顕正会の誤りについて:悪鬼入其身

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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悪鬼入其身

 次の「濁劫悪世の中には、多く諸の恐怖有らん。悪鬼其の身に入って、我を罵詈毀辱せん」という文からは、三類の強敵が法華経の修行者を誹謗するところの理由が挙げられます。そして、その大きな理由は「悪鬼入其身」ということで、「悪鬼」には第六天の魔王、乃至その眷属としての魔鬼が存在するわけですが、悪鬼が入ると人間が人間でなくなります。



 皆さん方は狐が入った人間を見たことがありますか。狐が入った人間を私は見たことがありますが、ピョーン、ピョーンと三畳くらい跳びはねるのです。もちろん、その人でも普通の状態ではそういうことができないのでありまして、まさしく狐が跳びはねるのです。それから、蛇が憑いている人は、その業念が高まると蛇のように身体をくねらせて這い回るのですが、その光景は本当に不気味であります。


 しかし、これなどは畜生の狐や蛇がその身体の中に入るということですが、悪鬼が入るともう一つ深く、第六天の魔王その他の眷属が身に入ってきますから、外見上は普通の人間と変わりがないのです。ただ、考えること、なすことが、正しいことを行わんとする人に対して敵となって、様々な悪事を行い、迫害を加えるというのであります。


 そのように悪鬼が身に入った人間が、「我」すなわち、法華経の行者を「罵詈」し「毀辱」するのである。この毀辱の「毀」は「そしる」ことであり、「辱」は「はずかしめる」ということです



 私もいい加減、はずかしめられているでしょう。しかし、すべて本当のことではありませんから、私はいささかも痛痒を感ずることはありませんが、ともかく、色々なことをでっち上げられて、はずかしめられてはおるわけです。


 ほかの僧侶も、みんなそうであります。特に学会の誤りをはっきりと破折している僧侶ほど、彼等にとっては癪にさわるらしいのです。ですから、有ること無いことではなく、本当に無いこと、無いことを言って、はずかしめておるのであります。



(中略)


 この「僣」という字は「ずるい」とか「わるがしこい」という意味です。つまり、賢いのですけれども、悪く賢いということで、要するにずるいのであります。そして、陰険でもあります。表面は人心収攬に長けているので善さそうな人にも見えて、実は非常に肚黒く、自分のためにならない人間はどのようになっても構わないというような、無慈悲で険しい心を持っている、まさに池田のような者が「僣」という字義に当たるのです。


 だから、「僣聖」ということは、聖のような格好をしていて、世間の人々からは偉く尊い人だと思われていながら、非常にずるく、悪賢い、聖者の仮面をかぶった者という意味であります。



 そして、「此の三の中」すなわち、最初の俗衆、第二の道門、第三の僣聖という三つの増上慢のなかで、「初めは忍ぶべし」と言われます。この「初め」とは俗衆増上慢を指しますが、いわゆる在家の人々の悪口です。


 今、創価学会の末端の人達が一つ覚えで、「日萌はシアトルで売春婦と変なことをしたんですよ、本当なんですよ」というようなことを一生懸命に言っておるのです。そのようなことは全くありもしないのに、それを信じて誹謗し、ひたすら罪障を積み重ねていくことは、本当にかわいそうな者どもであります。しかし、それは無智の故ですから、重い謗法ではないとも言えます。つまり、職業幹部等の有髪の悪僧に教唆・煽動されて、ただ、身体や口には謗るけれども、結局、謗法の心は浅いのです。ですから、そういう者による迫害は、まだ忍び易いというのであります。


 そして、「次は前に過ぎたり」とあるなかの「次」というのは第二の道門増上慢を消し、先程も言ったところの創価学会の職業幹部などはこれに当たります。これらの者どもは邪智がありますから、変な理屈を色々言うのです。しかも、それらの者は教団の勢力の消長と密接な関係があります。つまり、創価学会から月給をもらっていますから、そこに生活の問題が絡んでくる。したがって、創価学会の勢力を維持し、拡大させることが、自分達の生活を安定させることになるわけです。そのために、自らの教団の繁栄を阻害する者に対する迫害等には真剣さがあり、また、執拗性も増してきます。よって、前の俗衆増上慢による迫害よりも忍び難いという意味があるのです。


