顕正会の誤りについて:日顕上人 1

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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日顕上人 1

浅井さんは建白書の中で以下のように申しておりますが、



「曽ては己の栄達のために池田大作に諂って偽戒壇を賞讚した。だが正本堂が崩壊した今となっては二冊の悪書はどうしても破棄せねばならぬ。そこで正本堂の大罪をひとり池田になすりつけ、“正本堂がなくなった今となっては、正本堂についての議論はすべて空論 ” と嘯いて、小生の糾明を逃れんとしたのだ。これあたかも、イカサマを咎められた博徒が、細工した賽子を打ち砕いて 「 賽子がない以上、すべて空論 」 とうそぶくに似ている。」



これは対顕正会員用の戯言にしかすぎません。



実際は浅井さんが引用した文章の後には以下のような発言があり、どこが言い過ぎであり、正しくはどのように拝すべきかが説かれております。



とりあえず紹介いたしますので、皆様じっくりと読んでみてください。



****************************



「 それで、昭和四十七年の『国立戒壇論の誤りについて』と五十一年の『本門事の戒壇の本義』は、先程から言っているように私が書いたけれども、そこにはたしかに、戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども、これはあくまで正本堂の意義を『三大秘法抄』の戒壇に作り上げようとした創価学会の背景によらざるをえなかったのです。つまり、あの二書は正本堂が出来る時と出来たあとだったが、浅井の色々な問題に対処することも含めておるわけで、強いて言えば全部、正本堂そのものに関してのことなのであります。そういうことですから、正本堂がなくなった現在、その意義について論ずることは、はっきり言って、全くの空論であると言ってよいと思います。


 あのなかでは、王法や勅宣・御教書に対する解釈を述べるなかで、「建築許可証」というようにも書いてしまってある。これは当時の在り方において、学会からの具申的な勧誘もあり、私がそのように書いてしまったのです。けれども、今考えてみると、やはり今は、勅宣・御教書は、その現代的な拝し方としても、そういう軽々しいものとして考えるべきではなく、もっと深い背景的意義を拝すべきと思うのです。


 それから『一期弘法抄』の「国主」ということの考え方、これもそうです。今は国民主権だから、国主というのは今ではたしかに民衆なのです。けれども、政治の在り方等というものは、いつどこでどう変わるか、未来のことは判りません。日達上人も「未来のことは判らない」ということをおっしゃっておりました。


 とすれば、我々は本当に全人類を救済するという大目標の上において、御本仏大聖人様が最後に御遺誡また御命題として我々にお残しくださった『三大秘法抄』『一期弘法抄』の「戒壇」の文については、軽々にああだこうだと言うべきではないと思います。もちろん今、ある時点を予測して考えれば、こうともああとも色々なことを言えるけれども、将来どう変わるかということは本当に判りません。だいいち、日本の現在の民主主義の形だって、憲法だって、将来どう変わるか判らない。だから、そんなことに関して今、どうのこうのと具体的な形で言う必要はないのです。一番最初に言ったように、戒壇というのは事相だということを、大聖人もおっしゃっておりますように、事相なのだから、実際の相というものはその時でなければ明確性が顕れません。よって『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇ということは、まさにその時が来た時に、本門戒壇の大御本尊様を根本と拝しつつ、その時の御法主がその時の実状に即した形で最終の戒壇を建立するのだと、私どもは信ずべきであると思うのであります。」


(大日蓮 平成16年 12月号54~55ページ)


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Comment

浅井さんの言葉だけを信じた愚かさ 

浅井さんの記した出版物だけで全てを判断することは、常識的な観点からもフェアではないと言えるでしょう。

僕はずっと一方の見方だけしかしていませんでした。長いことその心根が命に沁み込んでいたので、日達上人や日顕上人への偏見と憎しみで、物事を素直に受け止めることが出来なくなってしまっていたように思います。

罪障を積むというのは恐ろしいもので、今の私は仕事もみつからないままの日々を続けることになっております。ただ、不思議なことに以前のような焦燥感や不安感はありません。安穏としちゃいけないんですが、心は平穏です(苦笑)。

顕正会の時はすぐに仕事が決まっていたのに、その仕事が原因で苦しみ地獄のような環境になっておりました。

功徳とか罰とか現証を見るのは、本当に難しいのですが何かが変わったような気がしています。法華講に来ればすぐハッピーだよって言ってあげられない自分が、不甲斐ないと感じますが初心の功徳は入信から一年の間に、バンバンいただきました。

この場をお借りして、自身の恥を知っていただき罪障消滅になって欲しいと思っています。
  • posted by  
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  • 2012.10/19 03:24分 
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私は、これは当事者にしか解らない事だと思うんです。

実際に日蓮正宗を統率する立場になって、そこの中に強大な組織を抱え、我の強い組織長がいて、我が儘を言ってくる。

さりとてその組織長を信じている多くの会員の信心を失うような事は出来ない。

何とか会員を守りつつ、日蓮大聖人の御聖意を守らねばならない…

これは私達が拝察出来るレベルではありません。

御遺命、御遺命と顕正会は良く言ってますが、御遺命を守ったのは浅井さんではなく、日達上人様と日顕上人様です、断じて。
  • posted by §ASAGI§ 
  • URL 
  • 2012.10/19 13:29分 
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§ASAGI§さんへ 

浅井さんや池田さんは、結局「俺が俺が」だったのでしょうね。

法華講に来て見れば、冷静な信心というものがどういうものか分かります。カリスマはいらないんですよね。

学会も顕正も「先生~!」って熱狂があるだけで、自分の組織のトップが人本尊ですから。彼らは法華講も「貎下様~!」って熱狂してると思っているんでしょうか。

尊敬するのと熱狂は違うんだよって教えてあげたい。
  • posted by  
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  • 2012.10/19 15:08分 
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名無しさんへ 

私たちが猊下様に合掌礼をするのは、猊下様が御所持の御内証に対してだと私は捉えております。

それが根本にあれば、猊下様の御指南の重みもまた分かろうかというものです。


浅井さんの発言とは全く性格の違うものなんですよね。


  • posted by トチロ~ 
  • URL 
  • 2012.10/24 06:32分 
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§ASAGI§さんへ 

順番が逆になってしまいましたが…、§ASAGI§さんや名無しさんのおっしゃることには私も同感です。


私が初めて日蓮正宗の御僧侶の話を聞いた時に頭によぎったのも、まさにそれなんです。


それまでは顕正会の立場からしか物事を見てこなかったのですが、


日達上人のお立場になって当時を振り返ってみたらどうなんだろう…と。

結果は言うまでもなく、顕正会と決別して日蓮正宗の信徒として出直すことになりました。


この決断は間違ってはいなかったと日々確信が増しております。


顕正会の人達にも早く気付いて欲しいものですね。


  • posted by トチロ~ 
  • URL 
  • 2012.10/25 02:13分 
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