顕正会の誤りについて:国教でないから国立戒壇は無い 7

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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国教でないから国立戒壇は無い 7

最後に日淳上人のお言葉について述べます。


『第六十五世日淳上人は堂々と
 「真に国家の現状を憂うる者は、其の根本たる仏法の正邪を認識決裁して、正法による国教樹立こそ必要とすべきであります」(大日蓮32年1月号)と御指南されているではないか。』(正本堂の誑惑を破し懺悔精算を求む 195ページ)


と、浅井会長は鼻息を荒くして叫んでおり、その手下たる顕正会員はこのお言葉を切り札として使ってきますが、日淳上人はさぞやご迷惑なことだろうと思います。


このお言葉は「新年の言葉」と題されて大日連に掲載されたものですが、この短い御言葉だけを拝読してみても、この時代に於いては日本国内が主たる布教の対象であり、また「国家の情勢を察する時」、「国内の政治経済に於いて」等の言葉からも、日本国内を対象とした内容になっていることは一目瞭然です。


また、終戦後からの日淳上人の著述を通して拝読すれば、欽定憲法により信教の自由が保障されたことと、現憲法の政教分離による、民衆の宗教に対する認識の混乱が招いた現状から、早くも民主主義の矛盾点限界点を見極められ、正法治国こそが国家安寧の唯一の方策であると何度も何度も繰り返し述べられているのです。


その上で、このお言葉を改めて拝するならば、当時の終戦後の日本の混乱を解決するためには、正法治国こそが一番の大事であるということを述べておられるに過ぎず、浅井会長のように国家意思の公式表明をせよとまで言っているわけではありません。


更に言うならば、先にも申しましたように、このお言葉は国内に主眼をおいての言葉でありますから、国教という言葉を使用されてはおりますが、ここに一切衆生への救済、全世界への布教という観点をも含めてお言葉を発しなければならないとしたならば、おそらく国教という言葉は使用されないだろうということは簡単に想像出来うるものであります。


結論として、浅井会長が主張するところの「国教にすべき」との論は全て誤りであることを、ここにはっきりと申し述べておきたいと思います。


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Comment

ディープな議論に僕なりの… 

昨日、義母の御授戒になんとかこぎつけました。未入信の者の健康を御住職様に祈っていただいて、快癒しておきながら放っておいたのではまずかったので、ホッとしてます。

浅井氏流の国教は、信教の自由のないイスラム的な国教のイメージが付きまとって、信徒ながら恐ろしいです。

僕の理想は、とりあえず小学校で教師が「みなさん、今朝の勤行はちゃんとできましたか~?」と聞いて、子供が「はあ~い」と明るい声で手をあげる社会ですね。

広宣流布といっても、なんとか達成した時点と、以後何千年も経過して、地球文明の根幹となった時の姿とでは、大きく変わっていると思います。

浅井流は浅井氏存命期間のみに、全精力が注がれているように思うのです。

謗法の害毒はともかく、現行憲法では宗教への施はありません。学会が一凶と呼ばれるのは、公党として存在する公明党が邪教化した学会の走狗であることに、原因があるのではないでしょうか。

事実、学会が正宗の一門であったころは、池田氏の内面はともかくとして、日本はブイブイ言わせていたのですから。。。その後の20年…ため息がでます。

ポリ銀さん 

お母様の入信、大変おめでとうございます。着実に一歩一歩前進し続けるポリ銀さんご家族には、心の底より敬服し、頭が下がる思いです。


ところで、


>広宣流布といっても、なんとか達成した時点と、以後何千年も経過して、地球文明の根幹となった時の姿とでは、大きく変わっていると思います。


実は私も、この「名目上の達成。」と、「実質的な達成。」、この間に大変な関心を持っております。

現在平成27年の御祈念を、法華講員の皆さんは朝夕執り行っておりますが、そこにも「名実共に必ず成就なさしめ給え」とあります。

これを見ても、物事には「名目上成し遂げた」後に、「実質的にも達成された。」という二段階があるのだと思います。

そのような観点から御遺命の戒壇を考えていくならば、ひとまず国民全てが帰依した段階が「名目上達成された。」段階。そしてその後に御遺命の戒壇を実際に建立するという、最後の試練が待ち受けているのではないかと最近思うのです。

御遺命の戒壇が建立されるおりには、究極の三障四魔が襲いかかってくると思うのです。それを国民全てが信心で乗り切り、無事に御遺命の戒壇が建立された暁には、国民一人一人の胸中に確固たる信心が培われていると思うのです。これが「実質的な広宣流布の達成。」であり、それをもって事の戒法と大聖人様はされたのではないかと個人的に考えているところです。

まぁ、御法主上人の御指南にもそこまでのことは書いてありませんから、あくまでも私の妄想ではありますが…。

ただ、そのように考えるならば、戒壇建立を形式として軽く捉える事もなくなるわけで、何となくしっくり来るような気がするのです。

実体験を踏まえた上での持論ではありますが、その実体験とやらは、今度お会いしたときにでもチビチビやりながらお話ししたいと思います。

最後に…、専制政は一つ間違えればナチスのようになりますし、リスクは高すぎるとは思いますが、国民全ての意識改革を為すことのハードルと比べると、仏国土実現への道は近いのではないかとも個人的には思います。

いずれにしても御仏意で、なるようになるのでしょう。

とにかくこの信仰は急ぎすぎないことが肝要だと思います。


  • posted by トチロ〜 
  • URL 
  • 2012.01/09 17:07分 
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  • posted by  
  •  
  • 2012.01/09 23:20分 
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義母様の御授戒おめでとうございます(*^o^*) 大きな親孝行ができましたね(*^o^*)
  • posted by ドンチャン 
  • URL 
  • 2012.01/10 09:01分 
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