顕正会の誤りについて:認めるということ。

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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認めるということ。

先日みんとさんという方からコメントが入りました。


「疑問があります。戒壇の大御本尊様にお目通りしなければ、功徳はないといった書かれようですが、当時、熱原の法華講衆の方々は大聖人様にお会いしたこともない方々ばかりです。命をかけて、戒壇の大御本尊様の願主にもなった熱原の法華講衆の方々は、信心はあっても、大聖人様にお目通りしなかったがゆえに地獄行きなのでしょうか?
posted by みんと URL 2013.12/23 13:43分」


たぶん顕正会員の方なんでしょうね…。


御開扉を受けることだけが成仏の要件であるとは、まともな法華講員であれば考えもしません。


実際に日本の裏側にお住いの海外の信徒さんだって多数存在しますし、なかには一生に一度きりの御登山、御開扉という人もいるでしょう。またはそれさえも経済的に叶わず、一回も御開扉を受けることなく臨終を迎える方も多数いらっしゃることと思います。


それらの方は成仏できないのか?



そんな馬鹿な事はありませんよね。



御法主上人に任命された御僧侶が、猊下様の名代としてその土地その土地の信徒さんを教導していくのですし、その道場として各国、各地の寺院教会を建立してあるわけです。



上記のような信徒さん方も、指導教師たる御住職様のもとでその寺院の御本尊様を通して戒壇の大御本尊様からの功徳法水を頂けるわけです。



ですから何も御開扉を受けられないことが堕獄へと繋がるということはありません。



ただし、「参詣遙かに中絶せり。急ぎ急ぎに来臨を企つべし。」(御書 1569)との大聖人様の御言葉もあるように、登山参詣をするということにも大事な意義が存在することもまた我々は無視してはならないと思うのです。


顕正会の皆さんにもとっつきやすいように顕正会の書籍から引用いたします。


「御開扉を給わるに当って


                         日蓮正宗・妙信講


 今回の御登山は御本山の予定に依り、着山後直ちに奉安殿に詣で御開扉を給わる事になっておりますので、殊に初登山の方々に前以ってその心得を申し述べるべく先師の御指南に従って此処に一文を草するものであります。

 申すまでもなく、御登山の目的は総本山大石寺に参詣して、七百年来歴代上人によって厳護されて来た「本門戒壇の大御本尊」に御内拝をさせて頂く事にあります。

 この「本門戒壇の大御本尊」こそ実に仏法の根源・御本仏日蓮大聖人出世の御本懐・一期の御大事にして、末法の一切衆生即身成仏の大導師にて渡らせられる尊極無上の大御本尊であります。

(中略)

 これぞ久遠元初以来御胸に秘し懐き給いし所証得の全体・事の一念三午・人法一箇の御境界を大慈悲を起こして一幅に顕わし末代幼稚の頸に懸けしめ給うものにして、実に此の大御本尊こそ末法下種の正体、御本仏・日蓮大聖人の御法魂にてましますのであります。故に御書に「日蓮が魂を墨に染め流し書きて候ぞ信ぜしめ給へ、仏の御意は法華経なり、日蓮が魂は南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」と仰せられるのであります。然ればいま御内拝を遂げまいらす事は、正しく霊山に詣で生身の日蓮大聖人に値い奉る事であります。


(中略)


 私共は宿縁深厚にして、未だ時至らざるうちに御法主上人の慈悲により此の砌に詣でほしいままに此の大御本尊を拝みまいらせること、誠に言葉もなく、只々感激の極みであります。されば更に御宝蔵の御説法に云く

 「若し然らば此の霊場を踏み奉らん輩は無始の罪障忽ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成じ、妙法当体の蓮華仏とならん事少しも疑いなきことなり。然るに未だ事の広宣流布の時節も至らずして天皇陛下に於せられても未だ拝し給わざる以前に各々旁々にはほしいままに此の大御本尊を受持信行し奉ること誠に以て宿縁深厚の幸い実に実に比類なき果報いみじき身の上なる程に必ず此の義を緩せに思うべからず。一向謗法の念慮を絶して臨終の夕べまで忘れ奉らざる様に信心に拝し奉るべき事肝要なり」云々と。

