顕正会の誤りについて:信心口唱…、って苦笑しちゃうよね。

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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信心口唱…、って苦笑しちゃうよね。

さて、顕正会では「熊本会館御入仏式」なるものを行い、そこでの講演が顕正新聞に掲載されているようだが、そこには日寛上人の当流行事抄や撰時抄文段を悪用して「信心口唱こそ、御本尊様の功徳を頂くただ一つの方法、我ら凡夫が仏に成らせて頂く唯一の道であります。」なる浅井教独自の盲説を垂れ流しているようですね。


同じ趣旨の講演は以前から存在しました。


以下は今から7年前、平成18年に私が書いたものですが、そのまま今回の熊本会館の講演をも破折する内容になっております。



顕正会の皆様にはまずはこれを読んでいただき、何年経っても変わらぬ浅井教のアホらしさを実感していただきたく存じます。


そのうえで、再度今回の熊本講演を斬っていきたいと思います。


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数年前の東北大会および5月度総幹部会において浅井会長は“南無妙法蓮華経”とは何か…?



すなわちこの七文字は大聖人様のお名前であり、かつ久遠の昔に大聖人様が悟られた法であるとの講演をおこないました。



この講演を見たとき、私は何かこう…、何とも表現できないのですがシックリこないものを感じました。



つまり浅井会長の言っていることは大まかな意味合いに於いては何ら間違っていることは言ってはいないと思います。…ただ、腹の中に落とし込むには何とも消化不良になるような理解しづらい物を感じたのです。



おそらくあの講演を聞いた顕正会員諸氏も同じ感想を抱かれたことかと思います。




大聖人様の仏法は確かに難しいものではありますが、一言一句違わずにやっている者においては各々のレベルに応じて理解可能になっていると私は思います。すなわち、何一つ隠そうとせず、素直に正直に御金言を拝していくという作業をするならば必ず自身の身の上に当てはめて理解出来うるものなんです。



しかし、顕正会では決して表に出せない大聖人様の御金言というものが存在します。そういったものを何とか隠し通そうとするから非常に理解困難な話になってしまうのです。



今回、浅井会長の触れた話は、この日蓮正宗における信仰の基本的な部分であります。私も顕正新聞の5月25日号、6月5日号を手に入れまして活字を通して講演内容の検討をさせて頂きました。やはりといいますか…、浅井会長の話は穴だらけでございました。




まず結論から申し上げたいと思います。



東北大会および5月度総幹部会における浅井会長講演は、現在までの御自身の不信心を肯定化することを前提としておりますので、日蓮正宗本来の教義とは違い、不完全な形となっております。



南無妙法蓮華経とは大聖人様のお名前である。またお悟りになられた法そのものである。



これに関しては異論はございません。



ただし、この御本尊様に向かって御題目を唱えるところ、一生成仏が叶うのである。という事に関しては、およそ顕正会員においてはありえません。



これは大聖人様も日寛上人もそのように仰せになっております。



けっして顕正会員はいくら血を吐くまで御題目をあげようが、何をしようが成仏は叶わないのです。それを一からご説明いたしましょう。





 第三 唱題篇



 夫れ唱題の立行は余事を雑えず。此れ乃ち久遠実成名字の妙法を余行に渡さず直達正観する事行の一念三千の南無妙法蓮華経是れなり。末法の観心は信を以て本と為す。信無くして此の経を行ずるは、手無くして宝山に入り、足無くして千里の路を企つるが如し。是れ吾が家の最深秘、蓮祖化導の一大事なり。



 問う、末法は応に何なる法、何なる仏を信ずべしや。



 答う、文上脱益の三宝に執せず、須く文底下種の三宝を信ずべし。是れ則ち末法適時の信心なり。起信論に云わく「一には根本を信じ、二には仏宝を信じ、三には法宝を信じ、四には僧宝を信ず」已上取意。初めの一は総じて明かし、後の三は別して明かすなり。



 初めの一は総じて明かすとは、総じて久遠元初の三宝を信ずることを明かすなり。血脈抄に云わく「久遠元初の自受用報身・無作本有の妙法」と。又云わく「久遠元初の結要付嘱」云云。自受用身は即ち是れ仏宝なり、無作本有の妙法は法宝なり、結要付嘱豈僧宝に非ずや。久遠元初は仏法の根本なり、故に「根本を信ず」と云うなり。後の三は別して明かすとは、久遠元初の仏法僧は則ち末法に出現して吾等を利益したもう。若し此の三宝の御力に非ずんば極悪不善の我等争でか即身成仏することを得ん。故に応に久遠元初の三宝を信じ奉るべし、故に「二に仏宝を信じ、三に法宝を信じ、四に僧宝を信ず」と云うなり。(六巻抄“当流行事抄”194~195ページ)




