顕正会の誤りについて:誠実であること

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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誠実であること

一つ上の境涯の方々に手を引っ張ってもらうためには、自ずとこちらが魅力ある人間でないといけませんね…。



いくらアピールが上手くても、化けの皮なんぞすぐに剥がれてしまう…。




決して飾らず、ありのままの自分が上の方々の目に魅力的に映らないといけない…。




それじゃあ、その魅力的な人間像とは?




「誠実であること。素直であること。正直であること。」




こういうことなのではないでしょうか。





簡単なようで難しいものですね。





「我」を無くさないと、これらを完璧に身の上に現わすことは難しいもんです。





自分の力だけでこれを習得するのは難しい…。それにこだわっている姿自体が我執ですからね。





そこで出てくるのが御本尊様の存在なのだと私は思います。





御本尊様のお力を借りて心を変化させる…。





胸中に冥伏する仏界を開いていく。




それによって、自然と上記の理想的な姿をその身に現わすことが出来るのだと思います。




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Comment

例え、我執と言われようとも 

こんにちは。

宗教を抜きにしても「誠実で素直で正直であれ」は、正論であると思います。

私は、社会に出た時「今度こそ、不条理な扱いは、されないだろう」と言う思いで、どんなに怒鳴られようとも一心に「したて(下手?)」に出て、反省し、次に失敗ない様に努力してきました。

まぁ、二十歳で破綻しましたが。
ネットやメールでは、表現をかなり自重しないといけないので、あまり書けませんが、
下手に出てもあらゆる人間にナメられる、私の性分の一端はトチロ~さんはご存知かと思います。

それ等は私としては、とても許せる事では、ありません。
  • posted by 小鉄 
  • URL 
  • 2013.05/23 13:01分 
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トチロ~様お久しぶりです。誠実に正直に生きることは、信心云々以前に、人として当たり前な事でしょうが、自分がそういった態度や信念で生きていても、なかなか世間様には通用せず、かえって相手になめられたり、軽んじられたり蔑んだ態度をされたり…………それは、相手様を許す許さないとかって次元ではなくて、ただ単に自分自身に「徳」が具わっていないからだ、と、私の菩提寺の指導教師様から教えて頂きました。
「人徳」、つまり、冥益?なんでしょうか?
積功塁徳でしょうか?
まだまだ罪障消滅が足りないから、でしょうね。。
  • posted by 風月 
  • URL 
  • 2013.05/24 12:12分 
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小鉄さんへ 

お久しぶりです。

十界の中に畜生界というのがありますが、小鉄さんの身の回りはそういった境涯の方が多いのかもしれませんね。

もちろん、こちら側が信心して内面の境涯を高めるならば、それらの畜生界の強い方々の対応も多少は変わるかとは思いますが、基本的にはその衆生世間からの引っ越しを考えないといけないのではないかと思います。

じゃあ積極的にこちらから出ていけばいいのかと言えば、そうでは無いと思います。

いくら新しい環境に移っても、こちら側の心が変わってなければ新しい環境でも同じことの繰り返しになってしまうと思うのです。

結局は、より良い環境に身を置く人が、小鉄さんの普段の振る舞いをご覧になって、「その環境では苦労するでしょ?こちら側においでになりませんか?」と手を引っ張ってくださるのを待つのが良いのではないかと思うのです。

そのためには今いる場所で最大限に心を磨いて、その綺麗な心から発するところの振る舞いをもって、その時を待つべきではないでしょうか。

必ず見ている人はいますよ。

頑張ってください。


風月さんへ 

お久しぶりです。

借金が莫大にある場合、それらを完済しないと楽にはなりませんよね…。

いくらその借金を払い続けていても、完済するまでは「金返せ!」と言われて苦しむもんです。

罪障も同じことなんだと私は思います。

今までどれだけ生まれて死んでを繰り返したかはわかりませんが、その間に積んでしまった罪業はあらゆる種類におよび、かつその量は気が遠くなるほどだと思うんですよね。

それを成仏する際には、たとえ軽くはなっていてもすべて出し切るのですから、借金と同じでなかなか完済にはこぎつけないと…。

その間は苦しむんではないでしょうか。

ただね、借金を返すためには稼がなくてはいけない。

稼いで稼いで稼ぎ倒して、そのお金をもって借金をバンバン返していくわけじゃありませんか。

功徳も同じじゃありませんかね、徹底的に功徳を積み上げて、それをもってバンバン罪障を相殺していく…。

完済しきったとき…。

積まれた功徳が功徳としてそのまま姿に顕われてきますから…。

楽しみですね。


NoTitle 

環境を変えようと思っても
そう簡単には変わらなくて

つい、居心地の良い環境に
留まってしまいます^^;

