顕正会の誤りについて:顕正会の大いなる誤り1(戒壇の事と義)その3

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

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顕正会の大いなる誤り1(戒壇の事と義)その3

前置きが長くなってしまいましたが、いよいよ本題です。



顕正会員は戒壇の事と義に関しては、



「広宣流布の暁に建てられる戒壇のみを事の戒壇といい、それ以前に戒壇の大御本尊様おわします所は義の戒壇というのである。」



と教えられます。これはこれで間違いでは無いのです。しかしながら、先日も申しましたように、これは事と義の建て分けを広宣流布以前、以後との時代の流れを物差しにした建て分けであり、時の流れを縦、法体の相違を横としてみれば、すなわち縦方向の区別なのです。



しかるに、広宣流布以前の現代においても、横方向の事と義の区別は厳然と存在するのです




つまり、戒壇の大御本尊様の御在所は根源となるものですから、事の戒壇となります。その一方、正宗各寺院の御本尊様、我々信徒の家に安置されている御本尊様の在所は、その意義は戒壇の大御本尊様に通じる義の戒壇となるのです。ですから、顕正会員が法論のときによく言う


「戒壇の大御本尊様おわします所、いつでもどこでも事の戒壇と宗門は偽ったのである!!」



というセリフは大間違いであり、法体に約して捌くのであれば、戒壇の大御本尊様おわします所、いつでもどこでも事の戒壇にあたるのです。それを偽りとしかとれない浅井会長は自らの知識の浅さを恥じるべきであります。(これに関してはその後“「正本堂」に就き池田会長に糺し訴う”の中で浅井会長は正確に猊下の御意を理解していることが判明いたしました。すなわち、浅井会長は知らずに批判しているのでは無く、知っているくせに会員を欺いている確信犯だということです。)



さて、こう説明しても顕正会に洗脳されすぎた方々は決まってこう言うのです。



「日寛上人の六巻抄にはなんと書いてある!事の戒壇は広宣流布の暁に建てられる戒壇だと明らかに書いてあるではないか!!!!」

・・・・・・・・・・・と。



私は言いたい!君たちはその該当部分の文底秘沈抄の続きを読んでいるのか?読んでその全体の話の流れを把握した上で、なおかつそんな戯れ言を言っているのか?



ごくごく普通の頭をしていれば、すぐに疑問がわいてくると思いますよ。



続きは後ほど…。






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顕正会版日寛上人御本尊と、本物の日寛上人御形木御本尊には決定的な相違点が存在するのです。


そのような本物とは違う本尊に手を合わせてはいけません!




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