顕正会の誤りについて:国教でないから国立戒壇は無い 3

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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国教でないから国立戒壇は無い 3

まずは日達上人のお言葉を再度掲載します。


わが日蓮正宗においては、広宣流布の暁に完成する戒壇に対して、かつて「国立戒壇」という名称を使っていたこともありました。しかし、日蓮大聖人は世界の人々を救済するために「一閻浮提(えんぶだい)第一の本尊此の国に立つ可し」(御書全集二四五頁)と仰せになっておられるのであって、決して大聖人の仏法を日本の国教にするなどと仰せられてはおりません。
 日本の国教でない仏法に「国立戒壇」などということはありえないし、そういう名称も不適当であったのであります。』(大日蓮昭和45年6月号17ページ)



日達上人は、“なぜ国立戒壇という言葉を使用しないのか。”という事に関して、青字の部分をその理由として述べられています。


つまり、大聖人様の仏法は日本のみならず、全世界、一切衆生の救済を目的とせられるのであって、日本国一国のみの観点から諸々を判断するのは視野が狭いということです。


もちろん大聖人様は日本を選び御出現され、法を説かれたのであり、この日本を中心に法が広まっていくのは当然のことであります。大石寺内の五重の塔などは、その扉は西へ向けて設けられているのであり、これは末法の衆生を救う法が東の日本より西へと向けて広まっていくことを示唆しております。


しかしながら、国家が大聖人様の仏法を国教として定め、これを看板に弘通を推し進めよとまでは説かれていないということなのです。


ここまでの理解があってこそ、初めて浅井会長が引用した部分の正しい理解が出来るのです。


これらの認識を踏まえて引用部分を見るならば、積極的に、公式の立場をもって、国家がこの法を護るのでないのならば、国教ということにはなりません。あくまでも国主の自発的信心の発露としての仏法守護が肝要なのであって、公式の立場を利用するというのは、踏み込みすぎた解釈であります。


されば、国教とする意義がそこに無いのならば、また国家が公式にこれを守護するという意義もまた無いことになります。


それらを踏まえるならば、国立戒壇という語は意味合いの上からも不適当である。ということを日達上人は仰せなのです。


そして、ここで顕正会員の皆さんに考えて頂きたいことは、上記お言葉の最後の赤字の部分をなにゆえ浅井会長はカットしたかということなのです。


これは“御宗門は「国立戒壇」という言葉を使用はしなくなったが、国主がこの仏法をたもち、この仏法をもとに政治を行い、日本を安穏ならしめ、御遺命の戒壇を建立する。という大聖人様の御遺命は未だ宗内に厳然として生きている。”ということを顕正会員に覚られないようにとの配慮以外の何ものでもありません。


言葉を使用しなくなった=御遺命の消失


ではないのです。


それを意図的にそのように顕正会員に洗脳しようとしているのですね、浅井会長は…。


この御言葉は単に「国立戒壇」という言葉の不使用の宣言であり、御遺命は破壊されていない。


ということを、是非とも顕正会員の皆様には、今一度深く考えて頂きたいものです。


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Comment

 

顕正会が大上人様の御遺命を護持しているのならば国立戒壇では無く、本門戒壇と言うべきであります(T_T) 宗門を散々誹謗しておきながら、何処が御遺命を護持しているだっ!と、言いたいです(ToT) 完全な仏法破壊なのですから(T_T)
  • posted by ドンチャン 
  • URL 
  • 2012.01/06 12:26分 
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トチロ〜さん、こんばんは!

とてもわかりやすいですね!!

今、グリーで現役顕正会員の方とやり取りしているのですが、まさにこの事をわかってもらいたいと思っています。

私の言葉で何度かお伝えしたのですが、お返事には「宗門は国立戒壇を捨てて御遺命令を破壊した!」としか帰ってきません。

自分自身も全く同じだったのですが、浅井会長のこの洗脳は、本当に強力だと思います。

トチロ〜さんのこの日記、お借りしても良いですか?
  • posted by AKIRA 
  • URL 
  • 2012.01/06 20:45分 
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ドンチャンさん 

本門戒壇よりも御遺命の戒壇という表現の方が的を射ていると感じます。

本門とは本有常住門ということですから、本門における事も義も含めたところの戒壇を指してしまうように感じます。

御遺命の戒壇との表現であれば、宗内においては広宣流布の暁に建立される戒壇一点を指すことは説明するまでも無いので、そちらの表現の方がいらぬ誤解を招かないとと思います。

しかしながら、ドンチャンさんの仰ることは核心をついていますよね。

浅井会長も、呼び方などどうでも良いと本来は思っているはずです。

御遺命の戒壇の意義が宗内から消え失せたと主張したいのでありましょう。そして、それを諫めたから破門されたのだと…。

しかしながら、これは順序が逆なのです。破和合僧たる行為を為したからこそ破門に至り、その破門を正当化したいがゆえに戒壇の意義に文句をつけているにすぎません。

そのあたりを彼らは上手く会員に洗脳していますから、その洗脳を解いてあげるのが私たちのつとめなのでしょうね。





  • posted by トチロ〜 
  • URL 
  • 2012.01/07 08:21分 
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AKIRAさん 

こんな日記でも良ければドンドン使って下さい。

ただ、私の捉え違いの部分もあるかもしれませんので、もし環境が許すのならば、御住職様や執事様、もしくは気軽にご相談できる宗内の御僧侶方に確認した上で、使用されると良いかと思います。

その上でですが、これらの破折を為しても、浅井会長は二重三重に難癖を用意しておりますので、対象者によってはそれらを見つけ出してくるかもしれません。

その時はメール下さい。

更なる切り返しをさせて頂きます。


  • posted by トチロ〜 
  • URL 
  • 2012.01/07 08:28分 
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そうなんですよう! 

もう、今の顕正会員の唯一のよりどころは、「国立戒壇」という名称の不使用だけなんです。。。

僕のかつての上長もそういっておりました。

冷静になれば、現行憲法は富士山と同じく不可思議な作用によって、この国の憲法と成っておるに違いありません。右翼思想の迷いが解けて見れば、信教の自由を保障しつつ、政府の介入も排除する…。

折伏しても正当なやり方ならば、個人間の問題になるのですからねえ。おそらく、日本の有史以来のことだと思います。世法ではこれ以上のことはできませんからね。

ポリ銀さん 

たしかに布教という点においては、恵まれた環境になっていると私も思います。

これも御仏意なのでしょうね。

その一方で、民主主義の限界もまた教えてくれているのが、現在の制度だと個人的には感じます。

たとえ愚かな政策であっても、数の理論で押し切る…。

これが果たして最も優れた方法なのか?

仮にたとえ一人であっても、正論を主張する者があれば、それに従うのが、結果として万民が幸福な方向へと導かれるという道理もまた存在するわけです。

この現行制度とは全く正反対の考え方の中に、真実が隠されていると私は思うものです。

  • posted by トチロ〜 
  • URL 
  • 2012.01/08 10:54分 
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