顕正会の誤りについて:衣裏繋珠の譬え

顕正会の誤りについて

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衣裏繋珠の譬え

仏性のお話をする前に、法華経にあるたとえ話をご紹介致します。

この中で説かれる宝珠こそ、仏性のことなのです。

分かりやすい文章をネットで探しましたが、あまりありませんでしたので、御法主上人猊下が以前に御指南下さった話の中で、このたとえ話について触れられているものをご紹介致しますね。

何となく仏性というものの姿が見えてくるのではないかと思います。







「 さて、皆様もよく御承知のとおり、法華経の五百弟子受記品第八に、法華七喩の一つである「貧人繋珠の譬え」、これを衣裏珠の譬えとも、衣裏繋珠の譬えとも言いますが、この貧人繋珠の譬えが説かれております。

 これは、ある人が親友の家を訪問してお酒をごちそうになり、すっかり酔って眠ってしまったのであります。この時、官吏であったその親友は、仕事のために出かけなければならなくなり、酔って眠っている友人の衣服の裏に、無価の宝珠、つまりこの上なく高価な宝珠を縫いつけて出ていったのであります。

 しばらくして酔いから覚めた友人は、酔っていたため何も気づかず、親友の家を辞して諸国を放浪し、衣食にも事欠く有り様で、衣食を求めては艱難辛苦し、少しばかりのものを得ては、それで満足してしまう浅ましい生活を続けていたのであります。

 そののち、その友人は親友と再会することになりましたが、その親友は友人のみすぼらしい姿を見て大いに驚き「なんで、そんなみすぼらしい姿をしているのか。以前、なんでも思いどおりになるようにと、高価な宝珠を汝のために衣服の裏に縫いつけておいたのに、気がつかなかったのか。今もなお、その宝珠はあるではないか。それも知らずに苦しみ、悩んでいることは、はなはだもって癡かである。汝は今、この宝を売ってお金に換え、必要なものを買ったなら、自分の思うとおりの楽しい生活ができるはずだ」と言われ、初めてそれに気がついたその友人は、ようやく無価の宝珠を得ることができたという話であります。

 この話のなかで、諸国を放浪して食べることと着ることだけにあくせくとして毎日を送っていた者が、ときたま、少しばかりの物を得て、それで満足してしまったということは、小乗の悟りのなかで満足してしまい、阿羅漢の他に安住して仏に成るべき努力をしなかった五百人の声聞の弟子達のことで、それ以上を求めようともしなかったことを恥じて、自らこの譬え話を語っているのであります。

 また、身に高価な宝珠を着けながら、それを覚らず、知らずにいたということは、せっかく仏性を持ち、仏と成るべき身でありながら、無智なるが故にそれを覚知できなかったということであります。

 しかし、のちに衣服の裏に無価の宝珠のあることを知り、すなわち仏様の真実の教えを知って、初めて成仏の大利益を得ることができたのであります。

 今、悪世末法の世の中を見ますると、この譬え話にあるように、衣食のみに目を奪われ、しかも少しばかりの物を得てそれで満足をして、三世にわたる真の幸せを求めようとせず、一日一日を無為に過ごしている人達。また、自分自身に具わっている仏性という、無限の可能性を秘めた価値ある宝珠を持っていることに気がつかずにいる人達。苦しみや悩みを抱えて疲労困憊し、自分自身では解決の糸口も見いだせず、悶々として毎日を送っている人達。その上、他の人がせっかく手を差し伸べているのさえ気がつかないでいる人達。また、間違った教え、謗法が不幸の根源であることも知らず、いまだに三宝破壊の池田創価学会をはじめ間違った教えに毒されて、抜け出せずにいる人達があまりにも多くいるのではないかと思います。

 このような人達に対して、不幸の根源である謗法の害毒を取り除き、一切衆生に本来的に具わっている仏性の存在と尊厳を悉知せしめ、正しい大聖人の仏法に帰依せしめていくのが、今日における我らの重大なる使命であります。」

(大日連平成19年9月号35~37ページ)




「 法華経五百弟子受記品第八を拝しますと、

  「我昔、汝をして安楽なることを得、五欲に自ら恣ならしめんと欲して、某の年日月に於て、無価の宝珠を以て、汝が衣の裏に繋けぬ。今故、現に在り。而るを汝知らずして勤苦、憂悩して、以て自活を求むること、甚だ為れ癡なり」(法華経三〇四ページ)と説かれています。

 これは「衣裏繋珠の譬え」の一文でありますが、此の文の如く、世人の多くは、自己の生命内に至極の仏性を内在していても、仏性のあることすら知らず、目先のことに囚われて、徒に勤苦、憂悩しているのが現状であります。

 つまり、苦悩と不幸を招いている原因は、一つには、己自身に成仏の可能性を秘めた仏性が内在していることを知らずにいることであります。

 但し、仏性はその存在を覚知しただけでは、仏性としての働きを示さず、正しい教法、すなわち末法の御本仏大聖人の仏法に縁してこそ、仏性が仏性としての働きを示し、その人の境涯は大きく変わってくるのであります。

 しかし、末法の衆生は邪義邪宗の害毒によって毒気深入して正法の功徳を理解し難く、故に正法を説くに当たっては、只折伏を以てすることが大事なのであります。」

(大日連平成19年1月号4~5ページ)




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