顕正会の誤りについて:2012年11月

顕正会の誤りについて

顕正会版日寛上人本尊は顕正会自作のニセ本尊です! 顕正会版日寛上人本尊には、本物と相違する決定的な証拠を残しております。 その真実をお教えいたします。パソコンの方はメールフォームで、携帯の方は管理人宛のコメントでご連絡ください。 ただし、現役顕正会員に限ります。          

Archive [2012年11月 ] 記事一覧

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地獄の一丁目

取り立ての話の前に少し話しておかなければなりません。私が借金返済や公共料金支払い、そして税金等の支払いに支障をきたしてきたのは、実は顕正会を辞めて法華講員となってからなのです。それまでは苦しいながらもかろうじて滞納だけは避けられてました。支払う以上に稼がねばならないとのおもいで、朝から晩まで働きました。その結果、腰椎のヘルニアを患いまして、無理は出来ない体になりました。年齢も30代半ばになり、この先...

取り立て

月々35万ものお金を返済に充てるということ自体が、どれだけ過酷な事かは経験者ならば誰しもわかることでありましょう。現在の不景気な世の中では月に20万も稼ぐのでさえ難しくなっております。そんな中で35万が毎月右から左に消えていくシンドさというのは半端じゃありません…。しかも私には3人の子供たちと奥さんがおりました。彼らを水だけで生き延びさせることはできません。必然的に私を含めて5人の生活費と借金返済分を毎月...

自己破産 寸前…

借金総額三千数百万円…。月の借金返済額35万円これが以前の私の正直な姿です。カード破産がひと昔前に話題になりましたが、その破産するか否かのボーダーラインが月々の支払いが30万円くらいだったと思います。つまり私は立派な自己破産予備軍だったのです…。...

体験発表

私は今まで顕正会で言うところの…、いわゆる“功徳の体験”というものを書いてきませんでした。これには2つ理由があります。まずは“現証というのは立場が違えば捉え方は180度変わる。”ということです。つまり、法華講員として私が功徳だ(利益だ)と感じたことでも、顕正会員から見ればそれは魔の通力と捉えるでしょうし、逆に私が罪障消滅だと言っても、顕正会員の目には罰だと映る訳です。これではいくら一生懸命に話したところで...

私は妙観講員ではありません!

先ほど現役顕正会員さんにお電話したところ、「上長に確認したらトチロ~さんは妙観講員だと聞きましたので、会う必要はありません!」と言われてしまいました…。誤解されているようなので改めて申し上げますが、私は妙観講員さんではありません。大石寺内塔中の信徒です。顕正会の皆様、誤解されませんようお願い致します。妙観講員さんに私が怒られますので…、ね。...

最近とみに感じることがあります。それは、幸せも不幸せも全ては自らの心が作り出しているのだということ…。幸福を招きよせるのも自分の心。不幸を呼び込むのも自分の心。現在の自分の心の状態に合わせて行動が起こり、その行動に応じて結果は訪れる。だから、その心を何とかしないと全ては解決しないわけです。そこに気づきなさい。心の清浄化を知りなさい。それを教えてくれるのが大聖人様の仏法なのだと思います。はてさて、顕...

血脈

御戒壇説法では、「大御本尊様の御内証を代々の御法主上人が書写したてまつったところが、嫡々書写の御本尊であり、その御本尊様にお題目を唱えることはすなわち戒壇の大御本尊様にお題目を唱えることと同意となり云々。」というくだりがございます。さらっと読めば顕正会での勤行もよろしいのでは?と思うかもしれませんが、上記の赤字で抜いた部分が大事なのです。つまり、戒壇の大御本尊様の御内証を御書写できるということは、...

御戒壇説法

本日は御大会に参加しております。ところで、顕正会員さんはご存知無いかもしれませんが、日蓮正宗の二大行事である御虫払いと御大会においては、御開扉時に猊下様より御戒壇説法として、戒壇の大御本尊様の縁由に関してお話があります。日達上人が「大事なものだから全部は見せられないが…。」と仰せになって両手で前後の文を隠しながら見せてくださったというのが、この御戒壇説法です。その御説法には勿論のこと御遺命の戒壇に...

へぼ将棋

古くからの川柳に、「へぼ将棋、王より飛車を可愛がり」というのがありますが、顕正会はまさにこれなんです。法の主たる猊下様をないがしろにして平然としている。信仰者としての勝負には既に負けているのに、飛車を神輿に担いで馬鹿騒ぎをしている。自らが既に負けていることも自覚していない…。その馬鹿さ加減を突きつけてあげるのが、異流儀の彼らに対する折伏だと思います。...

唯我一人能為救護

「ただ我れ一人のみ能く衆生を救うことができる。」仏様のお言葉です。この御本尊様のみが我々を苦しみから救えるのだと仰せなのです。私たちは理屈ではそれを知っています。しかし、命がけで、なりふり構わずこの御本尊様にすがっている方は何人いるのでしょうか。どうでしょうか?未だ自分の力でなんとかしようとしていませんか?未だ自分の頭で何とかしようとしていませんか?不幸になる奴は努力が足りないからだ。全てはおのれ...

