顕正会の誤りについて:非情の十界

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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非情の十界

この世の中の物質は大きく二つに分類されます。

人間や動物などの心(感情)を持つ“有情”と、草や木などの心を持たない“非情”です。

心を持つ有情が、その胸の内に十界を持っているのは理解出来ると思います。人間はもちろんのこと、犬や猫でさえ喜んだり、悲しんだりしますし、それぞれが感情の赴くところに行動して、その報いを受けているのを、我々は体験を通して既に知っております。

しかし、心を持たない非情に果たして十界が存在するのかと考えますと、今までそんなこと考えもしなかったがゆえに、今ひとつピンとこないかと思います。

そこで一つたとえ話を致しましょう。

ここに一枚の紙と絵の具があります。

この紙も絵の具も、そのままでは人に害を与えることもなければ、利益を与えることもありません。

しかしながら、非常に腕の良い画家がその絵の具を手に取り、その紙に鍾馗(しょうき)さん(五月人形に飾られる髭もじゃの恐い顔をした人形がそれです。)の絵を書いたとしたらどうでしょうか。

それはあくまでも絵ではありますが、見る人々の心に畏怖の感情を起こさしめます。

つまり、心を持たない非情ではあっても、ひとたびそれに手を加える人の境涯によっては、その非情の中に冥伏する十界を引っ張り出してしまうのです。


この道理の上から考えるならば、仏様の御境涯を所持される大聖人様が、その御境涯の上から紙や木にその御境涯を顕したならば、それは単なる紙や木では無く、仏様の境涯を顕した御本尊様となるのです。

そして、大聖人様はその御境涯を日興上人にお譲りになり、日興上人は日目上人へと、代々の御法主上人へ受け継がれているのです。

これを血脈と言います。

ゆえに代々の御法主上人が顕された御本尊様もまた仏様となるのです。



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