顕正会の誤りについて:国教でないから国立戒壇は無い 2

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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国教でないから国立戒壇は無い 2

『細井管長はいう
 「(日蓮大聖人は)決して大聖人の仏法を日本の国教にするなどとは仰せられておりません。日本の国教でない仏法に『国立戒壇』などということはありえない」(大日蓮45年6月号)』(正本堂の誑惑を破し懺悔精算を求む193ページ)

と、浅井会長は、日達上人のお言葉を引用して批判しますが、これもまたお決まりの“都合の悪いところを削除したうえでの”引用であります。


この発言の基は、その直前の昭和45年4月22日のお言葉の中に含まれております。しかし、これは表に活字化していない文章ですので、ここでの紹介は避けます。

しかしながら、浅井会長が引用した文章の前後の文までを含めて拝読すれば、日達上人の仰ることの正しい意義が見えてまいります。


わが日蓮正宗においては、広宣流布の暁に完成する戒壇に対して、かつて「国立戒壇」という名称を使っていたこともありました。しかし、日蓮大聖人は世界の人々を救済するために「一閻浮提(えんぶだい)第一の本尊此の国に立つ可し」(御書全集二四五頁)と仰せになっておられるのであって、決して大聖人の仏法を日本の国教にするなどと仰せられてはおりません。
 日本の国教でない仏法に「国立戒壇」などということはありえないし、そういう名称も不適当であったのであります。』(大日蓮昭和45年6月号17ページ)



どうでしょうか?

この部分を通して拝読すれば、御宗門の解釈の意義がはっきりと理解できます。つまり、この一文は“なぜ国立戒壇という言葉を使用しないのか。”の説明をされているのであり、浅井会長の引用部分も、その説明の一部分であります。これをこの部分だけをつまみ出してみると、意味不明の代物になります。

そして、浅井会長は自分の意見へと強引に引っ張っていくのであります。


そして、これは浅井会長の他の書籍にも顕著ではありますが、このように省略したり、あえて避けた部分にこそ、真実が隠れているのです。



















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