顕正会の誤りについて:国教でないから国立戒壇は無い 6

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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国教でないから国立戒壇は無い 6

更に浅井会長は根拠としての文証を出してきますが…。

まったくもって滅茶苦茶であり、笑うしかありません。

とりあえず見てみましょう。


 『「国教」の定義もいろいろあるが、もし「国教」を“国家が根本の指導原理として崇尊(そうそん)する教法”と定義するならば、三大秘法こそ日本の国教たるべき教法であり、大聖人の御念願もここにあられる。
 御付嘱状の「国主此の法を立てらるれば」、四十九院申状の「国主此の法を用いて」とは、まさしく“国教にすべし”との御意ではないか。また三秘抄の、王法が冥ずる「仏法」、王臣一同が受持する「本門の三大秘密の法」、勅宣・御教書を以て擁護(おうご)すべき「本門戒壇の大御本尊」とは、まさしく国教そのものではないか。
 そして、国家が根本の指導原理として三大秘法を受持擁護するその具体的発動が、国立戒壇の建立である。ゆえに、国教だからこそ国立戒壇が必要なのである。
 現憲法に気兼ねして「国教」を禁句のごとく扱う必要はない。』(正本堂の誑惑を破し懺悔精算を求む 194~195ページ)



どうでしょうか?赤字を見れば一目瞭然です。文証として出してきた御金言も、「国主」とは仰せになってはいますが、「国家」とは言っておりません。つまり、国主の帰依と、その信心の開覚が問題なのであり、そこから一歩踏み込んだ国教化による、国家意思の公式表明までを言及されているものではありません。


次に、三大秘法抄においても、「仏法と王法が冥ずる」、「王臣一同が受持する」、この二点に関しては国主の帰依、万民の帰依という広宣流布の実態が伴っていれば、別に問題はありません。国教とは無関係であっても成り立つものです。


最後に「勅宣・御教書をもって」の部分に関してですが、現代の民主政に於いては少し難しい問題になるやもしれませんが、専制政においては国主の帰依をもってこの点はクリアーされます。


ここで顕正会員諸氏は専制政について異議を唱えるかもしれませんが、時代はどう変わるかは分かりません。一国の広宣流布のとき、天皇陛下が名実共に国主として復活されていることも可能性としては十分あり得るのです。


ようするに、浅井会長が文証として出してきた物はすべからく「国教にしなければならない。」との裏付けになるものでは無いのです。


むしろ、御隠尊猊下の御指南を裏付ける物になっていると言うべきなのです。




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Comment

どうも、こんばんは。 

なんで日淳上人の御指南に触れなかったのですか?
あの御指南の中には、ハッキリと「国家」とか「国教」と書いてあります。都合の悪いことは書かないということかな?
  • posted by バーズ博士 
  • URL 
  • 2012.01/08 23:28分 
  • [Edit]
  • [Res]

バーズ博士さん 

はじめまして。

既に予約投稿で書いてあります。

本日の4時前後にアップされていますので、ご確認下さい。
  • posted by トチロ〜 
  • URL 
  • 2012.01/09 07:03分 
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  • [Res]

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