 よくよく七百年来の此の御説法を肝に銘じて、各々恋慕渇仰の信心に住して御内拝を遂げ奉る事こそ大切であります。

昭和四十五年十月廿五日」


(富士 第87号 【昭和45年11月号】7~11ページ)



非常に整理され簡潔に御開扉の大事を述べておられますよね。

当にこの精神こそが大切なわけです。





御開扉の意義については多少理解いただけたと思いますので、ご質問のテーマである「熱原の法華講衆」に関してふれてみましょう。



確かに熱原の法華講衆は大聖人様にお目通りされておりません。



このことをもって現在の顕正会員は、自分たちが御開扉を受けられない状態を肯定する根拠にしているようですが、これはとんでもない間違いです。



結論から申しましょう。



熱原の法華講衆と現在の顕正会員とでは大きな違いが存在するのです。



それは血脈が流れていないということです。



確かに熱原の法華講衆は大聖人様にお目通りされてませんが、大聖人様は日興上人より彼らのことを聞いて認識していらっしゃるのです。


「彼のあつわらの愚癡の者どもいゐはげましてをとす事なかれ。彼等には、たゞ一えんにをもい切れ、よからんは不思議、わるからんは一定とをもへ。」(御書 1398ページ)


との御金言は顕正会員の皆さんも良く御存じのことでしょう。


つまり、大聖人様は日興上人に彼らの教導をお任せになられていたのであり、熱原の法華講衆は日興上人の元で一生懸命に信心に励んでおられたのでしょう。ですから、功徳はあるわけです。成仏も出来るわけでございます。


これは冒頭でお話しました現代の御登山出来ない海外信徒さんにおいても同じことが言えるわけです。唯授一人の血脈をお受けになられた御法主上人猊下がお認めになられた御僧侶が正しく教導されている。その指導のまま信心しているのですからたとえ登山参詣できなくても、自然と成仏していかれるわけでございます。





大聖人様の仏法においてはこの「認める」ということが何よりも大事なんです。


熱原の法華講衆は信徒として日興上人に認められていたわけです。その日興上人は大聖人様に弟子として認められていた…。つまり、熱原の法華講衆は「認める」という流れを遡れば大聖人様に行きつくのです。これが大事なんです。


現代の法華講員においてもしかりです。


およそ法華講員と呼ばれるものは指導教師の御住職様から信徒として認められています。その御住職様は御法主上人から指導教師として認められています。そして御法主上人は先代の御法主上人から次の御法主として認められたのであり、先代は先々代にとどんどん「認めた」先を遡れば、これまた大聖人様迄たどりつくものなんです。


そうなんです、現代においても成仏できる資格を持つ者とは、「認める」という流れを遡れば、洋の東西を問わず、必ず大聖人様まで辿りつけるものなんです。


これこそが大事中の大事であり、顕正会員には微塵もあり得ないところなのです。



みんとさん、お分かりになりましたでしょうか?



顕正会員がいくら熱原の法華講衆を持ち出してきても、どんなに逆立ちをしても、決してあなた方は成仏できえないというのは、この流れが無いからなのですよ。












 
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Comment

 

明けましておめでとうございますm(__)m

本年も宜しくお願い致します(^_^ゞ

私も、認められる信心をしたいと思います(^_^)
  • posted by ドンチャン 
  • URL 
  • 2014.01/01 07:04分 
  • [Edit]
  • [Res]

ドンチャンさんへ 

明けましておめでとうございます。

ただ今お山の元朝勤行から帰ってまいりました。

これから家族を連れて御開扉へと、再びお山へGO!です。

今年もよろしくお願いいたします。

 

新年、あけましておめでとうございますm(__)m
今年もよろしくお願いします。

血脈についてですが、顕正会員に話しても、ピンとこないみたいです。

自分が顕正会にいた時も、血脈については、唯授一人の血脈が一時的に断絶したみたいなことしか聞いたことがなかったと思います。

明けまして、おめでとうございます。 

 私も何とかサボらずに、今の所属末寺の元旦勤行に行けました。
 自分の信心を保つことに精一杯で、今年もどうなるか分かりませんが、よろしくお願い致します。

禁煙頑張ってくださいございます。。 

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

年末に電話でしたが、顕正会員と話しをしましたが、前にもまして顕正会は教学を捨て、浅井昭衛のみを信じる事が信心と勘違いさせている様です。

  • posted by ドモン 
  • URL 
  • 2014.01/02 18:43分 
  • [Edit]
  • [Res]

