顕正会の誤りについて:日顕上人 2

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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日顕上人 2

先日ご紹介した御隠尊猊下の御講義には非常に重大なことが書かれているのです。



一つずつ検証してまいりましょう。



「昭和四十七年の『国立戒壇論の誤りについて』と五十一年の『本門事の戒壇の本義』は、先程から言っているように私が書いたけれども、そこにはたしかに、戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども」



この赤字で記した部分は、学会を破門した直後にも否定された事柄です。すなわち広宣流布以前に御遺命の戒壇を建てておくという考え方の完全否定であります。



妙信講が昭和47年の訓諭に異議を唱えたのは、まさにこの部分なのですよね。



広宣流布以前に御遺命の戒壇を建てても良いとすることは、どう考えても大聖人様の御心に反することは当然のことです。



もし、それを認めてしまえば大聖人様の御心に反するだけでなく、正本堂自体が御遺命の戒壇になり得ることになってしまう…。



それを浅井さんは猛然と抗議していたのでしょう。




理は妙信講にあり。




これが結論です。




しかしながら、顕正会の皆さんには今一度冷静に検証していただきたいのですが、この当時においても、時の御法主である日達上人の御言葉には、ここまで断定する発言は無いのです。御法主上人の御言葉が存在しない以上は、御宗門として正本堂を御遺命の戒壇と断定はしていないということになります。




この御隠尊猊下の前言の撤回は、御登座前の御自身の発言の訂正にすぎないのであり、この発言を取り上げて、当時の御宗門に対する御遺命破壊との誹謗中傷は的外れであると、まずは申し述べておきます。




更に申し上げれば、先にも申しましたように「広宣流布以前における御遺命の戒壇建立の完全否定」は学会を破門した平成4年には既に発表されているわけであり、かれこれ20年もの歳月が経っております。




それを今更ながらにとりあげて“偽戒壇”などと揶揄しておる浅井さんは何とも哀れな老人でありましょうか…。




それ以上に、そのボケ老人の戯言に踊らされている顕正会員は何とも御目出度いのであろうかと、心の底から気の毒に思うものでございます。





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