顕正会の誤りについて:なにゆえ建立すべきなのか

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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なにゆえ建立すべきなのか

次に第二点目についてです。




依義判文抄においては、



「次に『是中皆応』の下は正しく事の戒壇を勧むるなり。」(大石寺版六巻抄104ページ)



と書かれてあり、これが事の戒壇の根拠となるものです。それでは“是中皆応”とは何かといえば、法華経に「是の中に皆、應に塔を起てて供養すべし。所以は何ん。當に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。諸佛此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得、諸佛此に於て、法輪を転じ、諸佛此に於て、般涅槃したもう。」(開結512ページ)と書かれている部分のことです。




これだけでは顕正会員の方々には理解が難しいかもしれませんから、より詳しく日寛上人が説かれたものを紹介しますと、同じ六巻抄に文底秘沈抄というのがありますが、



「『経に云わく、即是道場とは是れなり』といわば、彼の経文を引くと雖も経文の意を知らず、今略して之れを引いて其の意を示すべし。経に云わく『若しは経巻所住の処、若しは園中に於ても、若しは林中に於ても是の中皆応に塔を起てて供養すべし。所以は何、当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり、諸仏此に於て三菩提を得、諸仏此に於て法輪を転じ、諸仏此に於て般涅槃す』云云。『若経巻』とは即ち是れ本門の本尊なり、『皆応起塔』とは本門の戒壇なり、故に此の文意は本門の本尊所住の処に応に本門の戒壇を起つべし。所以は何、当に知るべし、是の処は法身の四処の故なりと云云。」




と、御説明あそばされております。それでは“法身の四処”とは何かといえば、今度は依義判文抄に戻り、「釈」の部分を見れば良いのです。



「三に『所以者何』の下は釈なり。疏の十二十四に云わく『阿含に云わく、仏の出世したもうに唯四処に塔を起つ、生処・得道・転法輪・入涅槃なり」云云。文の八十七に云わく「此の経は是れ法身の生処」等云云。記の八の本十六に云わく『化身の八相すら此の四相の処に尚応に塔を起つべし、況んや復五師及び此の経の所在は即ち是れ法身の四処なり。皆応に塔を起つべきなり』云云。文中の『法身』等とは、即ち是れ久遠元初の自受用身なり、今生身に対する故に法身と云う、理・智并びに是れ法身なるが故なり。南条抄二十二に云わく『教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。去れば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の処、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし。斯かる不思議なる法華経の行者の住処なれば、争でか霊山浄土に劣るべき。法妙なるが故に人尊し、人尊きが故に処貴しと申すは是れなり』云云。応に知るべし、『教主釈尊の一大事の秘法』とは、即ち是れ本門の本尊なり。『日蓮が肉団の胸中』とは、即ち本尊所住の処、是れ義の戒壇なり。『去れば日蓮が胸の間』等とは、即ち今文に同じ。『斯かる不思議なる法華経の行者の住処』等とは、所修は即ち是れ本門の題目なり、『住処』と言うは題目修行の処、即ち義の戒壇なり。『法妙なるが故に人尊し』等とは、即ち上の義を証するなり。」(大石寺版六巻抄105ページ)




ここに明らかなように、戒壇を建立するゆえんというものは、仏様(御本尊様)の御在所であるから、ということであり、それをすっ飛ばして事相を論じても「木を見て森を見ず。」であり、大事なことが全く分かっておらん!ということになるのですね。




要は、事相に約す前に法体に約した考え方を根本におかなければ、この仏法は正確に理解できなくなるのですよ。



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顕正会版日寛上人御本尊と、本物の日寛上人御形木御本尊には決定的な相違点が存在するのです。


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