ありの金吾さんへ 

明けましておめでとうございます。

山門さんのブログ等で最近の浅井さんの講演を見ると、「御本尊を信ずるということは、即日蓮大聖人に値い奉っているのである」等ともっともらしいことを言っているようですが、その前提に存するものは「日蓮が弟子檀那」であるということです。

上記日記上の青字の部分は第56世日応上人の「本門戒壇本尊縁由」からの引用ですが、その中には、

「當體義鈔(一二三四)に云く正直に捨方便但信法華經南無妙法蓮華經唱人煩惱業苦の三道法身般若解脱の三徳と轉じて三觀三諦即一心にあらはれ其人處住の處は常寂光土也能居所居身土色心倶體倶用旡作の三身本門壽量當體蓮華佛と者日蓮が弟子旦那等の中の事也是即法華當體自在神力の顯るゝところの功能なり敢て不可疑々々々」

「又次下に云く、然るに日蓮が一門は正直に捨權教邪法邪師邪義正直信正法正師正義故に當體蓮華を證得し常寂光當體妙理を顯す事は本門壽量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華經と唱るゆへなりと」

「又日女鈔(一六二六)に云く此御本尊も只信心の二字に納まれり以信得入とは是也日蓮が弟子旦那等正直捨方便不受餘經一偈と旡二に信ずるゆへにより此の御本尊の寳塔の中へ入るべきなりたのもしたたもしいかにも後生をたしなみ玉ふべし穴賢々々南無妙法蓮華經と斗り唱へて佛になること最も大切なり信心の厚薄によるべきなり佛法の根本は信を以て源とする等と宣へり。」

等々と、あくまでも日蓮正宗の御僧侶並びに信徒に限って許された御法門であることを念押しされているわけです。

血脈が断絶したなどと述べる顕正会員には決して許されざる御法門であることは以下の部分にも見てとれると思います。

「故に當宗に於て授與する處の御本尊は一切衆生に下し置れたる此の御本尊の御内證を代々の貫主職一器の水を一器に瀉すが如く直授相傳の旨を以て之を瀉し奉り授與せしむる事なれば各の其持佛堂に向ても直に此の御本尊を拜し奉る事よと相意心へ受持信行する時には其處直に戒旦の靈地事の寂光土なる程に臨終の夕までも此御本尊を忘れ奉らざる樣に致さるべきなり、爾れば則ち即身成佛は决定疑ひなきなり。」


この青字の部分は浅井さんが全国の会館の御入仏式において同じようなことをよく講演しますが、あくまでも赤字の部分を信じ切れる日蓮正宗僧俗においてのみ通用する理屈であり、血脈断絶などを発する同じ口で題目を唱えても何ら功徳は無いということでありましょう。

このような基本的な部分を彼らには認識していただきたいものですね。


ユタさんへ 

明けましておめでとうございます。

「正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始め。此をもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく、とくもまさり人にもあいせられ候なり。」(御書1551)

ユタさんを戒壇の大御本尊様へと取り次いでくださる御主管様と共に新年を迎えられたこと、これほどの素晴らしいスタートは無いことと思います。

この一年が実りある年になりますよう、お祈り申し上げます。

ドモンさんへ 

明けましておめでとうございます。

禁煙は順調…と言いたいとこですが…、奥さんよりも付き合いの長いニコチンとお別れするのは中々にしんどいものです…。

身体的なタバコへの執着は禁煙1日から3日位で綺麗に消えてなくなるのですが、心の執着が無くならないのですね…。

それがことあるごとに顔を出す…。

習気(じっけ)とでも申しましょうか…。

顕正会の害毒から足を洗うのと何だかすごく似ているなぁと最近つくづく感じますね。


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