顕正会の誤りについて:建物のあるやなしや

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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建物のあるやなしや

それでは本題に入ります。




顕正会の方は顕正会版六巻抄100~105ページを、法華講員の方は大石寺版六巻抄101~105ページを開けておいてください。




昭和45年4月22日の臨時時局懇談会における日達上人の御説法とは、まさにこの部分の御指南なんですね。





結論から言ってしまえば、ここで言わんとしていることは二つ。





一つは、戒壇という建物が無くても、題目修行の場所、御本尊所住の処は「本門の戒壇」にあたるということ。




二つには、上記御本尊の御在所に戒壇という建物を建立し供養すべきである、それが正しく事の戒壇である、ということであります。





一つ目の問題のポイントは、戒壇という建物があるか否かで「事」と「義」の立てわけがなされるということでありましょう。





ここにおいては広宣流布が達成しているか否かは問題ではありません。顕正会員はここのところを間違って認識しているのです。彼らは広宣流布の暁の御遺命の戒壇だけが本物の戒壇であり、それ以前は本門の戒壇にはなりえない、ゆえに義の戒壇と称する、くらいに認識しているのではないでしょうか。





しかしながら、前々回にもお話しましたように、日蓮正宗では「本門の本尊に唱える題目が本門の題目であり、その場が本門の戒壇である。」という公式が存在し、全てはそこから論が展開されていくわけです。





それは日寛上人仰せの



「故に知んぬ、本門の題目修行の処、本門の本尊所住の処、並びに義は本門の戒壇に当たるなり。故に宗祖の云わく『霊鷲山とは御本尊並びに南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処を説くなり』」


(大石寺版六巻抄104ページ)




に明らかなんですね。けっして事相から論を展開していくのではないこと。まずは、これを頭に叩き込んでください。







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顕正会版日寛上人御本尊と、本物の日寛上人御形木御本尊には決定的な相違点が存在するのです。


そのような本物とは違う本尊に手を合わせてはいけません!




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