顕正会の誤りについて:第一回正本堂建設委員会

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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第一回正本堂建設委員会

さて、顕正会では試験の季節になりましたね。



純粋なる顕正会員諸氏に私からも一つ試験問題をだしてみましょう。




****************************


「正本堂の御供養には妙信講も参加した。今日から見れば、なぜこれに参加したのか不思議に思う人もいようが、当時はまだ誑惑が顕著ではなかった。

 
少なくとも、管長猊下は一言も正本堂を御遺命の「事の戒壇」などとは云われず、もっぱら戒壇の大御本尊を安置し奉る建物であることを強調し、「供養の誠を捧げよ」と、宗門の全僧侶・信徒に呼びかけておられたのである


もちろん妙信講は、正本堂を、国立戒壇建立まで戒壇の大御本尊様を秘蔵厳護し奉る堂宇、すなわち大御宝蔵・大奉安殿の意と理解して、御供養申し上げんとしたのである。


(中略)


この時の管長の説法(第一回正本堂建設委員会における御説法)は「大日蓮」誌等にも掲載されているが、極めて曖昧にして論旨不明瞭、奪って論ずれば支離滅裂の戒壇論である。しかしよくよく見れば、正本堂は奉安殿の延長の建物であることを結句述べているのである。



(中略)



この時点では細井管長は、少しも正本堂を御遺命の戒壇などとは云っていない。ただ、「大御本尊安置の堂宇なるゆえ、御供養せよ」と云われているだけなのである。」

(顕正会「試練と忍従」の歴史 53~54)




「だが、これより九ヶ月のちに開かれた第一回正本堂建設委員会における細井管長の説法により、正本堂は突如として“御遺命の戒壇”と、その意義が変更されたのであった


(中略)


この伏線があって、翌年二月十六日の第一回正本堂建設委員会における説法となる。この細井管長の説法は、正本堂を御遺命の戒壇と決定する理由を述べた、最初で唯一の説法であるから、ここにその主要部分を上げる。」


(「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」20~21)



以上は浅井先生のお言葉でありますが、赤字と青字、どちらが浅井先生の本心なのでしょうか。





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これは非常に大事な問題です。日達上人が正本堂を御遺命の戒壇と断定したか否か、すなわち、御遺命破壊があったのか、それとも御遺命破壊など無かったのかが決定される分かれ道なのです。



浅井さんは、「この細井管長の説法は、正本堂を御遺命の戒壇と決定する理由を述べた、最初で唯一の説法である」と述べてますが、換言すればこの御説法以外には御遺命破壊のお言葉など存在しないということでもあります。


さて顕正会員の諸君、あなたならどう考えますか?



赤字が正しいと答えたなら、その前提で緑字を拝せば日達上人には一言も御遺命破壊のお言葉は存在しないということになる。



逆に青字が正しいと答えるならば、なぜ御遺命破壊だと分かっているのに妙信講は正本堂の御供養に参加したんだ!となる…。




う~~~~~~~~ん、悩ましいものですね…。




はたしてこれに明確に答えられる顕正会員は存在するのでしょうか?
















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