顕正会の誤りについて:体験発表

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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体験発表

私は今まで顕正会で言うところの…、いわゆる“功徳の体験”というものを書いてきませんでした。


これには2つ理由があります。


まずは“現証というのは立場が違えば捉え方は180度変わる。”ということです。


つまり、法華講員として私が功徳だ(利益だ)と感じたことでも、顕正会員から見ればそれは魔の通力と捉えるでしょうし、逆に私が罪障消滅だと言っても、顕正会員の目には罰だと映る訳です。

これではいくら一生懸命に話したところで、どこまで行っても話は平行線です。


ゆえに現証面についてはあまり書かなかったのです。


次に2つめ…。


先のは理屈の上からの理由ですが、2つめは感情面からの問題です。


§ASAGI§さんのブログに“代々の法華講”さんという方がコメントされてましたが、私なぞはいわゆる新参者であり、何十年正しく信仰してきた方や、何百年と信仰を守り続けてきた方々から見れば、赤子のような者でございます。


教義面に関しては、御宗門の書籍をもとにして、かつ御住職様の御指導を仰ぎながら書いていけば、さほどの問題もなかろうかとは思いますが、こと体験を通して“正しい信仰をするとこうである!”と言い切ってしまうには、あまりにも経験と蓄積されたものが少のうございます。



つまり…、



そのような先輩方に読まれると恥ずかしい…。



といった次第なのです。


しかしながら、最近どうにも顕正会員の方々の性質が変わってきたような気がするのです。



一言でいうなら、“学が無いがゆえ、教義面の破折では通用しない。”という姿が顕著になってきました。



いやはやどうしたものか…。



と悩んでいたのですが、以前に御僧侶から「折伏は難しいことでは無い。自分の言葉で自分の体験を話せば良い。私はこうやって境涯が変わりましたということを話せば、それは立派な折伏である。」というお話を聞いたことを思い出しました。


そういう訳で、恥ずかしながら私の体験を少しずつお話したいと思います。



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