか?



これをもって「事」と「理」、もしくは「事」と「義」という立て分けがなされるのです。



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