 このことは、創価学会の職業幹部のみではなく、世間一般の邪宗の僧侶についても通じておると言えます。


 さて、次の「第三最も甚だし」というのは僣聖増上慢を指しておりますが、これについて何が甚だしいのかと言えば、謗法の義において非常に甚だしいものがあるということです


 その理由として「後々の者は転識り難きを以ての故に」ということを述べておりますが、この「後々の者」というのは、第一番目は俗衆、次は道門、その次は僣聖と来るわけですが、道門は俗衆の後であり、僣聖は俗衆の後の後ということで、第三番目を「後々」と表現しているのであります。


 そして、「転識り難きを以ての故に」というのは、なかなか知ることができない、ということです。それはなぜならば、僣聖増上慢の悪は隠れていて、ちょっと上っ面を見ただけでは判らないということなのです。



(中略)


 けれども、この僣聖増上慢は、池田大作も含めて、あるいは大聖人様の御在世で言えば極楽寺良観とか京都の聖一というような人に当たりますが、すべて聖者ぶっていて、外見は偉いような格好をしておるのです。


 それから、他に悪を行わしめて、けっして自分自らは行わないという特質があります。他に命令してやらせるために、その人本人がやっているようには見えないのです。その上、策謀に長けており、悪賢い意味がある。さらに、多くの者を動かすところの力を持っておるというようなことから、はっきりとした悪い内容が表面に出てこないという意味があります。




 そこで、僣聖増上慢の者の行為は、なかなか表面に出ないためにその内容を知り難く、したがって、それは最も甚だしいものであって、非常に忍び難いものであるということを、妙楽大師が述べているのであります。


(中略)


 法華経の修行者はその三業による悪を忍ぶのであるということですが、それを起こすのは「外悪の人」なのです。つまり、「外悪」の「外」とは仏教の教団以外の、在家の人ということで、「外悪」とは在家の悪人という意味です。したがって、これは俗衆増上慢による迫害等を指摘されるのであります。


 そして、「次に悪世の下の一偈は、是上慢出家の人なり」と示しております。この「上慢」というのは増上慢という意味でありまして、方便品の、増上慢を起こして法華経の説法の座から立ち去った五千人のことが示される文に、

  「此の輩は罪根深重に、及び増上慢にして、未だ得ざるを得たりと謂い、未だ証せざるを証せりと謂えり」(開結一六五ページ)

と示されておりますが、そのように仏道の上の慢心による間違った考えを持った出家の人達ということであります。



 さらに、「第三に或有阿練若より下の三偈は、即ち是出家の処に一切の悪人を摂す」と示されますが、この「出家」は第三番目たる出家、すなわち僣聖増上慢ですから、指導者という意味であります。そして、「一切の悪人を摂す」ということは、僣聖増上慢が諸悪の根源であるということです。したがって、その人の存在、その人の教唆、その人の煽動によって多くの人が悪いことを行い、悪道のなかに入ってしまうが、それら諸悪の根源としてだれがいるかといえば、僣聖増上慢が糸を引いて操っておるということなのです。


(大日連 平成8年7月号 41~53ページ)




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長々と拝読して来ましたが、まさにこれが三類の強敵の真の姿なんですね。


未だ体験していない方においては何を言っているのかさっぱりわからん…、となることでしょうが、実際に信心が深まっていけば自然とこのような輩が周囲に出現することでありましょう。


その時は、


「あぁ、この人が俗衆増上慢なんだな…、彼は道門増上慢か…。その裏に控えているあの方が僣聖増上慢ですね…。」


と賢く見抜いて、決して彼らの挑発に乗ることなく、信心を貫いて頂ければと願うものです。








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