これは日寛上人の六巻抄のうち当流行事抄というものです。その唱題篇というところの冒頭部分であります。これはお気づきになられた方もあるやもしれませんが、浅井会長が5月度総幹部会において引用致しました、



我等唱え奉る所の本門の題目、其の体何物ぞや。
 謂わく、本門の大本尊是れなり。
 本門の大本尊、其の体何物ぞや。
 謂わく、蓮祖大聖人是れなり。(六巻抄“当流行事抄”200ページ)



の御文の冒頭部分なのですね。




ここで日寛上人は、三宝への“信”が大事であること…、その“信”が無ければ手がないのに宝の山に入っていくようなもので、せっかく宝の山に足を踏み入れても何も宝を手にすることは出来ないのである…すなわち無益であると…、また足がないのに千里の道を行く事を計画するようなものだ…即ち根本的に直達正観(即身成仏)することは不可能だ…、と仰せです。そして、この“信無くして此の経を行ずるは、手無くして宝山に入り、足無くして千里の路を企つるが如し。”は法蓮抄の一節であり、大聖人様が仰せになっていることでもあるのです。



それでは何を我々は信ずれば良いのか?何を信じることが即身成仏に繋がるのか?ということを日寛上人は続けます。




「問う、末法は応に何なる法、何なる仏を信ずべしや。


 答う、文上脱益の三宝に執せず、須く文底下種の三宝を信ずべし。是れ則ち末法適時の信心なり。起信論に云わく「一には根本を信じ、二には仏宝を信じ、三には法宝を信じ、四には僧宝を信ず」已上取意。初めの一は総じて明かし、後の三は別して明かすなり。」



ここで三宝を具体的に挙げられます。つまりこの三宝を信じることこそが即身成仏するための必要用件なのである。とのことです。その三宝への信が欠如していたり、または全てを持ち合わせていないならその前の段の“信無くして此の経を行ずるは、手無くして宝山に入り、足無くして千里の路を企つるが如し。”に該当して成仏は叶わないということでもあるのです。これをその後の段でご説明されております。



「後の三は別して明かすとは、久遠元初の仏法僧は則ち末法に出現して吾等を利益したもう。若し此の三宝の御力に非ずんば極悪不善の我等争でか即身成仏することを得ん。故に応に久遠元初の三宝を信じ奉るべし、故に「二に仏宝を信じ、三に法宝を信じ、四に僧宝を信ず」と云うなり。」




当に読んで字の如くであります。三宝を信じることが出来ない者には唱題の功徳は有り得ないということであります。



よろしいでしょうか?浅井会長が5月度総幹部会において引用した、当流行事抄の御文、すなわち



「我等唱え奉る所の本門の題目、其の体何物ぞや。
 謂わく、本門の大本尊是れなり。
 本門の大本尊、其の体何物ぞや。
 謂わく、蓮祖大聖人是れなり。」(六巻抄“当流行事抄”200ページ)



“我等”とは三宝への信を持ち合わせている弟子旦那のことを言っているのです。顕正会員は御法主上人猊下への信が有りませんね?ですから、三宝のうちの“僧宝への信”が欠如しているのです。そのような連中には日寛上人も「即身成仏は出来ないよ!」と言っております。



ですから、せっかく浅井会長はこの日寛上人の御文を見つけ出してきて引用致しましたが、顕正会員にとっては当てはまらないのですね。



あなた方の唱える題目は日応上人のお言葉を借りれば、



「故に口に妙法を唱ふるといへども意ろ未だ聖祖の本懐に達せず、譬はゝ蛙の鳴くに異ならず何の益か之れあらん」(一念三千法門1ページ)



でありましょう。顕正会員はこれを読んでも“?????”としているでしょうから、私が判りやすく現代語訳してあげましょう。




つまり君たち顕正会員は自分自身では戒壇の大御本尊様を信じ、大聖人様を信じて御題目をあげているつもりにはなっておりますが、三宝への信が欠如している故に大聖人様の御意には叶っていないのであります。その叶わぬ信でいくら御題目を唱えようともカエルが“ゲロゲロ、ゲロゲロ、ゲロゲロゲ~~~~~ロ”と鳴いているのと全く違いが見られないのです。これでは即身成仏は叶いませんよ!ということです。(私が言っているのでは無く、日応上人が言っているのですから、私に文句は言わないでくださいネ。)




そういえば、顕正会員の御題目は不相伝の匂いがプンプンしておりますよね…。



「ナンミョウホウレンゲッ!ナンミョウホウレンゲッ!」




と無意識に唱えている若者が如何に多いことか…。やはりカエルに近いかな?


