顕正会の誤りについて:僣聖増上慢

顕正会の誤りについて

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僣聖増上慢

 その次の「或は阿練若に」からは、第三・僣聖増上慢に関する経文について、五行の文が引かれてあります。

(中略)

 しかし、「空閑」すなわち、閑かな所に在って、「自ら真の道を行ずと謂ひて、人間を軽賤する」こと、つまり、自分こそ真実の道を行じておるという慢心を抱き、しかも、一般の人間を心のなかで非常に軽んじ、賤しく思う者は、まことの聖者ではありません。これが僣聖増上慢と言われるところの増上慢の者達であると示されるのであります。


 この増上慢の人間は、「利養に貧著するが故に、白衣の与に法を説いて、世に恭敬せらるゝことを為ること六通の羅漢の如く」である、と言われます。この「利養に貪著する」ということは、自己の利益のみを計り、あらゆる意味での生活の資具になるような養いに執着することで、僧侶として最も悪い考え方の一つであります。つまり、衣に貪り、食に貪り、住居に貪り、あるいは財産に貪って、その貪りを充足させるために法を説くというのです。

(中略)


ところが、「是の人悪心を懐き」と説かれるように、六通の羅漢の如く見える人が、実は悪心を持っておるというのです。ということは、本当の羅漢ではありません。煩悩を殺した殺賊ならば、あるいは学ぶことの無くなった無学ならば、もう悪心は全くないはずなのです。けれども、「阿練若に、納衣にして空閑に在って」という意味で、形だけは閑かな所で行い澄ましており、しかも偉そうに法を説きますから、多くの人が「あの人は本当に偉い方だ」と思うのです。そして色々と御供養をすると、その御供養を自分の懐に入れては財欲を充たしているというのです。


(中略)


 それはともかく、僣聖増上慢のような人間は、平気で御供養をたくさん集めて利養に貪著をする。それが説法をする目的なのです。つまり、簡単に言えば貪りであります。


 それから、ここに言う「悪心」として、瞋りの心があります。自分の気にくわない人間に対しては非常に怒るわけで、これらのすべてが、ちょうど池田大作みたいなものです。


私は直接に見たことはありませんが、聞くところによれば、あの人間の下の者への対し方は非常にひどいらしいですね。


 さらに、愚癡の心があります。この愚かということも、偉そうなことを言う人間ほど、愚癡な場合が多いということも考えなければなりません。そういうことが「悪心」であります。



 それから、次に「世俗の事を念ひ」とありますが、これがまた、だれかさんとそっくりではありませんか。例えば、有り余る財力から、ほんのわずか出して本を寄付し、その国々から勲章をもらって誇っているのも、俗の最たるものに当たりましょう。そのほか、一々挙げなくとも、いっぱいあります。なにしろ「名誉会長」というぐらいですから、名誉が中心になっているのでしょうが、名誉それ自体が俗っぽいことなのです。


 それはともかく、常に名誉だとか、多くの人間から「立派な人だ」と思ってもらえるようなことを考えるなど、俗っぽいことだけを考えておるのが僣聖増上慢である
と指摘されるのです。まさに経文のとおりであります。


 そして、「名を阿練若に仮りて、好んで我等が過を出ださん」とする、すなわち、私は阿練若に住しているのだというような形式だけを取りながら、好んで「我等が過」を探し出すというのです。ここに示される「我等が」というのは、八十万億那由佗の菩薩が言っておる言葉ですから、法華経を末法において弘めんとする方について、その過を深し出すということであります


 これもどうですか。創価学会の場合は、何もないことをでっち上げて、やれ、シアトルにおいて変なことがあったとか、偽造写真を証拠として私が芸者と遊んでいるとか、実際にはないことを、本当にあったことのようにでっち上げてくるのです。それがここに示される「好んで我等が過を出ださん」ということでありまして、敢えてありもせぬ過を探し出すわけであります。



 だから、我々にはしょっちゅう、尾行が付いています。皆さん方のなかでも、尾行が付いている人はかなり偉い人であって、三類の強敵に少しぐらいはからまれていることになります。私もしょっちゅう、尾行されている意味がありますし、ここに来ている宗務院の部長なども同様であります。


 もちろん、いくら尾行を付けて監視しようが、彼等が望むようなことをするわけはないのだけれども、どうにかして、その過を探し出そうとするわけです。そして、ちょっと食事のために普通のお店に入ったならば大変です。「あんな高級なお店に入って食事をし、最高のぜいたくをしている」などとはやし立て、機関紙などに書き立てていくわけですが、これこそ、ここに示される「過を出ださん」という姿であり、かの謗法団体のやり口と実にそっくりであります。

(大日連 平成8年7月号 32~40ページ)


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