でも絶対的な安心感は
「信」のお蔭と思っています。
  • posted by さくら♪ 
  • URL 
  • 2013.06/04 01:30分 
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さくらさんへ 

結論的には環境は変えられないんだと思います。

今の心の状態からは、その環境がベストということで、そういう環境にとどまらせられている…。そんな気がいたします。

じゃあ、自ら飛び出せば…、ってなことを考えても、必ず引き戻されるか、もしくは飛び出した先も同じ環境になってしまう…。

そういうもんだと思います。

先ずは信心で心を磨いて、その綺麗な心から発する言葉や行動が、新たな環境に引っ張ってくれる人を呼び出だすのではないかと私は思います。

今は覚悟を決めて、受けるものは全て受けきってしまう…。そのうえで功徳は継続的に積んでいって仏様が人を遣わしてくれるのをジッと待つ。

それが一番だと思います。


有り難うございます。 

「覚悟を決めて全てを受けきってしまう。」
この言葉で涙が出ました…

有り難うございます。
  • posted by さくら 
  • URL 
  • 2013.06/05 14:52分 
  • [Edit]
  • [Res]

さくらさんへ 

さくらさんは頭の良い方ですから、信心を貫いていった先に待ち受ける罪障消滅の苦しみが既に見えてしまっているのでしょうね。

でもね、終わらない苦しみは無いんですよ。

「冬は必ず春となる。」

この御金言を信じて勇気を出して一歩踏み出してください。

先日の夏期講習会(第一期)において猊下様は、

「仏性と無明は一体である。干し柿みたいなものなんです。渋い柿も皮をむいて干せば甘くなる。けど、柿の実体は変わらないんです。仏性と無明とはそういったものなんです。」(趣意)

といったお話をくださいました。

干し柿ってね、冬の寒さが厳しければ厳しいほど美味しくなるそうですよ。

頑張ってくださいね。




ありがとうございます♪ 

トチロ~さん、こんにちは♪

「冬は必ず春となる」
大好きな言葉です^^
干し柿も寒さが増すほど
美味しくなりますもんねv

今は…
どんどん前へ進むことしか
考えていない状態です(^^)v

ありがとうございますm(__)m

  • posted by さくら♪ 
  • URL 
  • 2013.06/14 13:17分 
  • [Edit]
  • [Res]

さくらさんへ 

さくらさんのブログにはいつも励まされます。

自分のブログも更新できないような状態なので、コメントも出来ずにおりますが…。


ところで、干し柿のお話は以前にも猊下様はされておりました。テキスト化されたものがありましたので、参考までに掲載しますね。


****************************

 「煩悩即菩提」という言葉を御存じだと思いますが、これと同じことです。この言葉は、煩悩と菩提というのは本質的に一体だということを言っているのです。

 例えば柿の場合、渋柿は当然、渋くて食べられませんが、その渋柿を天日に干せば渋さは飛んでしまい、甘くておいしい柿になります。天日に干したり、焼酎に漬けたりと色々な方法はあるそうですが、渋くて食べられないような柿がそうすることで本当においしい柿になるということがあるのです。

 我々の煩悩もそうなのです。柿のように、我々の本質が全く変わるのではありません。柿がメロンやリンゴになってしまうということでなく、そのままの柿なのです。我々も同 じで、煩悩だらけの本未有善の荒凡夫であったとしても、我々の身体が変わるというのではないのです。しかし、我々がお題目を唱えることにより、絶対の仏界に縁することによって、我々の持っている仏性が開いて仏身を成ずることができるのです。ですから、まさに煩悩即菩提なのです。

 我々の煩悩も、欲望だらけで悪いほうにばかり向かっていたような煩悩が、お題目を唱えることによって広宣流布に身を尽くしていくという、すばらしい煩悩に変わっていくの です。これがお題目の力なのです。お題目を唱えると、自然にそうなっていくのです。だから「おまえは本未有善の衆生だから成仏できない」といって弾かれてしまうということ ではなく、仏様はどんな人にも成仏するチャンスを与えてくださっているということなのです。つまり、我々は信心によって必ず成仏していけるということです。

(功徳要文 217~218ページ)



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