顕正会の誤りについて:策士策に溺れる

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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策士策に溺れる

今まで昭和40年の正本堂建設委員会における日達上人の御言葉、ならびに「正本堂」に就き宗務御当局に糺し訴うにおける浅井さんの解釈を見てきてもらったのですが、破門以前は「この御説法において正本堂を御遺命の戒壇とはしていない。」と言っていたものが、破門されてからは「この説法こそが正本堂を御遺命の戒壇とした元凶である。」と、その解釈は180度変わってしまいました。



その後に平成2年に「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」を出します。これは直ちに発刊された「なぜ学会員は功徳を失ったか」に全文紹介されております。そこでの解釈も「だが、これより九ヶ月のちに開かれた第一回正本堂建設委員会における細井管長の説法により、正本堂は突如として“御遺命の戒壇”と、その意義が変更されたのであった。(中略)この伏線があって、翌年二月十六日の第一回正本堂建設委員会における説法となる。この細井管長の説法は、正本堂を御遺命の戒壇と決定する理由を述べた、最初で唯一の説法であるから、ここにその主要部分を上げる。」として、御遺命破壊の証拠として紹介します。更に平成14年にその諫暁書だけを抽出した「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」を発刊しますが、その冒頭「本書は平成二年四月二十七日を以て、阿部管長に送付した諫暁書である。」として、平成二年に出された諫暁書と内容は同じものであると言いながら、そこには大幅な加筆がなされて会員に販売されました。



今回あらためてこの書を読んでみたのですが、。実はその加筆の部分こそがこの問題に関してのことであり、そこには“何としてでも日達上人を悪者にしたい。”との浅井さんのどす黒い思惑が感じ取れるものであります。



本日はその部分を見ていきましょう。



先にも申しましたが、現在顕正会員さんが試験のために手にしている「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」という書籍は平成14年に発刊されたものかと思います。しかしながら、その原本は平成2年に「なぜ学会員は功徳を失ったか」という書籍にて紹介されておりました。



浅井さんも「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」のまえがきに「本書は平成二年四月二十七日を以て、阿部管長に送付した諫暁書である。」と書いているのですから、当然のことながら両書は内容が同じでなくてはおかしいはずです。



しかしながら、その内容はあらゆるところに手が加えられ、とくに今回紹介する部分は約1ページにわたって新しい文章を挿入しているのです。



これっておかしくないですか?



正々堂々が顕正会のモットーではないのでしょうか?



こんなうす汚い、ちょこざいな真似をするのが顕正会なのでしょうか?



実はこれが浅井さんの本性なんですよ。



顕正会の皆さん早く気づきましょうね。




それでは本文を見ていきましょう。



「なぜ学会員は功徳を失ったか」の45ページ1行目には、


「などと、矛盾したことを云わざるを得なくなるのである。【  】このように細井管長の説法は支離滅裂、始めから終りまで矛盾撞着に満ち、誰にもその意がわからぬものであった。」

(なぜ学会員は功徳を失ったか 45ページ)


とありますが、この【  】の部分に浅井さんは1ページ、15行にわたって新しい文章を挿入してしまっているのです。


同じ個所を「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」で見ていきましょう。


「などと、矛盾したことを云わざるを得なくなるのである。

さらに最も見やすき馬脚を指摘すれば、説法の冒頭に細井管長は

『正本堂についていちばん重大な問題は、どの御本尊を安置申し上げるかということでございます。過日来、いろいろなところで質問され、またこちらにも問い合わせがきておりますが、それに対して、私ははっきりした答えをせず、ばくぜんとしておいたのであります。いよいよ、きょうこの委員会が開かれるにあたって、初めて私の考えを申し上げておきたい』

と述べているが、もし正本堂が御遺命の戒壇であるならば、「どの御本尊を安置申しあげるか」などということは、始めから問題になるべきはずもない。なぜなら御遺命の戒壇とは、広宣流布の暁に、戒壇の大御本尊を御安置することを目的として建立されるものだからである。

しかるに細井管長は試案のすえ

「その曼荼羅(戒壇の大御本尊)を、現在では大石寺の本堂にご安置することが、もっともふさわしい」

などといっている。このこと自体、正本堂が“偽物”であることを雄弁に物語っているではないか。


このように細井管長の説法は支離滅裂、始めから終りまで矛盾撞着に満ち、誰にもその意がわからぬものであった。」


(正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む 28~29ページ)



どうでしょうか?青字で示した部分が書き加えられた部分です。「「本書は平成二年四月二十七日を以て、阿部管長に送付した諫暁書である。」といいながら、送付していない文章をここまで付け加えちゃっているのです。なんたる卑怯者!なのでしょうか。



ただ、面白いのはその内容です。日達上人を貶めるつもりがかえって“日達上人が正本堂を御遺命の戒壇とは考えていなかった”ということを証明してしまっているわけですから…。




「細井管長の説法は支離滅裂、始めから終りまで矛盾撞着に満ち」と浅井さんは言っておりますが、支離滅裂であり、矛盾に満ちているのは浅井さんの方ではないでしょうか?



日達上人は正本堂を御遺命の戒壇とは認めていないのですから、正本堂の寄進とはつまるところ単なる本堂の寄進なのです。そのように日達上人は認識していた。それではその本堂にはどの御本尊様を御安置しようか…。というのが当時の真実であり、それは正本堂建設委員会のお言葉を素直に拝せば誰しも理解できるものです。


しかしながら、何とかこのお言葉を御遺命破壊と結び付けたいが故に浅井さんは小手先のテクニックを駆使して「日達上人は始めから正本堂を御遺命の戒壇と決定していた。」というスタンスから論を進めていったわけです。


けっきょく、浅井さんの文章は矛盾が矛盾を呼び、平成14年の正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求むでは大幅加筆をしなければいけなくなり、結果としてもこの加筆部分は日達上人が正本堂を御遺命の戒壇と認識していなかったことを証拠づけるものとなっているのですね。



策士策に溺れるとはまさにこのことなんでしょうね。









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