我執

私は思うのです。本当に心の底から御本尊様を信じ切るのは、大変に難しいことなんだと…。誰しもがここでつまづくような気がします。頭では信じているつもりであっても…、口では「私は御本尊様を信じている。」と言ったとしても…、多分それは表面上の信心なのだと思うのです。人間、我執というものがございます。この我執が邪魔をするのです。自分が可愛い。自分はこう思う。こうすべきだ。ああすべきだ。これはおかしいんじゃない...

御本尊様を信じるには

先年の寛師会で、ある女性の法華講員さんとお会いしました。一年前からの知り合いで、メールやお電話では話したことはあったのですが、遠隔地の方なもので、なかなかお会いする機会がありませんでした。その方との会話の中で、「トチロ~さんは何故あそこまで猊下様を信じ切ることが出来るのですか。」とのご質問を頂きました。とても嬉しい質問です。猊下様を信じ切れているということは、御本尊様を信じ切れているということにも...

顕正会の矛盾

ここまで、御内証に関する御説明をしてきました。これを前提に顕正会員の振る舞いを見てみると、大きな矛盾点に気がつきます。つまり、顕正会員が御本尊様を仏様として拝むという行為の裏側には、御法主上人に御内証が存在し、その仏様の御境涯の上から御本尊様を顕しているのだという道理を認めていることになるのです。されば、御法主上人の御指南は、仏様の御境涯の上からの御指南であり、仏様のお言葉として我々は受け止めなく...

御内証

私達が御僧侶方に常々ご指導されるのは、“戒壇の大御本尊様への絶対の信をとること”“御法主上人猊下に絶対の信をとること”の二つなのです。前回の三宝のお話で理解されたと思いますが、人法一箇の大御本尊様と、御法主上人猊下に信をとるということは、すなわち三宝に信をとるということになります。つまり、三宝の御内証を信じることこそ大聖人様の仏法の一番の根本であり、それを外しては仏法も無ければ成仏も無いのです。それで...

三宝について

およそ仏教と呼ばれるものは、それぞれに三宝というものを定義づけているようです。その三つの宝とは、仏の宝、法の宝、僧の宝です。そして我が日蓮正宗においては、仏の宝は日蓮大聖人様、法の宝は戒壇の大御本尊様、僧の宝は日興上人はじめ代々の御法主上人猊下とされています。これは客殿の御宝前の奉安形式に表されていますね。向かって左が仏宝の大聖人様、真ん中が法宝の御本尊様、そして向かって右が僧宝の日興上人です。こ...

池に映る月

この御本尊様に相向かいお題目を唱えることにより、私達の胸中に仏界が湧現する様子を、日寛上人は文段の中で、池に映る月に例えておられます。御本尊様に向かい、信を持ってお題目を唱える私達の胸中の池には、御本尊様という月が映るのだそうです。私達の胸中に映った月は、月そのものではないにせよ、月の美しい姿はそのまま映し出される訳です。ただし、誰の胸中にも月は映し出されるのかと言えば、そうではありません。水が干...

非情の十界

この世の中の物質は大きく二つに分類されます。人間や動物などの心(感情)を持つ“有情”と、草や木などの心を持たない“非情”です。心を持つ有情が、その胸の内に十界を持っているのは理解出来ると思います。人間はもちろんのこと、犬や猫でさえ喜んだり、悲しんだりしますし、それぞれが感情の赴くところに行動して、その報いを受けているのを、我々は体験を通して既に知っております。しかし、心を持たない非情に果たして十界が存...

御本尊様

十界のうち、地獄から菩薩までの境涯は何かしらの縁によって、私たちは顕す事が出来るのです。しかしながら、最高の境涯たる仏界だけは自力で顕すことは出来ません。この仏界を顕す為には、最善の縁である御本尊様に相対し、信を持ってお題目を唱えることによってのみ、自身の身に顕すことが出来るのです。この道理から考えるならば、私達が拝する御本尊様は、正真正銘の仏様でなければなりません。いくら本物そっくりに作られてい...

縁について

私たちの胸中には十界が備わっておりますが、過去からの宿業によってどれかが表に顕れてくるだけではなく、縁に触れることによってもそれらが顔を出してくるのです。例えば普段は穏やかな人であっても、車を運転している際に、乱暴な運転をする車に出会うとカチンときますよね。これは乱暴な運転をする人の修羅界に触れて、こちらの修羅界が表に顕れてしまうのです。このように、私たちの胸中には必ず十界が存在致します。その中で...

