顕正会の誤りについて:三大秘法の依文は神力品なり

顕正会の誤りについて

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三大秘法の依文は神力品なり

前回は依義判文抄について少し触れましたが、実はもっと根本的な事由があるのです。



「口決に云はく、三大秘法の依文は神力品なり。」

(御書 1703ページ)


上記は「上行所伝三大秘法口決」の一節です。



三大秘法の文証は神力品であると大聖人様ご自身が御遺しになっておられるのです。



これについては御当代御法主日如上人猊下が以下のように説明されております。






「ただいま拝読したこの御文は、結要付嘱について述べられているのであります。


 釈尊は自身の滅後における妙法弘通について、まず宝塔品にて、


  「誰か能く此の娑婆国土に於て、広く妙法華経を説かん」(法華経三四七㌻)


と仰せになり、仏滅後の此土弘教を勧められています。これに応えて、勧持品において二万の菩薩が此土に、それから五百の羅漢と、学無学の八千の声聞が他土に、それから八十万億那由他の菩薩が十方世界に、それぞれ弘教を申し出たのであります。


 しかし、釈尊はこれら迹化他方の菩薩達が滅後の弘通を願い出たのを、涌出品におきまして、

  「止みね、善男子」(同四〇八㌻)

と制止し、大地より本化地涌の菩薩を呼び出しました。そして如来寿量品を説いたのち、如来神力品において、上行菩薩等の四菩薩を上首とする地涌の菩薩に、法華経の肝要たる妙法蓮華経を付嘱し、末法流布を託されたのであります。


 これを別付嘱と言います。これは、すべての菩薩に法華経を付嘱した総付嘱に対して、上行菩薩等に別して付嘱されたので、別付嘱と言うのです。だから、付嘱には総別の二つがあるのです。


 ちなみに、総付嘱については、嘱累品のなかで、

  「我、無量百千万億阿僧祇劫に於て、是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習せり。
  今以て汝等に付嘱す。汝等、応当に一心に此の法を流布して、広く増益せしむべし」
                                 (同五一八㌻)


とおっしゃって、すべての菩薩に法華経を付嘱したわけです。


 別付嘱というのは、詳しく言うと、四段に分けることができます。一つは称歎付嘱、次に結要付嘱、それから勧奨付嘱、釈勧付嘱という四段から成っているのであります。


 この四つの付嘱について、第二十六世日寛上人様の『依義判文抄』を拝しますと、称歎付嘱とは、


  「所嘱の法体、本門の本尊の功徳を歎ず」(六巻抄一〇二㌻)


ということですから、御本尊様の功徳を称歎することです。それから、結要付嘱というのは四句の要法とも言いまして、これこそまさしく本尊の付嘱のことを指します。また勧奨付嘱は本門の題目を勧奨するという意味で、釈勧付嘱というのは本門の戒壇を勧奨することを指すと、日寛上人が御指南であります。


 この別付嘱のなかで、中心となるのは結要付嘱であります。その結要付嘱とは何かと言えば、皆さん方も聞いたことがあると思いますが、
  
「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す」
                               (法華経五一三㌻)

という文であります。法華経の肝要である妙法蓮華経を右の四句の要法に括って、釈尊は上行菩薩等に付嘱されたのであります。


 大聖人様は、この結要付嘱の文をもって、三大秘法の依文であるとされています。すなわち教相の上では、神力品で上行菩薩に法華経の本迹二門の要を四句の要法に結んで、滅後の流通のために付嘱をされておりますが、大聖人様は文底観心の上から、この結要付嘱の文を依文として三大秘法を明かされているのであります。



 依文というのは、依りどころとなる文証という意味でありまして、例えば寿量品の、

  「如来秘密。神通之力」(同四二九㌻)


は無作三身の依文となるのであります。



 したがって、日寛上人の『文底秘沈抄』におきまして、

  「教主釈尊の一大事の秘法とは結要付嘱の正体、蓮祖出世の本懐、三大秘法の随一、本門の本尊の御事なり。是れ則ち釈尊塵点劫より来心中深秘の大法なり、故に一大事の秘法と云うなり」(六巻抄六四㌻)


と仰せられているのであります。すなわち今、大聖人様が所持あそばされているところの妙法は、法華経の題目としての妙法五字ではなくして、久遠の本法たる妙法五字であり、まさしく三大秘法の随一、本門の本尊なのであります。この三大秘法は、釈尊をはじめ三世諸仏の護持する根本の法であり、三世にわたって一切衆生を救済する根源の法であります。


 すなわち、久遠の本法たる妙法五字は、『御義口伝』に、

  「自受用身とは一念三千なり。伝教の云はく、一念三千即自受用身」
                               (御書一七七二㌻)

とあるように、人即法、法即人の妙法蓮華経にして、人に約せば久遠元初自受用報身如来の再誕、末法御出現の御本仏、宗祖日蓮大聖人であり、法に約せば久遠元初の妙法、宇宙法界の根源の本法そのものであります。


 よって、大聖人様は上行菩薩の再誕として末法に御出現あそばされたのでありますが、


この上行菩薩としてのお立場は、あくまでも外用のお姿であって、内証深秘の辺から拝すれば、大聖人様は久遠元初自受用報身如来の再誕であります。故に、日寛上人は、

  「若し外用の浅近に拠れば上行の再誕日蓮なり。若し内証の深秘に拠れば本地自受用の再誕日蓮なり。故に知んぬ、本地は自受用身、垂迹は上行菩薩、顕本は日蓮なり」
                                (六巻抄四九㌻)


と、このように甚深の御教示をなされているのであります。


 したがって『本因妙抄』では、

  「釈尊久遠名字即の位の御身の修行を、末法今時の日蓮が名字即の身に移せり」
                               (御書一六八四㌻)

と仰せになっております。また『百六箇抄』には、

  「今日蓮が修行は久遠名字の振る舞ひに介爾計りも違はざるなり」(同一六九五㌻)

と仰せられて、行位全同をもって自受用身即大聖人様であることを明かされています。また、同じく『百六箇抄』には、

  「久遠元始の天上天下唯我独尊は日蓮是なり」(同一六九六㌻)

と明白に仰せられております。また、三位日順師は『詮要抄』のなかで、

  「久遠元初の自受用身とは蓮祖聖人の御事なりと取り定め申すべきなり」
                                (六巻抄五〇㌻)


とおっしゃっております。

 ところが、日蓮宗身延門流などでは、釈尊が上行菩薩に、単に法華経を弘通することを付嘱されたと言っておりますが、これは全くの間違いであります。法華経の神力品における付嘱の儀式というのは本来、久遠元初自受用報身如来であられる御本仏大聖人が、釈尊が寿量品において久遠の仏寿を開顕する時の助けとして本化の菩薩の姿を示し、かつまた末法弘通の付嘱を受け、将来の日蓮大聖人を予証することにあったわけであります。つまり、法華経に現れた上行菩薩は仮りの姿であって、久遠の御本仏大聖人が仏法付嘱の上から、過去に上行菩薩として御出現あそばされたということになるのであります。」

(信行要文三 66~71ページ)



かなり長くなりましたが、大事なことが色々と詰まっておりますもので、引用させていただきました。


今回の問題では赤字で抜いた部分が関係してきますので、頭に叩き込んでおいてください。




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