顕正会の誤りについて:日達上人 3

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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日達上人 3

相手を論破するためには自ずとその制約というものがありますな。


どんなに攻撃材料を数多く揃えたとしても、それが相手にダメージを与えるものでなくては何の効果もありゃしません。


こと法に対する討論というものは、それが相手の公式の声明なのか、それが逃げも隠れもできない最高、かつ絶対の権威ある人物から発せられたものであるのか、そしてそれが証拠として活字に残っているのかが問題でありましょう。


現代は便利な世の中になりましたから、テープなどで実際の声が残っているということもあるでしょうな。それはそれでこれ以上ない証拠になることでありましょう。


そのような観点からみてみると、浅井さんの宗門批判というものは浅井さんの自己申告の部分が非常に多いのですね。


「猊下にお目通りした際に私はこう聞いた。」だとか、「猊下の御本意はこうである。」だとか、好き勝手に言い放っておられる。しかし、これらは何の効力もないのですよ。



するってえと、御宗門を論破できないじゃないか…、ってなことになるわけです。



だから浅井さんも目を皿のようにして猊下の御発言の中で、明らかに御遺命破壊を示唆している部分をさがしているのでしょうけど、これがまた無い…。



そこで困った浅井さんは宗門の御僧侶がこう言っているだとかあげてくるわけですが、これは日蓮正宗の性格を知らない顕正会員さんには有効かもしれませんが、すでに腹の据わった法華講員さんには何の効力もないわけです。



日蓮正宗は民主主義では無いのです。



血脈を御所持の御法主上人猊下が絶対であり、たとえその他大勢が異議を唱えたとしても、法の解釈が曲げられることはあり得ないのです。



逆に言えばそれだけの重要な意義を持つのが猊下のご発言ですから、猊下のご発言に関する矛盾や間違いを指摘出来得なければ、それは論破したことになり得ないという訳でございます。



そういった観点から検証していくと…、日達上人のご発言には御遺命破壊を決定づける証拠が無いのです。


それを浅井さんもようやく気づいた…。



それじゃあその証拠をこさえちまえ!



という開き直りにでたのが、今回の部分でございます。





「さらに『国立戒壇は本宗の教義ではない』 (大日蓮・昭和50年9月号) と言い放ったのであった。」



これが建白書の文面ですね。




しかし、このような文章は大日蓮誌上には存在しません。



存在しないものを勝手に浅井さんが作り上げたのです。本来の大日蓮昭和50年9月号の原文は以下の通りです。




 「御遺命の戒壇について、浅井らは、執ように「国立戒壇」とくりかえしております。戒壇についての私ならびに本宗の見解は、訓諭をはじめとして既に何回も公にしたとおりであります。大聖人の仰せは本門事の戒壇である。本宗相伝の戒壇の御説法に「弘安二年の大御本尊とは即ち此の本門戒壇の大御本尊の御事なり―中略―本門戒壇建立の勝地は当地富士山なる事疑なし、又其の本堂に安置し奉る大御本尊は今眼前に在すことなれば此の所即ち是れ本門事の戒壇真の霊山、事の寂光土云云」と、常に説き示されて居る如く、本門事の戒壇の御本尊在す所が事の戒壇で誰が建てたからと云う理由で事の戒壇となるのではありません。このことは既に数年前から私が申し述べている所であります。

 右のことは日寛上人の三大秘法御説法を日相上人が科段に分けた御文を参考、ここに添付します。

 浅井らは何ら教義上の反ばくもなく、ただ先師がどうの、私が昔云ったのと云うだけであります。私は、昔云ったことはあるが、今は云わないと云っておるのであります。

 私の信念は不動であります。未来永遠にわたり、国立ということはなかろうと確信しておるからであります。

 浅井らは、人のやることに干渉せず、自分達の力で、やれるものならやってみればよいと思うのであります。但し、国立というのは本宗の教義ではないので、元妙信講が日蓮正宗と名乗ることだけは、今日限りやめてもらいたいのです。法律がどうのこうのという問題とは別の次元で、管長として、法主として、もはや日蓮正宗信徒でないものが、日蓮正宗という名称を使うことを止めよと命ずるのであります。」

(大日蓮 昭和50年9月号21~22ページ)




一見すると同じことを述べているように感ずるかもしれませんが、「戒壇」という文字を挿入するか否かでニュアンスは相当に違ってくるものです。



日達上人は「御遺命の戒壇における国立という考え方は間違っている。」ということを述べているのに、浅井さんは勝手に「戒壇」という語を挿入して、「御遺命の戒壇自体を『本宗の教義では無い』と日達上人が否定したと顕正会員が誤解せしむるよう誘導しているのです。



浅井さんは先の日昇上人や日淳上人のお言葉を「…」で省略して小細工をするというテクニックを駆使いたしましたが、これなどまだかわいいものでありましょう。



「大日蓮 昭和50年9月号」とまで引用先を明記した上で、文章を改ざんするのは既に謀略以外の何ものでもありません。



過去に破折班が「謀り昭衛」と表現したのは、正直言って私は言い過ぎではないかと思ったものですが…、




ここまでやってしまっては最早擁護する気持ちもおきませんよね…。




顕正会員の皆さん、早く目覚めてください。






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Comment

語感の問題ですね 

僕も顕正会にどっぷりの時は気づきませんでした。

「国立」だと三秘総在の御本尊様ですから、新しい御本尊様を新たに造るなんていう発想も出てきかねません。現に日蓮宗の一派にはそういうことを考え主張する者もいるようです。

本門の題目も本尊も戒壇も、全て大聖人様が終窮究竟の法体として本門戒壇の大御本尊を建立された時に、具わってしまっているのですから、新たに「国立」の戒壇が創造されるわけではないのですね。

難しい法体の義を闡明にするために、日寛上人様は六つに開いて六大秘法のご説明をされていますが、三秘総在を開いて六にするのですから、そのうちの一つが現時点で欠減しているという、浅井さんの論がおかしいことに、最近やっと腑に落ちました。

私など本当に愚か者の見本ですが、洗脳除去というのは罪障消滅と比例するのかもしれません。
  • posted by ポリ銀 
  • URL 
  • 2012.10/14 11:02分 
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ポリ銀さんへ 

現在27年の御命題に向けて「名実ともに必ず成就なさしめたまえ」と御祈念していますよね。

この「名実ともに」というのが肝ですよ。

広宣流布は仏国土実現の“名目上の”条件を満たしたに過ぎない。

御遺命の戒壇建立において初めて“実質上の”仏国土実現の条件を満たすことになると思います。って言いますか、実質上の要件を満たさねば、戒壇建立は実現できないということではないでしょうか。

その要件とは、

御法主と国主の本物の異体同心

これに尽きるかと思います。


  • posted by トチロ~ 
  • URL 
  • 2012.10/18 19:31分 
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冥合のことですね 

目から鱗です。

冥合とは御法主上人様と国主との異体同心の事なんですね。今気づきました。

  • posted by  
  • URL 
  • 2012.10/19 03:36分 
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  • [Res]

名無しさんへ 

この仏法は不思議なものでしてね、世間法では理解出来ない現象が起こるものです。


異体同心の不可思議。

1+1が2になるのが世間の常識ですが、正しい信徒同士の異体同心があった場合、1+1は3にも4にもなってしまうものです。


これと同様に、僧俗一致、異体同心が実相となった場合は、もっと凄い現象が起きます。


頑張って実際に試してみて下さい。


  • posted by トチロ~ 
  • URL 
  • 2012.10/24 06:41分 
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