そういえば、顕正会がことさら持ち上げる日淳上人も以下のように“蝉”とも表現している…。



「此れをもって全く境妙本尊を離れたる題目は蛙鳴蝉声の如く唯口真似に過ぎないのであって、その口唱は畢竟無功徳といはなければならぬ。」(日淳上人全集上巻33ページ)




高邁なる日淳上人の御指南ですよ。顕正会員の皆さんは頭を下げて拝しなさいね。



さて、これまでは僧宝における信の欠如が即身成仏への障りになるというお話しを致しました。




「此の一念三千の本尊は全く余処外に在ること無し。但我等衆生の信心の中に在すが故に「此の三千、一念の心に在り」と云うなり。若し信心無くんば一念三千の本尊を具せず。」(観心本尊抄文段【御書文段209ページ】)




これは日寛上人の観心本尊抄文段の一節ですが、信の欠如した顕正会員のような人達には仏性は開かないよ!と仰せです。




顕正会員はよくよく反省すべきです。浅井会長は講演でこのことには触れませんでした。御本尊様には仏様のお悟りが込められているから成仏出来るんだというような内容だけでしたでしょ?しかし、本当は僧宝への信がなければそれは叶わないのですよ…。



「当に知るべし、本有無作の当体蓮華仏とは、本門の本尊の御事なり。我等、妙法信受の力用に依って本門の本尊・本有無作の当体蓮華仏顕わるるなり。」(当体義抄文段【御書文段624ページ】)




これは浅井会長の講演を日寛上人が説明している部分ですね…。しかし、日寛上人は決して浅井会長達のような慢心の輩を許しているわけではないのです。それは続けて述べられる以下の文に明らかです。



「本門寿量の当体蓮華仏とは是れ不信謗法の人の事には非ず、」(当体義抄文段【御書文段624ページ】)




御法主上人の御内証の上からの御指南を信ずることの出来ない不信謗法の顕正会員は成仏出来ませんとハッキリと仰せになっておりますね。これを顕正会員は何度も何度も噛みしめるべきでしょう。







数年前(平成18年頃かな?)の日記でした。(^^)




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罪障消滅は苦しいですね。 

トチロ~様

お久しぶりです。先日は書き込みありがとうございました。

私もこの7月で日蓮正宗へ帰依して3年になります。

時が経つのは本当に早いですね。

この3年は本当に苦しかったです。まだまだ罪障消滅は続くでしょう。それでも、一区切りついた感はしています。去年の今頃が一番苦しかったような気がします。

魔に入られたのか悩乱したりして、今までの自分と向かい合うようなことが数多くありました。

それでも、振り返ってみると徐々に良くなっていることに気づきます。

もっともっと精進していかなければならないなあって、思うのです。

トチロ~さんが苦労したことに比べれば、自分など大したことないと言い聞かせながら、日蓮正宗に戻れたことを心から感謝できるようになりました。

励まして下さったり、悩乱した時に愚痴を聞いて下さったりしたことを感謝しています。これからも見守っていて下さい。

ポリ銀さんへ 

もう3年も経つのですね。

3年、5年、7年というのは一つの区切りみたいですよ。それを境に変化を起していくようです。

私も確かに3年、5年、7年で大きな変化がありました。

また、これは個人によって感想は違うかもしれませんが、御命題を境に環境が変わるような気が私にはいたします。

現在でいえば平成27年の御命題に向けて皆さん精進している最中ですが、この平成27年までの頑張りによって、その後のその方の報いが決定するのではないかと思うのです。

精いっぱい頑張った方は、素晴らしい境涯が開けてくるでしょうし、怠けた方はそれなりの報いが出る…。

そういうものでは無いかと感じるのです。

平成27年と言っても、厳密には2年弱になってしまっているわけですので、この2年弱を全速力で駆け抜けていくことこそ、自らの境涯を開く一番の秘訣ではないかと思うのですよ。

ポリ銀さんも平成27年には5年の節目を迎えるわけですし、必ず大きな変化が来ると思いますよ。

お互いに頑張りましょうね。



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