因 縁 果

私たちの胸中には十界がそなわっていることは顕正会で学んだことだと思いますので、個々の詳細については省きます。この十界は、私たちの過去から現在に至るまでの行為(業といいます。)を“原因”として、どれかが“結果”として強く表に顕れてくることは、顕正会でも学んだのではないでしょうか。ここで上記の“”でくくった部分をよく見て下さい。“因”と“果”ですよね。それでは私たちが朝夕の勤行で読みあげている方便品の最後を思い...

仏性とは

さて、仏性とは何かということですが、まさにこの仏性の存在を教え、認識させ、そして活用させることによって、苦しみに悩む人々を幸せな境涯に転換させて救っていくというのが、大聖人様の教えの根本だと私は捉えてます。先日の衣裏珠の譬えにもあるように、現在どん底の環境にある方も、必ず皆さん胸中にはこの仏性という宝の珠を持っているのです。言葉を換えて言うならば、誰でも幸せになれるのは約束されているのです。ただそ...

衣裏繋珠の譬え

仏性のお話をする前に、法華経にあるたとえ話をご紹介致します。この中で説かれる宝珠こそ、仏性のことなのです。分かりやすい文章をネットで探しましたが、あまりありませんでしたので、御法主上人猊下が以前に御指南下さった話の中で、このたとえ話について触れられているものをご紹介致しますね。何となく仏性というものの姿が見えてくるのではないかと思います。「 さて、皆様もよく御承知のとおり、法華経の五百弟子受記品第...

成仏とは

2.成仏とはこれもまた難解なテーマですね。間違いがあっては困りますので、御隠尊猊下の御指南から見てまいりましょう。「つまり成仏すると身体が法界全体のなかにおいて自由自在に遍く行き渡り、また心があらゆる所に到達することができ、有縁の一切衆生の身中に心を入れて、よく内外相応、因縁和合して自在神通の慈悲をもって衆生の利益ができるという根本的な御指南であります。」(三世諸仏総勘文教相廃立 大日連平成15年...

大聖人様の仏法とは

存在意義の無くなった顕正会員さんのために、なにゆえ信心せねばならぬのかを簡単に書いてみたいと思います。****************************1.大聖人様の仏法とはいきなり壮大なスケールのテーマですが、およそ仏様と呼ばれる方々(大聖人様も仏様ですし、お釈迦様も仏様です。)の願いは、“一切衆生を苦しみから救い出す。”というところにあります。これを忘れて仏法は無いのです。顕正会の場合、“...

顕正会に存在意義は無い

今まで一つずつ浅井さんのイチャモンを検証して来ましたが、どれもこれも既に御宗門から正式な正論が返されているものでした。つまり、御遺命の破壊などというものは存在しない。ということなんです。御遺命の破壊自体が存在しないのならば、顕正会という団体は必要なのでしょうか?答えは明確ですね。顕正会などというものは無くても良い存在なのです。むしろ、御宗門の悪口を言い、戒壇の大御本尊様から人々を遠ざけている団体で...

日顕上人 5

「今は国民主権だから、国主というのは今ではたしかに民衆なのです。けれども、政治の在り方等というものは、いつどこでどう変わるか、未来のことは判りません。」現在の日本の政治形態は仏法に説かれる方程式にそのままピシッと当てはまらない矛盾点が存在することは先に述べました。それを何とか無理矢理に押し込もうとするのか、どうなのかをここで説かれている訳であります。当時の“建築許可証”との表現は当に現時点での制度下...

日顕上人 4

浅井さんの正論とは何か…。それは、この文に秘められた守護付嘱なんです。守護付嘱とは国主に対して為されるものです。民主主義の世の中では国民が国主に相当するとは言っても、国主と国民は分けて説かれているのが仏法です。その現在の日本が抱えている矛盾を世間法を優先させて矛盾点に目を向けさせなかったのが、当時の論なのです。しかしながら、御隠尊猊下は“もっと深い意義”として拝するべきであることを述べられました。つ...

日顕上人 3

「あの二書は正本堂が出来る時と出来たあとだったが、浅井の色々な問題に対処することも含めておるわけで、強いて言えば全部、正本堂そのものに関してのことなのであります。」この“浅井の色々な問題に対処することも含めて”という部分もこれまた重要です。先に紹介したように、この2書は“広宣流布以前の戒壇建立を是認”するような内容もあったにせよ、その大部分は浅井さんの間違った戒壇義を破すものでありました。ゆえに浅井さ...

日顕上人 2

先日ご紹介した御隠尊猊下の御講義には非常に重大なことが書かれているのです。一つずつ検証してまいりましょう。「昭和四十七年の『国立戒壇論の誤りについて』と五十一年の『本門事の戒壇の本義』は、先程から言っているように私が書いたけれども、そこにはたしかに、戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども」この赤字で記した部分...

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顕正会版日寛上人御本尊と、本物の日寛上人御形木御本尊には決定的な相違点が存在するのです。


そのような本物とは違う本尊に手を合わせてはいけません!




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